尿膜管遺残症の入院と手術

まず、入院と手術の全体感について、
入院は全部で4日間で、
手術日は2日目の午前に実施というスケジュールだった。
これまで半年間、薬による自然治癒を行ってきたこともあり、
ようやく手術してもらえる、、本当にこれまで長かった、、という思いが強かった。
同じ尿膜管遺残の患者でも、入院期間は変わるようだ。(手術方法や、深刻度による。恐らく私の場合は負担の少ない手術方法で、深刻度も中程度だったと思う。)
さっそく、時系列に沿って、入院・手術の様子を書いていく。


1日目(入院当日)
入院関連の書類を受付に渡し、
入院する部屋へと案内される。

持ってきた荷物を荷解きして、
電動ベッドに横たわる。

電動ベッドは横幅はシングルベッド未満で狭いのと、硬さはあるが、そこまで寝づらいという訳では無い。

テレビはお金を払えば見れるようだが、
WiFiが通っているので、
夕ご飯までは永遠とYouTubeを見ていた。

相部屋3人だったので、カーテンで仕切られているものの、隣人のテレビ音やいびきがうるさく、ストレスを感じていた。

夕方になると夕食が提供される。

思ったより美味しく、健康的な食事って感じだった。

夕ご飯を食べ終えると、予め予約していたシャワーへ入る。

明日の今頃はこの臍は無くなっているのか、、
と鏡に映る自分の臍を目に焼き付けた。

ここから退院までシャワーは浴びれないので、
最後のシャワーを楽しんだ。

あとは寝て手術を待つのみ。

絶食は21時からで、21時以降は何も食べられない。飲み物は飲んで良いが、翌日の7時まで。

夕ご飯を食べたあとは、翌日からは歩行が困難になると伝えられていたので、飲み物などを買い溜めしていた。

不思議と緊張などはせず、リラックスして
スマホなどいじりながら初日は眠りに落ちた。
(というより、現実逃避して考えないようにしていたという表現の方が近い。
考えても仕方ないので、良かったと思っている。)

眠りに落ちたといいつつ、隣人のいびきがうるさいのと、
看護師さんが夜中2時間ごとくらいのペースでこっそり状態を見に来るので、
正直、眠りは浅かった。


2日目(手術当日)※もっとも辛かった日

朝5時半に自然と目が覚め、
そのまま起きる。

あと数時間後には手術か。。
と次第に現実味が強くなり、
緊張感が増してくる。

飲み物は7時までしか飲めないといいつつも、
最低限の量しか飲まなかった。

7時頃看護師さんが来て手術の説明や一日の説明をしてくれる。
また、手術を行う服と、着圧ストッキングのようなものを渡される。
※これからずっと動けなくなるので、エコノミー症候群的なものを防止するためと思われる

8時までには服に着替えておいて9時から始まる手術に待機しておいて、と言われた。

8時以降は手術の服でトイレに行く訳には行かないので、
これが最後のトイレか…という思いでトイレに立っていた。

窓の少しの隙間から見えるポカポカ陽気の景色になんとも言えない感情を抱いた。

8時になったので、手術の服に着替える。
だが、9時に近づくにつれ緊張感が高まり、またトイレに行きたくなり、
再度トイレに行く。
冗談抜きで、これを8-9時の間に4回行った。
今思えば、緊張がピークになっていたのだろうと思う。

9時になるが看護師が迎えに来ない。
そわそわする。
少しすぎたところで看護師が来る。
いよいよか、という思いで覚悟が決まる。

手術室へは担架とかで運ばれるのかな、
と思いきや、
連れられて歩いて入室。
部屋は真っ青。

思ったより人がいる。
手術は初めてだったので、3,4人でやるのかなと思ったら、軽く6~8人はいる。
全員がキビキビと動いており、緊迫感があった。

手術室の手前に、前室のような部屋があり、
そこの中央にある椅子に座らされる。

名前と、手術を行う部位を聞かれる。
名前と、尿膜管であることを答える。
腕に付けた患者のリストを確かめられる。

改めて、看護師さんから本日の手術内容を説明される。
腹腔鏡下尿膜管全摘除術という手法の手術で、お腹に何点か穴を開け、そこから尿膜管を摘出する方法で、患者の負担が比較的少ない方法である。

