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『生活のたのしみ展』が、私の生活のたのしみになっていた

<目次>
たのしみにしていたこと(『生活のたのしみ展』を知る)
つらかったこと(2月〜3月の日々)
たのしかったこと(『生活のたのしみ展』当日)
たのしみということ(あとがき)

『生活のたのしみ展』のことを知ったのは、3月末に読んだ記事がきっかけだった。毎日悩み苦しんでいた当時の荒んだ心には眩しすぎる、明るいギンガムチェックに目を奪われた。

(記事の写真をお借りしました)

そしてそこから何週間も、ずっとたのしみにしていた。
毎日更新されるホームページを見ては、期待に胸膨らませた。

母と行こうと決めていた。
母は糸井さんが好きで、私にかつて「糸井さんって知ってる?」と紹介してくれた。だから絶対に母と行こうと決めていた。
会場マップの画像を保存して、カレーが食べたい、チーズケーキが食べたい、ハリボーの詰め合わせがしたい、ギンガムチェックのお店を見たい、と矢継ぎ早に話すと、「そんなに下調べして、めずらしいね」と驚かれた。私もそう思った。

私は買い物がそんなに好きじゃない。好きじゃないというか、苦手。
長時間出かけると足が痛くなるし、疲れる。お店に入っても店員さんと話すのが面倒になる。試着が疲れる。とにかく疲れるから、いつも気合いを入れて買い物に出かけても、途中で必ず気分が下がってしまうのだ。疲れてしまう自分に嫌気が差す。でも母はいつもそんな浮き沈みの激しい私と付き合ってくれている。だから、何週間も前からワクワクしている私を見て、心底驚いたに違いない。

私は多分、『生活のたのしみ展』に行くことを、買い物としてではなく、一種のテーマパークに行くことのように捉えていたのだと思う。
「なんか、たのしそう」「その空気を感じたい」
『生活のたのしみ展』という言葉に反応していたのだ。
脳が、というよりも、体が。

進路が決められない絶望の淵にいた2月

私は2019年の目標として
「noteを月末に書いて、思考の整理をする」
をあげていた。だが、前の記事をみてもらえばわかる通り、

あっという間に失敗した。

言語化が好きで、言語化をすると頭がスッキリする。
自分のためにそうしようと決めたのに、できなかった。

簡単にいうと、病んだ。

進路が決められなかった。

もちろんすぐに決められるはずもない、でも2月末を目処に道筋をある程度ははっきりさせるつもりだった。
2月末が近づくほど、考えがまとまらないことに焦って、
考えているつもりだったけど、まともな思考が多分できていなかった。

「最近どう?」と友人に聞かれるたび、心がぎゅうっとなった。
当たり障りのないことを話しながら、自分を騙し続けているような気持ちになって、夜湯船に浸かりながら、「生きたくない」と思ったりもした。
noteを開くことはできなかった。

母と決裂した3月

3月、ようやく決意が固まった。

母に話すと、反対された。

かつて人生の局面で、「応援されないかもしれない」ことはなかった。
一番の味方だと思っていた母の口から出たネガティブな言葉と、その時の目つきがすごく怖くて、否定されたら余計に気持ちは強くなって、泣きながら訴えた。
「敵に見える」といったら、今度は母が泣いた。もちろん敵ではない、私のことを世界で一番思っているのは母だろう、それは私にはわかっているつもりだった。だけど、どうしてもその固い信頼が崩れそうになる程、私にとってはきつい月だった。
多分、母にとってもきつい月だった。

そんな時に見つけたのが、『生活のたのしみ展』だった。

将来の進路のこと。それは前向きなものであるべきで、「迷える幸せ」がそこにはあるはずで。なのに、すごく暗くて苦しかった。
道を決めていく同期、大きな一歩を踏み出す先輩たちを見て、100%晴れやかな気持ちでいられない自分に嫌気がさしていた。

