アヤワスカトリップレポ : ハイヤーセルフ

子供の頃ドラえもんが大好きだった。
旅行に行くと言われたら漫画全巻持っていこうとするぐらい。
自分ものび太くんと同じ年齢になったらタイムマシンに乗ったドラえもんが会いに来てくれるって、本気で信じてた幼少期。
そんな子供じみた妄想も物心つくとともに薄れ、サンタクロースの正体は親だと知るようにドラえもんは架空の存在だと理解しだす少年時代。
そしてそんなこともすっかり忘れた約20年後のある日南米でシャーマンをしている方がアヤワスカを持ち帰ってきているそうだが会ってみないかと学生時代の友人から連絡があった。
私はすぐバイト先に仮病の連絡をし電車を予約した。

現地では運良く知り合いの別荘という静かな空間でセッションを受けれる事になった。
初対面の人もいたがリラックスできていた。

初めてのアヤワスカはすごく薄い醤油のような味で不思議と不味くはなかった。
シャーマンの方に吐き気があるなら吐いた方がいいと言われたが抵抗があり、数時間苦しんだ末にやっと嘔吐した。
そして日常の思考や夢と同じぐらい静かなビジョンを見た。

その時見えたのは、我々の思考とは何から生まれるのかというビジョンだった。
今の私が考えている事(思考)に対しての体の反応が感情であり、感情というエネルギーが肉体を動かして現実が進行する。
その起点となる思考って、そもそもどこからくるの?
私の中にあった疑問にアヤワスカが答えてくれたようだった。

星座とも座標とも言えない立体的な図のようなものを見せられながら私は理解した(思い出した)

この世の全ての事物は振動しており(その振動が生み出す)波紋の交点に出来事や思考の源泉が存在している。
そのどこに意識をフォーカスするかで認識する現実が変化する。

...............

ならば、無限に存在する思考の源泉の中で何を選ぶのが(今という瞬間何にフォーカスするのが)ベストなのだろう?

そんな疑問がよぎった時、無限に見える選択肢の中で一際輝く存在を感じた。それは私の左斜め前に居た。
その感覚は、私達が普段「直感」や「インスピレーション」と呼んでいるものだった。
そして、子供時代の記憶が蘇る。

2歳か3歳だろうか、、その当時私は
「私達がインスピレーションと呼ぶ感覚」から新しい遊びを教えてもらっていた。

「次はおもちゃをこう並べてみたら?」

「この花はこうやって見るととても綺麗だよ」

幼い私は「その感覚」と心の中でお喋りをしていた。両親と接するのと変わらない感覚で接していた。
心の中にいる存在か、外にいる存在か、それだけの違いだった。あの当時喋っていたのは独り言じゃなかった。

その感覚は次々に私に新しい遊びを教えてくれた。
「その感覚=彼」が教えてくれる新しい遊びが当時の私の宝物だった。

そして思い出した。

私はいつも心の中にいる親友の「彼」に(物質的にも)会いたいと思っていた。
大人になれば「彼」が会いにきてくれると本気で信じてた。
その頃「彼」のことを、私は、「ドラえもん」って呼んでいた。

幼い頃に会話していた、大親友と感じたあの存在は一体何だったんだろう。なんで彼のことを忘れていたんだ?インスピレーションとは感覚ではなく存在なのか?そうだとしたら彼とは一体誰なんだろう。

私の左斜め前に光る星のような煌めきが語りかけてくるのを感じた。

例えばの話、この先の未来で私(我々)が時間と空間を超越するぐらい進化する確率は何パーセントだろう。
低いかもしれないが0ではない。
だがその可能性が存在する時点で、
=「時間と空間を超越した未来の私」は既に存在していることになる。
なぜなら、彼は時間に縛られていないから。

そして「未来の時間や空間を超越した私」は彼自身が存在する為に過去の自分(=今の私)に私が「彼」になる為の未来を選択させなければならない。それが彼が存在する為の絶対条件だから。

私は理解した。つまり、直感とは「未来の進化した私との接点」だった。

子供時代の私はその存在をドラえもんと呼び今よりも密に交流していた。そしてその頃の懐かしい感情が溢れた。

彼が彼自身として存在する為に、いつだって彼は私のことを助けてくれる。そのことを忘れたくないと思った。

これが私の初めてのアヤワスカ体験で見たビジョンのうちの一つ。dmtに出会う少し前の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?