朝の4時、彼の鼻の穴の中は確かに溶けていた
その夏、わたしは荒れに荒れていた。
大好きだった夫が不倫。「あの子を本気で好きになった。」と、訳のわからないことを告げられ、わたしの約3年という結婚生活は幕を閉じた。
歳が10近くも離れ、お世辞にも美人とは言えない女に夫を奪われ女としての自信をすっかり失くしたわたしは、何の楽しみもなく、毎月振り込まれる慰謝料のおかげで増え続ける貯金の残高を見てはただ毎日を屍のように過ごしていた。
ある日ふと、独身時代に登録していたマッチングアプリのことを思い出し、再登録することにしてみた。
あっという間だった。みるみるうちにマッチ数が増え、あれよあれよとさっきまで画面上でやり取りをしていた男とセックスをしていた。
男で空いた心の穴は、新しい男でしか埋められないのだ。
それからというもの、目ぼしい男がいれば手当たり次第にセックスをした。それはただの穴モテに過ぎなかったが、わたしの自信を取り戻すには十分すぎるほどだった。
今まで食べたパンの枚数を覚えていないように、それまでに会った男の顔や名前なんて覚えているはずもなかった。
中島もその中の1人になるはずだった。
中島と初めて会ったのは彼の車の中だった。
「ドライブに行こう。」
提案したのはわたしだ。夏の暑さがすっかり消え去り、肌寒さを感じるようになってきたある日の深夜、わたしたちは静かに車を出発させた。
「ぽむさんて、同じ高校だったんだね。科が違うから、全然わからなかった。○○先生って今でもいるのかな。あのイガグリみたいな頭の。」
車の中では、当たり障りのない会話をして過ごした。中島はあまりタイプではなかった。目はくっきりとした二重だが顔つきは地味で、何よりびっくりするほどの猫背だった。このままドライブが終わったらセックスをせずに帰ろう、流れて行く窓の外を見ながらそんな事をぼんやり思っていた。
「じゃあ、ここで。」
アパートの前に車をつけてもらい、降りようとした時、中島はもじもじしながら言った。
「あの、ぽむさんがもし嫌じゃなければなんだけど……色々話してたら、なんていうかこう……ぽむさんと、セックスしてみたいなって思っちゃって。」
あなたとセックスがしたい。こんな丁寧に、しかも直球で誘われたのは初めてだった。
まあ、セックスしたところで何かが減るわけではない。それに車も出してもらったし。
わたしは少しだけ考えたあと、「いいよ。」と答えた。
中島のキスは、小鳥がつつくようなキスだった。
空が白んできて、カーテンの隙間から明かりが漏れる薄暗い部屋で、ちゅ、ちゅ、という音が響いていた。
キスをしながらわたしは中島のジーンズのホックに手をかける。服の上からでもわかるほどに存在を主張しているそれは、中島が興奮している証だった。
熱くてぬるりとしたものが口内に侵入してくる。空気が、どんどん淫靡なものに変化していった。
中島は、しばらく恋人がいなかったと言っていた。セックスもご無沙汰だったのだろうか、少し緊張しているように見えた。
「あ……。」
露わになった胸を揉みしだかれ、わたしは声を漏らした。それからしばらくお互いの体を愛撫したあと、中島は小さな声で言った。
「我慢できなくなっちゃった……。もう挿れてもいい?」
わたしが頷くと、中島がわたしの中に挿入ってきた。
中島のセックスはとても優しいセックスだった。かと思うと、激しく体を打ちつけられ、わたしは我慢できずに何度も声を上げ、何度もイッてしまった。
そのうち中島の動きもどんどん激しくなる。
「……ごめん。イきそう。」
そう言ったあとすぐに中島は果て、わたしに覆いかぶさってきた。そして、また小鳥がつつくようなキスをしてきた。
「もう外、明るいね。」
外では小鳥の鳴き声がし、太陽はすっかり昇りきっていた。いそいそと服を身に付け、帰り支度をしようかとしていた時、中島は思い出したように言った。
「俺、実は鼻の中溶けてるんだよね。」
「え? 今なんて?」
鼻の中が溶けているという突然のカミングアウト。わたしはその意味が全く理解できずに戸惑った。すると、中島はにやりとした笑みを浮かべて自分の小鼻を摘んだ。
「ここ。こっちの内側の皮膚が薄くなってるんだ。触ってみたらわかるよ。」
わたしはおそるおそる中島の鼻の中に指を挿れ、それを確かめた。早朝に、初めて会った男の鼻の中に指を挿れるという何とも奇妙な行為。そもそも人の鼻に指を挿れること自体初めてのことだった。
「これ何?」
わたしが怪訝にしていると、中島はニット帽を被りながら言った。
「今はなーんにも悪いことしてないよ? 調べたって何も出てこない。まあ、また会おうよ。」
中島は「またね。」と言うとわたしの部屋を後にした。バタン、という冷たく扉が閉まる音が響く部屋に1人残されたわたしは、ずっと中島のことを考えていた。
あいつは一体何者なんだ。その強烈なキャラクターは、いつまでもわたしの中に焼き付いて消えなかった。
カーテンを開ける。朝日が眩しい。
それが、悪友・中島と初めて出会った日のことだった。