スタートポイント。
最近、自由一色を求めて生きている方と話す機会があって、
本人もとても辛そうだったので、
なんとかできたら。なんて頭では思ったんです。
でもよく考えてみると、
既にある自由に気づくのは自分自身しかできなくて。
周りにできることは、その旅路がすべてを明らかにすることを
ただ信じることです。
同じ人生を歩む者同士、こころから応援したくなりました🐰
そんなもんで、ここでも自由についてちょっと日記にしてみます☆
結論からみると、
私たちの誰もが、既に自由です。
これ以上ない位に。
だけどこの上なく自由がゆえに、
これを見るのも自分自身の自由なので、
その人の世界がそこに意識をむけたとき、
その自由も振動することになります。
つまり、この世界の他のいろんなことと同様に、
『あるけど無い。無いけどある。』
究極的にはこうゆうことなんですね。
正解は、どこにもないっていう。
誰もに古い記憶があるとして、
私たちの多くは多少なりとも
自由っていうものを心の隅に求めていると思うので
解放されるという意味では、
やるべきことなどの束縛から
一度不自由を体感し、
その後に得る解放感を自由として
理解している人も多いのかもしれません。
でもこれだと、
自分が焚いた煙で咳をして、
煙が消えたら綺麗な空気に喜ぶっていう
繰り返しにもなるので、
不自由を作るのも自分。
自由を選ぶのも自分。
つまり、全て自分。
ならいま、自由を選んだらどうですか?
という提案をここでは書きたいと思います。
上にも書いたように、
この世界のすべては、あるようで無い。無いようである。
これ一本なので、
自分がそうだと信じて見ていることが
法則になる世界でもあります。
なので今目の前にみえることは
リアルタイムの即興で選ばれたことではなく
それ以前に信じて見ていたことが
ここに現実として届き、体感しています。
現象を作る意識は時を介さないので、
もう全てがそこに揃っているからです。
このことからも、
私たちがどれだけ自由な存在かは伝わると思うのですが、
常にスタートポイントにいるという意味で、
私たちが今見えている事にリアルに怯えたり苦しんでいても、
現実は何も変わらない。というのはこのことです。
目に見えることのない自由ですら、
今もうここにあることが分かるので、
そんな世界を現実にもみたいのであれば、
もう既にあることを知り、安心するだけで充分なんです。
誰もが自由。これも、
人生は夢のようなもの。これも、
願いは既に叶っている。これも、
すべて、自由に、観たいように生きれるのが
私たちです。
肉体があるということは、物を持つという意味で
時の流れの中にあるので、
完全な自由。とまではいかないと思いますが、
こうゆうのも含めて、
ひとりひとりが無限のキャンパスを持つ私たちは、
そこで自分が自由になんでも想像できて、
かつ、創造してしまう力までを持つので、
このこと以上の自由は、
他無いんだと、私は思ってます。
自由を体験するために
苦しみを見てから自分を自由にする。
っていうのもマストではありませんし、
これが自分に与えられた選べない運命だ。
なんてことも、どこにもありません。
こうやって生きるしか無いんだ。っていう苦しみ等は、
自分でってよりも
実は人からもらった記憶や、
どこかで拾ってしまったアイデアだったりするので、
本気になって信じ込む必要もありません。
ただ、そうゆう記憶がどこかにあるとして、
それならその記憶は今はもう存在してないと
理解することこそ、本来の自由を開く機会です。
なので自分でも苦しいと分かっているけどやめられない。
自分にはどうしようも出来ないと感じた時こそ、
タイミングです。
人生選べます。
苦しいなら止められます。
修行するための人生では無いです。
もっと楽してもいいんです。
特にこれからは、もっともっとこうゆう生き方が
主流になって来ると思うので
いろんな選択肢が選び放題だと
知ることでもっと楽になるかと思います。🌟
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