実家忌譚
ほんとはきっと たぶんもう
またね、と言った
帰ってこないよ さようなら
私の地獄のまち
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
駅に着いてすぐに悟った
この空気を覚えている
体が覚えている こわばる肺
いつかの私より少しばかり幸せになって
ふわり、浮いてしまっていた私の足が
地に着いた
ここは井戸の底
どこまでも小さい空
小さな光が救いだと思って逃げ出したつもりが
外の世界はそんなに輝かしくはなくて
それでも
肺に入れた空気がいつもより重くて
正しい位置へ 底へ
私のあるべき位置をわからせるように
下 下 底 底
へ へ へ へ
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
内臓を引きずり下ろしていく
このまちには このいえには
明確な理由のついた希死念慮が生きていた
かつて。
外の世界は井戸の底で見たよりずっと曇っていて
生きたさの支柱も 死にたさの支柱も
幸せも不幸も失った私は
なんだ なんなんだ 私は
どうして
救いたいとか
生きたいとか
幸せになりたいとか
死んでしまいたいだとか
全部全部傲慢だ
今なら不幸になれる気がする
忘れてしまいたかったんだ
母親の顔も 向けられなかった愛情も
とっくに褪せたと思った傷口は
褪せても消えるわけじゃない
元には戻らないシミを
見ないふりしていたかった
あの人がまだ私を嗅ぎ回っている
私の名を覚えている 今も
ただ
それだけで
脊髄が冷えていく 迷妄でしょうか
花を手折る
幼子がアリの列を踏み潰す
あの人は平然と私を踏み躙る
すべて同列
忘れていたかった
忘れていたかったのだ
それでも愛されたかったこと
私は一生あなたの奴隷だということ
二度と消えない痕がここにあること
未だ夢に見て絶叫して起きること
眠るのが怖くて気絶したようにしか眠れないこと
ああ 全部全部ぜんぶぜんぶぜんぶ
圧迫された肺が元に戻らない
息が上手に吸えなくなって わたしは
翌朝 そそくさと逃げ出した
夜勤があるから帰って寝るのだと言った私は
その夜 はじめて仕事を休んだ
かつてこの地で
地獄のような日々を過ごした子供がいたこと
愛されたかったこと
一縷の光を信じていたこと
互いの地獄の部屋を重ねて
心中を約束した女の子がいたこと
やがて彼女はひとり、消えていったこと
知っていて止めなかったこと
外の世界は思っていたより汚かったこと
誰かを好きになってしまったこと
そうすればあなたのように死ねるかもと思ったこと
それでも今日を過ごしてしまっていること
全部嘘だと言ってください
ただ 普通になりたかった
それでも私
しあわせだったよ、なんて
言えるものか、馬鹿。