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「感動が大きくなるから、旅は一人がいい」

昨年9月に亡くなった盟友のみ江さんは、旅が好きだった。それが改めて実感できたのは、先日開催したお別れの会で配った冊子「たかぎ み江 作品集」制作でのことだ。み江さんがここ10年あまりで撮影した写真を俯瞰したところ、多岐にわたる旅の記録にとりわけ目を奪われた。

特に興味深いのが一人旅だ。モロッコ、新疆ウイグル自治区、メキシコなど、移動や安全性、言語といった面でなかなか難易度が高そうなところに一人で行っている。誰かと行くときは、ハワイとか、イギリス、イタリア、ドバイ、香港など、わりと通俗的というか、ハードルが低めなところに行っているのだが。

お別れの会で配った「たかぎ み江 作品集」旅のコーナーより。モロッコ、新疆ウイグル自治区、メキシコ……。

これはなぜなのだろう。振り返ってみるとそういえば学生時代にみ江さんは、「感動が大きくなるから、旅は一人がいい」と言っていた。だから一人旅でこそ面倒な、しかし心から惹かれるところにトライしていたのだと思う。この言葉、言われたときはよくわからなかったのだけど、いろんな旅を経験してきた今ならよくわかる。

大人になると、仕事と旅行(または家族と旅行)がセットになりがちだ。自分は仕事の旅行によく行くけれど、これはたとえ自分でコーディネートしたとしても、どこか他律的になる。取材とか、プレスツアーとかで建築家の話をみっちり聞きながら美術館なんかをめぐると、そのときはさも有意義なインプットが得られたかのような感覚に陥るのだが、実はそういうのは、そこまであとに残らない。

それに比べ、心から行きたい場所に自ら足を運んでそこを体感したときの記憶は鮮明だ。たとえば学生時代に暗記するくらい図面を読み込んだ、OMA設計の「クンストハル」という建物がオランダにあるけれど、そこを訪れたときのことは、ホールのスケール感や椅子の質感、エントランスのベンチの傷み具合まで記憶している。もう10年以上も前なのに。

み江さんが残した記録を眺めているうちに、こういう「感動が大きい」旅を、やりたくなった。

み江さんは砂漠やスークによく行っていたけど、きっとそれはみ江さんがぽむ日記に書いていたとおり「前世がフェネックかエリマキトカゲだから」なのだろう。

自分にそういうのがあるとしたら、なんだろう。小学生の頃に4度訪れて日本との建物や街並みの違いに圧倒されたタイ、大学生時代に『SD』1996年3月号を読んで魅了されたホイアンとハノイの都市住宅。このへんだろうか。ずっと「いつか行きたい」と思っていたのだけど、強い理由がなくて行っていなかった。でも「いつか」「そのうち」といっていると、唐突に行けなくなったりしかねない。時間は有限なのだから。

ということで一週間ほど、行ってくることにした。とはいえSIMカードとかWi-Fiといった便利なものがあるのでうっかり気軽にシェアしたりして、自ら感動を薄めてしまうはずなんだけど。

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