お笑い遍歴

ただただパソコンで文字を打ちたくて、夜勤中に脳を空にして
ただただ私の過去をつらつらと書くだけ。
きっと死ぬほど長くなってしまうんだろうな。

きっかけ自体は親の影響。母もまた松竹に死ぬほど通っていた。
よゐこやアメザリを死ぬほど見ていたらしい。
そんな母に連れられて見に行ったNGK本公演。小学生だったかな?
テレビで見ていた華大さんが観れた衝撃が大きかった。
家からそんなに遠くないのにこんなにもキラキラした世界が
目の前で見られた衝撃。そこで私のスイッチは押されたと思う。

でも、言うても小学生なので一人で通う許可が下りるはずもなく。
家のパソコンでただただノンスタイルの動画をあさっていた。
そこから派生してライセンスに飛びラフコンにとび、
当時の東京若手にとんだ。
YNNとツイキャスが私の青春。
彩ライブをYNNの生配信で見てはタイムラインに感想書きまくっている
激痛茶の間中学生だった。多分その名残がまだあるので
こんなnoteを書いてしまう。
当時はひのでとフランクリンとベイビーギャングが好きだった。
一人を除いて全員スターと化しているので私は本当に見る目がある。

この時からツイキャスで「芸人」と検索をかけてみあさるのが好きだった。
「芸人志望」とかで検索かけて一般人のキャスも見ていた。
その時に狂ったように見てたのは
第一回番組タイトル決めるラジオとSHOW激DANのキャス。
前者はとある芸人二人と作家一人がワイワイ話すだけ。
いまちょっぴり有名になっているだけあった当時から面白かった。
そして私の人生を大きく変えたのが後者。
岡山の個人事務所だけど実力者。
東京芸人を見あさっていた私が初めて西日本の芸人に興味を持った瞬間。
忘れもしない、中3の時。高校生芸人が所属しますと発表があった。
これが後に出てくるゆうすけ君。

高校生になった私は東京芸人と大阪芸人が
漫才劇場で戦うライブを初めて見に行った。
大阪でたくさんの東京芸人が見られた。
と同時に大阪芸人も知ってしまった。
見取り図がすっごくおもしろかった。
「なんだ、配信で我慢しなくたって大阪にもいっぱいおるやん」
と気づいてしまった。私の高校生活の8割は難波で出来ている。
2割は天王寺。
推しが固定するまでいっぱい見た。いろんなライブに行った。
そんな中ゆうすけ君が個人事務所を卒業して大阪に来た。
Cマンに出るらしい。行くしかねえな。
そこからゆうすけ君を見に行った。
長居公園で毎週路上をやっていた。
そこで当時まだ秋晴を解散してすぐのユウガくんに出会った。
ゆうすけ君とコンビを組んですぐのCマンだったと思う。
彼の声質や全て決めているわけではない感じ、平場の立ち回り方
全てがドはまりした。大好きだった。
その瞬間はまだ覚えてる。
大人数の芸人がいる中でやっとクレヨンダンスが指された。
その時、気が付かないようにしょうせいとパパのパパが舞台に戻ってきた。
やっと回ってきたターンをユウガ君はパパに渡した。
しょうせい君を寝かせて帰ってきた。と。
会場は盛り上がったし笑顔だったけれど、ゆうすけくんだけが
苦虫を嚙み潰したようだった。
公園終わり、薄暗い公園でダメ出しを受けている彼もまた
苦虫を嚙み潰したようだった。納得いっていないんだろうな。と
私にもわかる表情だった。
大好きな二人だったけれどここは長く続かないだろうと思ったし、
私かユウガ君についていこうと決めた公演だった。
当たらなくてもおかしくない平場でようやっと指されたのに
それをその場の雰囲気を見てすっと他に譲れる高校生。
この子は本当にお笑いが好きで、やっているんだろうな。
という感じがしてとっても好きだった。
あなたがいなかったらほんとに私って存在してないと思うくらい大切な存在。ありがとう。

