17年間ライターを続けて来られた、たった1つの理由
……と、3年くらい前のブログっぽいタイトルで、自分のライターとしてのスキルセットとその研鑽のすべを振り返ってみたい。
ライターの仕事をほそぼそとはじめて、かれこれ17年になる。その間にフラフラと、京都—東京—再び京都と拠点を移した。生後3ヶ月で出会った飼い猫はあっという間に老猫用のエサを食すようになり、2匹のうち1匹は先ごろついに亡くなった。環境はいろいろと変わったけれど、名刺からライターの肩書が外れることはなかった。人付き合いは好きなのだが、一貫して話し下手である。学生時代は設計の勉強をしていた上に美術部だったので、絵やデザインに没頭したものだけど結局のところあまり上達しなかった。ある時期にはイベントを企画したりお店を運営したりもして、それなりに成果があげられたものの、流通や宣伝の仕組みを手探りし、協力者を探してなにかとものをお願いするというのは激務とストレスを呼び込むもので長続きしなかった。無難にプロでありつづけられたのは、ライターの仕事だけだった。爆発的な反響はないけれど、納品すればだいたい「問題ない、ありがとう」と返ってくる。
文章は反響があってナンボ。ライターを志す多くの人は、そう考えると思う。しかしながらなんらかの専門領域に生息するライターの場合、求められるのは必ずしも、人の心を打つ文章を書くことではない。期待されているのは取材対象を分野の歴史や潮流を踏まえて位置づけるとか、技術的な話を専門に疎い人にも伝わる言葉で説明するとか、そういう地道なことである。
これは「その分野を継続的にウォッチする」「こつこつ話を聞き、資料にあたる」「専門に疎い人にも伝わる文章を書く」の3つができればやっていける。このうち前2者はいつの間にかに身体に染み付いてしまい、もはや拭い去れない業のようなものだ。専門性というものと付き合うのはそれなりにめんどうくさく、時間もかかるわけだけど、自分はその分野に関わるものごとが好きだから自然に話題の場所にも足が向くし、公開シンポジウムみたいなものにも通うし、調べ物が苦にならない。一方で3つ目の「伝わる文章を書く」ということは、やってみて修正して……ということを繰り返し、徐々にマシになっていったものだ。
このやってみて修正して、ということは、わりと何事においても重要である。17年間、そこまでボキャブラリーや表現力があるわけではないけども、ひとまずプロでありつづけているのは、たぶん自分の文章を俯瞰で見ているからだと思う。原稿を納品する前にはだいたい人に読んでもらうし、自分でも印刷してみたり、メールで送ってスマホで読んでみたりと、環境を変えて何回か読むようにしている。誌面になってからも、まずは自分の原稿をじっくり読む。ときどき過去の原稿も読むこともある。そのたびに「ここがいい」「ここがちょっと読んでいて詰まるな」「ここはこうすればよかった」とチェックして、修正したり今後の改善事項として心に留めておいたりということをしている。文章術を述べたテキストではしばしば「文章は書いたら音読しろ」というフレーズを見かけるが、つまるところは自分の文章を俯瞰して確認してみよ、ということだ。
自分は文章を書くことにそこまで執着がなく「深い愛はないけれども、まあ向いている仕事なのかな」くらいに捉えている。向いていると感じる理由としては、自分の仕事を俯瞰し、改善するということが、ストレスなくできているところが大きいのだと思う。
逆に自分があまりうまくできていないと感じる「語る」「デザイン」「企画」といったことは、自分の中でのPDCAサイクルがまるでまわっていない。だから、そこをあらためれば達人になれるとまでは言わないまでも、人に迷惑をかけない程度には上手くなれるのかもわからない。
いまは自分の仕事を俯瞰し、改善するということを、インターネット上のサービスを使って気軽にできる。たとえばYoutubeやツイキャスでトークを公開している人には、自分のトーク力を使ってお金を稼ぐというよりも、その能力を磨くためにやっている人が多い気がする。ファッションコーディネートをInstagramやwearで発表している人も、お弁当をアメブロにアップしている人も、自己顕示欲を満たすというよりも自己研鑽を目的としていることが多いようにも見えなくもない。人々が集い、いい感じに切磋琢磨しつつ自己研鑽を積めるステージこそが、ホットなウェブサービスになっている気配もある。
いうまでもなく、この文章もそういう研鑽の一環である。そしてもし仮に私が突然動画でトークをアップしたりしはじめたら、「なにやらトークもトレーニングしはじめたようだな」と理解して、さらっと流してほしい。
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