手術内容の説明を受け、同意のようなものにサインする。
正直、緊張はピークで不安感が凄かった。

前室での問答は数分で終わり、
いよいよ手術台へ案内される。

ここに乗ってくださいね〜と言われ、
サンダルを脱ぎ手術台に乗る。
(あんまサンダルで行動するのは良くないらしいが、特に言われなかったのでサンダルでここまで来た笑)

開けますからね〜と言われ、
手術の服を開かれる。
手術用の服は色んな方向から開けるようになっており、考えられた服だ…
と感心してしまった。

点滴の針を左腕に刺され、
呼吸器のような装置を口に当てられる。

苦しくないですか〜と言われ、
はい、大丈夫です。
と答えつつも、若干息苦しい。
これは申告すべきか?と迷いつつ、
まぁこういうものなのだろうと思い込むことにする。

そのあと何かチクチクするものを頭に2箇所貼られる。
チクっとしますよ〜と言われたが、
ほんとにちょっとだけチクッとした。

それから、ゆっくり息してくださいね〜
と言われ息をしていた。

その先は
記憶がごっそり無く、
麻酔にかかったようである。

イメージとしては、麻酔しますからね〜の一声を受けて、10カウントして、6カウントくらいで落ちちゃうようなイメージをしていたが、
麻酔しますからね〜自体を言われた記憶が無い。
もしかしたらそこ含め記憶が飛んでるのかもしれないが。

麻酔って、徐々に意識が遠のいてくイメージだったが、そんな事ない。

突然記憶が切れる感じで、
記憶が無い間は夢も見ておらず、
ほんとうに、ごっそり記憶が落ちてる
不思議な体験だった。。

看護師の呼ぶ声で目が覚める。
もう終わったんだ…と思いつつ目を開ける。
まだ手術室にいるようで、これから元の部屋に運ばれるようだ。
意識はかなり朦朧としていて、
倦怠感が強く、
声を出すのがしんどい感じがする。

続けざまに、
痛くないですか〜?気持ち悪くないですか〜と聞かれる。

自分で自分の状態を確かめ、
すごく気持ちが悪いことに気がつく。
気持ち悪いです、と答え。
気持ち悪いのを抑える薬投与しますからね〜と声をかけられる。

移動中の揺れなどもあって、部屋に着いた時は吐きそうになっていた。
身体には点滴、尿道カテーテル、心拍を図る機械を取り付けられてるので、色々な管が身体から伸びている様子。

すごく気持ち悪いことを伝えると、
ここに吐いて良いですからね、とビニールに包まれた桶を枕元に置いて貰えた。

そしてこの時点で、自分がものすごく汗をかいていることに気づく。
ベットも服も汗で濡れてしまっている。

看護師に聞いたところ、手術中、身体を温めていたようだ。
その影響で身体が高音になり、体温を下げるために汗をかいている様子。

ただ、元々必要最低限の水し頼んでいなかったので、軽い脱水症状のような感じになっていた。
先程の気持ち悪さの原因はこれか、と理解した。

手術後の闘いは、まずこの吐き気と脱水、汗で濡れた服やベットの違和感との闘いから始まった。

ここからは体制も自由に変更することが出来ず、1分1秒が永遠に感じた。

点滴や吐き気に対する薬の効果、アイスノンで首を冷やす、という対応をしてもらい、ようやく落ち着いてきたので、
スマホで時間を確認すると、手術開始の9時から3時間半以上経過し、時刻は13時近くになっていた。

こんなに長い間意識を失っていたのか、とビックリした。
予定では2時間と言われていたので、11時頃と思ってスマホを見たのだが、
1時間半近く延長されたようであった。
後々先生に聞くと、炎症が思ったより強く、手こずったと言われた。

ここから翌日の朝にかけてが入院において
いちばんしんどい時間だった。
時間が異様に長く感じた。

手術直後の吐き気、脱水、汗の気持ち悪さ、倦怠感、患部の痛み、動けないストレス、全てが当時に襲って来るのを、あと20時間近く待たなければいけない。。
上記のひとつひとつしんどいのだが、個人的にもっともしんどかった(不快感が強かった)のは尿道カテーテルだった。

動けないため、トイレへ行くことが出来ないので、カテーテルを挿入されているが、
異物感がすごく、永遠と尿意がするような感覚があるのと、動くと痛い。
患部の痛さとかは耐えれば良いのだが、
個人としてはこのカテーテルが何にも耐え難く苦痛だった。