また、このキャスというコンテンツで出会った推し。
もうこの世界にはいないので名前を出すのは控えるけど、
この推しにも相当世界を狂わされた。高校生になってから
可能な限り全ステした。
ZAZAからバトルZAから朝日劇場からキタイ花ンから。
無数に通ったけれど、最初の舞台はしっかりと覚えている。
梅田の隅のキタイ花ン。4月27日。誕生日の公演だった。
札束の様な枚数のチケットを持っていて
彼の前は行列になっていた。鼻高々に
「初めてやな。今日は枚数多いからサイン後で書くから待ってて」と
言う彼の顔はいまだに忘れられない。
ここが彼のピークだったらしい。
私しかチケットが売れていないなんて日もざらにあった。
でもこの推しに合わなければきっと今こんなにも劇場に通っていない。
推しが東京に行く時は相当しんどかったし、初めてしたinfoも
すっごく楽しかったな。どこまでが私って気づいてたんだろう。
許可取らずに始めて死ぬほど怒られたけど最終的に
「まあお前ならいいか。頼んだ。」って言ってくれた。
どこまで力になれたかはわからないし今現在やめちゃってるから
本当に無力だったんだな。高校生で物知らず過ぎる私を
ずっと𠮟ってくれたな。ありがとう。はよスパチャ投げさせてくれ。
解散DMが届いた夜中3時の事はたぶん走馬灯に出てくる。
直ぐ友達にラインしたし、次の日は過呼吸になった。
文字に起こすとキモさ倍増だな。
大阪最後になる舞台も覚えている。それもまた長蛇の列だった。
泣きそうになる私をみて笑いながら「なくなるわけじゃないんやから」
と言った。無くなっちゃったじゃん。なんだよそれ。
私のXの裏垢ヘッダーは長文DMの一部切り抜き。
もう未練なんてものはもちろんないけれど、大好きだったから。
へこんじゃうくらいキモいDMしてる黒歴史の塊だから
見返すことはないけど、その切り抜き部分はいつ見ても元気が出る。
持前かどうかわからないけど、頑張ってるよ。ありがとう。

高校生活はユウガくんとこの推しから成り立っていた。
でも上記の通りユウガくんだけしか残らなかった。
そのユウガ君もまた解散を繰り返していた。
大学生になって、やっとナックラーになった。
「これは続く。今までとは違う。」と確信した。
まあ後出しでしかないのかもしれないけれど。
源さんのすべてを包みこむ雰囲気。
ユウガ君のすべてを託している雰囲気。
全て雰囲気でしかないけれど。
そんなある日源さんがいったん学業に専念すると。
休止の間別のコンビで活動することを知った。
人づてにそれが男女コンビであることも。
5年前「もう男女コンビは組まん!」と言ったのを聞いていたから、
衣食住も結局外に出ることはなかったし、不安だった。
本当に向いていないと思っていたから。
いざ見に行くとポニーテールのかわいい女の子。鉛筆柄の変な服をきてた。
とっても器用でびびっときた。とっても好きだった。
初めから賞取っちゃうし、ほんとにただ物じゃない。
そこから解散ライブまで死ぬほど見に行った。
約10ヶ月と短すぎる幻を見せてもらった。
お互いにぶつぶつと愚痴を言いながらも
心の底で尊敬し合っているのが伝わる。
そんな二人の解散ライブはUPs満員だった。その時点で泣きそうだった。
この後、久保ちゃんがどうなるのかはまだわかってなかったけど、
まだこの道を進んでいてくれて本当に嬉しい。ありがとう。

ここに書いていないだけで、37期~40期は死ぬほど見たし、
松竹もみた。まあそれもまた解散したけど。
書いてて思ったけどほんとに私の青春なんて
何も残ってないなあ儚い。
でももうかれこれ20年も見てきてる界隈だから
新しい光が出てきたら応援したくなるし応援してる光はもう曇らせたくない。
でももう私みたいな傘がなくたってもっと大きな
もっと新しい傘がいっぱいあなた達光を護ってくれるから。
私はあなた達の光をもう死ぬほど浴びて焦げてしまったかもしれない。
ありがとう。

、、、お笑い遍歴?????

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?