承認欲求と自己肯定
こんにちは、任意定数です。ここ数日は真面目に生きてました。でも真面目に生きた分ストレスがえげつないことになりました。そこでブロン飲みました。バイトも勉強も頑張ったんです。ブロンで楽になることくらい許してください。ブロンのエフェドリン期は過ぎて、まったりを誘うコデイン期に入りました。眠いけど寝たらこのまったりを見捨てる羽目になる。このまったりはブロンユーザーとして楽しまなければいけない!!という使命感と共にカフェインを投入してこの記事を書いています。
今回は承認欲求について書こうと思います。
私は承認欲求がすごく強いです。どんな時でも”認められたい”という気持ちがあります。同時に”認められないと不安”なんです。
だからTwitterで自分のツイートにいいねをもらえないと不安になる。Twitterの友達は自分のことが嫌いなんじゃないかと思ったり、自分はもう飽きられていて存在意義が無くなったと思ったり。
このnoteも然り。閲覧数や♡が伸びないとすごく不安になる。やっぱり私の汚い部分は誰からも認めてもらえないんだと落胆する。
私には自己肯定感というものが欠如しています。だから誰かから”いいね”と判を押してもらわなければ安心できない。私という存在は、私の存在意義は、他者から認められて初めて成立するんです。だから他者から承認してもらうことに躍起になる。他者からの承認が無いと私はこの世界に存在できないがために。
初めに「ここ数日は真面目に生きてました。」「バイトも勉強も頑張ったんです。」と言いましたよね。でも心の奥底ではそんなこと1ミリも思ってないんです。だってもし本当にそう思ってるなら満足感で幸せなはずです。ブロンなんかで偽物の幸せをつかもうとはしません。心の奥底では”私は何1つ頑張ってない。”と自分を否定してる。だからブロンを飲んでその自己否定から逃げようとしてるんです。
高校時代の先輩が”私は他人の評価軸で生きるのをやめた”と言ってました。そう言い切った先輩はとても美しかった。私もいつかそんな風に言える美しさを持ちたい。そう思いながら醜い自己否定とコデインの沼に堕ちていくのです。