なんやかんやで16時まで耐え、酸素マスクが外れる。
少しだけ前に進んだ気がして気分が楽になった。

夜は寝れるといいな、、
あと12時間以上もこのままか、と思いつつ耐えた。
スマホは触れるのだが、触る余裕が出てこない。

無音で寝てると、本当に時間が全く過ぎないので、
AirPodsを看護師さんに取ってもらってつけて、
永遠とジブリのオルゴールの音楽をループして聞いてた。
Jpopを聞く心身の余裕はなかった。

なんやかんや消灯の22時になる。
気持ち悪さ、脱水、汗、はこの時消えており、
尿道カテーテルにも身体的には慣れてきた。

ただ自分だけかもしれないが、
尿道カテーテルに対してメンタル面での抵抗がすごくあり、それのストレスは続いていた。

また他の脱水等の辛さが収まってきたことで、
今度は逆に手術箇所の痛みが顕著に感じられてきた。

22時以降は、
カテーテルの精神面でのストレス、
患部の痛み、
隣人のいびきとの闘いだった。

なんとかAirPodsのノイズキャンセリングで音を押えつつ、ジブリのオルゴールを聞いて寝ようと試みたが、
結局30分間うとうとしては目が覚め、寝ようとしては、目が覚め、を繰り返し、
結局満足に寝れないまま、朝を迎えた。

正直、手術直後〜翌朝にかけてまでが、
入院で1番しんどく、時間が無限に感じられ、
健康って重要だな、と何度も考えさせられた。


入院3日目

この日はカテーテルや点滴が取れて、
歩行が開始できる日。
朝ごはんを食べたあと、
看護師さんがやって来て、
点滴を外してくれた。

カテーテルは痛み止めなしに、看護師さんに引き抜いてもらう。
前日に隣人がカテーテルを抜いて貰ってる音が聞こえてきたこともあって、
恐怖が凄かったが、
思ったよりは痛くないし、
3秒我慢すれば良いって感じだった。
(もちろん痛いは痛い)

カテーテルと点滴が取れたことで、メンタル面での負荷がかなり軽減され、
心が軽くなった。

しかし、手術後からここまでの、身体的精神的負荷に加えて、夜寝付けなかったことからか、
手術日夜から3日目の昼くらいまでにかけて、
37.8度程度の熱が出てしまう。

かなりしんどかったが、
2日目よりはだいぶマシだったので、
ベッドで横になりつつ、安静にした。

看護師さんの連れ添いで歩行の練習が行われた。
ここまで歩けないものか、と自分でも思うくらい歩けなかった。
手術した部分が痛すぎて歩けない感じである。
速度的にはおじいさんの歩きより遅い。
背筋を伸ばすと痛いので、
軽く屈んで歩いている感じである。
手すりとかにつかまらないとしんどい。

午後、面会があったが、
感染症対策から、面会室まで行く必要があり、
面会らしい面会とはならなかった。
手術の身体への負担ってかなり大きいのだな、、と実感した。
これでも身体への負担が少ない方の方法なのだから、恐ろしい。

面会後は、ベッドへ横たわり続け、3日目が終了した。

3日目は隣人が居なくなり、運良く大部屋に一人だけとなった。
昨夜はほぼ一睡も出来ていなかったが、
3日目の夜にしてようやくそれなりの睡眠を取れた。


〇4日目
朝ご飯を食べ、患部のガーゼなどを張り直し、薬を貰い、次回来院日を決め、
早々に退院となった。

ベッド周りの整理をして、看護師さんと忘れ物チェックをし、
受付とやり取りを済ませ退院となる。

歩くのが困難なレベルで痛く、
自宅までの帰路が心配だったが、
家族の支えもあり自宅へ到着できた。
(逆に1人で帰宅してたらかなりキツかったと思う)


これで尿膜管遺残による、入院手術模様の説明は終わる。

自分自身もネットにある尿膜管遺残の入院ブログを見て、覚悟が持てたし、具体的なイメージも湧いて助かった想いがある。

入院は辛くて痛いこともあるが、偉大な家族・先生・看護師の皆さんが支えてくれるから大丈夫。
(私もナースコール10回以上押した)

1人でも多くの方に、手術を受ける覚悟を与えたり、お役に立てたら嬉しいです。

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