ベンフィカの至宝、ジョアン・ネーヴェスのルーツとは?
1.はじめに
ジョアン・ネーヴェスは昨季のポルトガルリーグでブレイクした若手タレントの一人である。2022年のユースリーグでの活躍やBチームでのパフォーマンスが評価されトップチームへ昇格。昨年末のブラガ戦でトップチームデビューを飾り、4月からレギュラーに定着した。
昨季のエストリル戦後、ロジャー・シュミット監督は以下のように語っている。「ジョアンの起用は賭けではないよ。トレーニングでも十分にクオリティーを見せていたからね。」5月の第33節、リスボンダービーでは敗戦濃厚の後半、値千金の同点ゴールを決め、チームの優勝を大きく手繰り寄せた。
ポルトガル国内では、18歳でのトップチームデビュー、ボランチ、小柄な身長という3つの点が同郷の先輩ジョアン・モウティーニョと重なるため、比較されることが多い。いずれにしても将来のベンフィカやポルトガル代表を担う逸材として期待されている。
2.誕生~幼少期
2004年9月27日、ポルトガル南部のアルガルヴェ地方の町、タヴィラ(ポルトガル南部ファーロ県の町)で誕生した。父は警察官、母は体育教師。父は警察官の傍ら、地元タヴィラのサッカーチームGinásio de Taviraの選手でもあった。
彼がサッカーを始めたのは4歳の頃であった。彼の最初のクラブは地元のチーム※Casa do Benfica de Taviraで、2008年に創設された際に1期生として加入した。
※Casa do Benfica(直訳:ベンフィカの家)はベンフィカのファンクラブ拠点で、ポルトガル国内・国外に多くの拠点を構えている。サッカースクールを構えている場所もあるが、ベンフィカ本体ほどレベルは高くない。
息子のジョアンがサッカーを始めると同時に父ペドロは選手を引退し、チームの監督へ就任した。父は息子の入団当時のプレーをこう振り返る。
「1歳上のチームと試合をした時、彼はピッチ全体を走り回って、あらゆる場面に顔を出していたよ。他の同級生たちはまだボールの触り方を学ぶ段階にあったのにね。」
3.ベンフィカ育成組織への入団
ジョアンがベンフィカの育成組織と最初の接点を持ったのは2011年のことであった。地元タヴィラで行われたジュニア世界選手権に、ベンフィカ、スポルティング、ポルト、ボカジュニアーズ、リーベルプレートなどのチームと共に参加した。
彼の並外れた才能は周囲の目を引き、アルガルヴェ地方のベンフィカ育成施設※Centro de Formação e Treinos do Benfica de Faroに加入するきっかけとなった。
※Centro de Formação e Treinos do Benfica(通称CFT):ベンフィカが運営する育成施設で、リスボンから長距離に位置する地方在住の12歳以下の選抜選手を対象とし、ポルトガル国内に6つの拠点を構えている。
アルガルヴェのCFTではゴンサロ・ラモス(現PSG所属)と出会い、彼の父であるマヌエル・ラモスの指導の下プレーした。ここでも彼の実力は傑出しており、2004年生まれで唯一3歳上のカテゴリーへの飛び級を果たした。
当時のヘッドコーチを務めたティアゴ・ファウスティーノは以下のように語っている。
「ジョアンは生来貪欲な選手で現状に決して満足しないんだ。絶対に諦めず、常に上のレベルを目指していたよ。すさまじい努力家で、諦めて捻くれることなど一切ない。上手くいくまで休むことさえしなかったよ。」
4.セイシャルでの飛躍
2016年からベンフィカのトップチームが練習拠点を構えるセイシャルで寮生活を開始。同世代のアンドレ・ゴメス、アントニオ・シウバ、ウーゴ・フェリックス(ジョアン・フェリックスの弟)とは当時から兄弟のように仲が良かった。
U-13カテゴリーから順調にステップを重ね、2020年12月には僅か16歳でプロ契約を結んだ。
2021/22シーズンにはクラブ史上初のユースリーグ優勝を果たす。ジョアン自身は膝の負傷もあり、準決勝以降出場はなかったが、松葉杖の状態で毎日練習場に訪れ、チームメイトを鼓舞し続けた。
ユースリーグ優勝後の8月、第1回U-20インターコンチネンタルカップではスタメンに復帰。ウルグアイのぺニャロールを下し、初代世界王者に輝いた。
同月にはトップチームへの登竜門であるベンフィカB(ポルトガル2部リーグ)でデビューを果たし、僅か4か月後にトップチームでもデビューを飾った。エンソ・フェルナンデスの移籍後はレギュラー格に成長し、クラブの4年ぶりのリーグタイトル獲得に大きく貢献した。
(余談)ユース時代のやらかし事件
ある日の夜、ジョアンを含む6-7人のメンバーはベンフィカ寮の備品倉庫からパワーエイド(エナジードリンク)の複数の箱をこっそり持ち出した。しかしその様子は防犯カメラにしっかり記録されており、盗みを働いたメンバーは翌日ヌーノ・ゴメスの執務室へ呼び出された。
防犯カメラの映像を見せられ、彼らは退寮処分になる可能性を恐れていた。しかし、結果的に数週間のトップチーム試合観戦禁止処分で済んだ。
当時育成ディレクターを務めていたヌーノ・ゴメス氏は彼らに重い処分を下さなかった理由をこう述べている。
「学校や練習があろうと10代には自由時間が多くあります。私自身の経験から言えるのですが、寮で共同生活をしていれば時に仲間とつるんで悪戯もします。私も寮生活をした際、彼らと同じような事をしましたし、彼らの気持ちが理解できたんです。」
ジョアンも当時の寮生活について以下のように振り返っている。
「夜に寮の廊下で仲間と話したり、ボール遊びをする時間は大好きだったね。快適なベッドがあっても常に廊下に出ていたよ。夜中に6-7人のグループを組んでパワーエイドを探しに行ったのを覚えてるよ。後で見た防犯カメラの映像には夜中12時にパワーエイドを持ち出す僕らが映っていたんだ。ヌーノ・ゴメスにひどく怒られたよ(笑)。」