太陽の子〜LOVE&PEACE
目を閉じると京丹後の青い海、青い空、そして3人の笑い声が…
映画「太陽の子」を観た。
昨年8月15日に放送されたテレビ版を録画したものの、海への入水シーンなど裕之と春馬が重なってしまう気がしてずっと観れずにいた。
映画の前に観なくてはと7月下旬に観てからの映画だったので二つの作品の違いがわかりやすかったかも。
映画の方が柳楽優弥さん演じる修の研究者側の部分がより強く描かれていた。そして改めて柳楽さんの演技に感銘した。
STORY
1945年の夏。軍の密命を受けた京都帝国大学・物理学研究室の若き科学者・石村修(柳楽優弥)と研究員たちは、原子核爆弾の研究開発を進めていた。
研究に没頭する日々の中、建物疎開で家を失った幼馴染の朝倉世津(有村架純)が修の家に居候することに。
時を同じくして、修の弟・裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰郷し、久しぶりの再会を喜ぶ3人。
ひとときの幸せな時間の中で、戦地で裕之が負った深い心の傷を垣間見る修と世津だが、一方で物理学に魅了されていた修も、その裏にある破壊の恐ろしさに葛藤を抱えていた。
そんな二人を力強く包み込む世津はただ一人、戦争が終わった後の世界を見据えていた。
それぞれの想いを受け止め、自分たちの未来のためと開発を急ぐ修と研究チームだが、運命の8月6日が訪れてしまう。
日本中が絶望に打ちひしがれる中、それでも前を向く修が見出した新たな光とはーー?
「映画 太陽の子」公式サイトより
ゆっくりと美しく
戦地から一時帰郷する裕之、鮮やかな緑の中凛々しい靴の音
京丹後の青い海、青い空、激しい波、穏やかな波
大切そうな包みから取り出すウランの鮮やかな黄色
ガラス瓶の音
薪を石炭をくべる激しい炎
風のざわめき
時折ある台詞のないシーン、静寂
自然をベースに自然を大切に作られたニコ・ミューリーさんの音楽
いわゆる戦争映画とは違って鮮やかな色や音と共にストーリーがゆっくりと心に沁み渡るそんな感じがした。
厳しさの中、垣間見える子供っぽさ
戦地から一時帰郷した時、「大丈夫や」と見せた笑顔
ばら寿司を頬張り味わう笑顔
母の前では優しい息子らしい笑顔を見せる裕之
お風呂で嬉しそうに世津と話す眼鏡を外した修の表情は童心に戻ったように可愛かった
両手で頬杖つき修の寝顔を見る世津の笑顔は反則級
原子について話す修の子供のようにキラキラした瞳、それを嬉しそうに聞く世津
どれも戦時中だということを忘れさせてくれるような笑顔だった。
それぞれの夢
戦争が終わった後の世界を見据えていた世津の夢は教師になること
「裕之さんが無事に帰ってくることや、ケガなんかしたら承知しませんよ!」
「修さんは学問頑張ること!」
「はい」と、二人に返事させる世津はすでに教師のようだった。世津が二人の手を取り三人で思い描く未来
「いっぱい未来の話しよう」
修は未来につながる研究を、戦争がなければ裕之の夢はなんだったのだろう…
世津が問いかけた子供たちの夢
早く結婚してたくさん子供を産んでお国のために捧げる
キラキラした目でそう言った… 儚い…
母フミさんをリスペクト
すべてのシーンでセリフの少ない母
そのセリフの前後には続きがあったであろうと、想いが伝わってくる田中裕子さんの演技が素晴らしかった。
どうしても母目線で観てしまい、あんなに強く優しく逞しく控えめに愛情を注ぐ母になれるだろうか?
帰郷した裕之にかけ寄りよろめくフミさん
ばら寿司を作るフミさん
裕之の散髪をするフミさん
炊き立ての白米で大きなおにぎりを握るフミさん
出征する時に耳を触るフミさん
科学者の母として逃げないと言うフミさん
修にもおにぎりを持たせるフミさん
数え切れないほどの愛情を感じた。
出征する時に抱きしめずに耳を触った演技について書かれていた。
強い決意でここを去ろうとしているのかという春馬くんの演技の芯みたいなものが生まれていたから、それを無理やり、抱きしめて、揺さぶるということはできないと裕子さんも思ったんでしょうね。だからこそあの仕草になったんだと思います。
本当に気持ちの伝わるシーンだった。耳を触ることで裕之の顔がアップになり、その表情がまた素晴らしくて…
この先私の人生で娘たちが困難な局面に遭遇した時にはフミさんのような強い母でありたい。
願わくばそんな局面に遭遇したくはないけれど。
戦地でのことは何も言わない裕之
裕之は時折厳しい表情、寂しい表情の時がある。
防空壕で空を見上げる横顔、バスの故障で焚き火を囲んでる時の横顔…
母と世津はそんな裕之を気にかけているが何も聞かない、聞けない…
あちらでのことを聞いても何もしてあげられない、そんな感じなのだろうか。
裕之の本音が出たのは海でのシーン
「怖いよ、怖いよ、オレだけ死なんわけにはいかん」
怯えた表情、しばらく続く嗚咽…
「戦争なんてはよう終わればいい、勝っても負けてもかまわん」
世津の強さに救われた。
研究チームの堀田が志願し戦地に行くが、呼び戻し口論になった時の荒勝教授が言った「生きるんや」
これこそが正論だと思った。
生きてこそ、命があってこそなのだ…
1945年8月6日 広島市への原子爆弾投下
たった一撃で、本当にあの変わり果てた景色に姿になってしまうのか?恐ろしい。
アメリカの研究が投下が先で良かったという記事を見た。
私が広島に住んでいたら、家族が自分が犠牲者や被爆者だったら?
日本が先に投下してくれていたらと思うのだろうか?
戦地に行ったからには生きて帰るわけにはいかない、子どもを沢山産んでお国のために捧げる、全てがおかしい、おかしくなってしまう戦争。
争いからは何も生まれない。
同じ過ちを繰り返してはならない。
そんな気持ちを彷彿とさせる映画「太陽の子-GIFT OF FIRE」、これから先も毎年のように世界中で放映、上映されることを願いたい。
「いっぱい未来の話しよう」
優しく、美しく、強く、激しく、そしてゆっくりといつまでも心に響くそんな作品だった。
一度目の鑑賞を終えて、この拙い感想をまとめきれずにいたら〈メイキング付き上映〉が始まった。
二度目の鑑賞は色々なシーンで裕之と春馬がシンクロしてしまい終始涙が… でもメイキングを観て、現場を楽しんでいる姿や笑い声を聞いて少し幸せな気持ちになれた。
LOVE&PEACE