そんな私にとって、「生活」と「たのしみ」は交わるものではなかった。

だから、
『生活のたのしみ』が、すごく輝いて見えたのかもしれない。
羨ましかったのかもしれない。
私もそういう大人になりたい、と、体が感じたのかもしれない。

こうして、私の心の苦しい生活の中に、「たのしみ」が生まれた。

たのしかった、『生活のたのしみ展』

初日を訪れた人のレビューに、
「まずはインフォメーションでマップをもらうべし」
とあったので、会場について即座に手に入れた。クマが可愛い。

やっと来れた。嬉しくて、ずっとニヤニヤしていた。

外を少し歩いてみた。すると、ツイッターで見かけた着ぐるみ(ラグビーワールドカップ2019日本大会の公式マスコットのレンとジー)がいて、私はとにかくご機嫌だったので、一緒に写真を撮ってもらった。
お天気だったので思わず、「暑そう・・頑張ってね」と言ってしまった。

そして計画通り、「カレーの恩返しカレー」を食べた(チーズケーキは残念ながら完売だった)。スパイスが効いていて美味しかった。食器も素敵。

食べたらもらえる缶バッチを、嬉しくてトートバックにつけた。

あまりにくだらなくて、ニヤケが止まらなかった。


そして、
買い物の中でも最も苦手な部類に入る「靴屋さん」で靴をオーダーをするという、なんともミラクルなことが起きた。

「靴屋さんで自分の足に合う靴を探す」ことの心理的ハードルの高さ、お分りいただけるだろうか。
まず、かがんで立っての繰り返し。疲れる。学生だけど。
店員さんにその都度「どうですか」ときかれても、あんまりピンと来ない、でも感想を述べなければ!と思ってしまう。気持ちも疲れる。
だからいつもお店に入ること自体を躊躇してしまうのだが、
『生活のたのしみ展』全体に流れる「ゆる〜い空気感」と、「奈良から靴を持ってきました〜良かったら〜」という店員さんの物腰柔らかな雰囲気に乗って、この私が、試しばきをした。してしまった。

結果、すごく可愛い靴に出会った。
「すごい素敵です」ニコニコと男性の店員さんが話しかけてくれて、いろんな種類を試しながら、教えてもらいながら、「いい距離感」でいてくれた。
商品を売りにきているのだろうけど、見守ってくれているような、そんな眼差しだった。他の店員さんともおしゃべりして、笑いあった。おかげで、「たのしい」時間を過ごすことができた。

お店は繁盛していて、注文を終えると、あの店員さんは窓際で電話をしていた。でも、お店を出る間際に目があって、また優しい眼差しで、会釈をしてくれた。
多分私は、届いた靴をはくたびに、今日のことを思い出す。

そしてずっと気になっていた、幡野広志さんの「写真のお店」にきた。

展示スペースをふと見ると、なんと幡野さんご本人がいらした。
カメラを提げて、女性とお話ししていた。(その後も会場の外でお見かけして、驚いた。話しかける勇気は出なかった)

母も、じっと写真と文章に見入っていた。

一度外に出て「よりみちストリート」で一息つき、

愉快なおじさまスタッフの熱いグミトークをいただきながら、
ハリボーの詰め合わせをした。

はみ出すぎ、大サービス。
「この隙間があるからお腹壊した〜とか言わんといてくださいね」
と釘を刺された。愉快。
隙間のおかげで、丸の内を闊歩しながらグミを取り出して頬張ることができたよ、おじさん!ありがとう!

夕方、移動して「東京SIDE」へ。

やっぱりダントツで面白かったのが、

絶句。こんな掛け軸ある?
将来和室が家にできたら、絶対かけたい。

帰り際、スタンプラリーで景品が当たった。

『生活のたのしみ展』に度々出てくるクマの作者、
イラストレーターのオカタオカさんのグッズだった。

最後まで、たのしい気持ちでいることができた。本当にうれしい1日だった。

たのしみということ

私は生活をたのしみたいし、周りの人にもたのしんでもらいたい。
そのためには何があるといいのか、どんな要素が必要なのか、
この世の中にはどんな「たのしい」が隠れているのか、
それを探していきたいと思った。

生きる「たのしみ」は、きっとまだまだ、そこら中にある。

ありがとう!

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あやぽん
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