同じ長さの菜箸が見つからなくて

2024年8月24日
 生きていくのは大変だ。大変だよな。本当に。
 シェイクスピアやチェーホフのセリフがしみるって、生活水準が向上しようと、寿命が伸びようと、事態に対する人間の対応というものの伸びしろどんだけあるんか、という感じだ。つまり精神構造は変わっていないということか。どうなんだい。

 子どもの頃に戻りたくないが、ここ数年の年齢の増え方は加速度的だ。あっという間にこんな年になった。それで、戻りたくはないが、言いたいことはある。小学校1年の自分と、小学校5年の自分に、言いたいことはある。
「友だちと離れ離れになって、生きていた世界が粉々に壊れてしまうと感じるかも知れないけど、友だちはいなくなるわけじゃなくて、今永だって竹中だって、同じ空気を吸って生きている。世界は繋がって、やっぱり時間は続いていく。何十年か経てばもう会えないと思っていた人にだって会えるようになる。だから悲しまないで。新しい出会いもきっとたのしいから」

 こんなことを聞いていたら、知っていたら、もう少し強くなれたかもしれない。エモーショナルな感じに受け取られるかもしれないがそうじゃなくて。親もきっと生活を回すことに精一杯だったのだ。教えてくれなかった。今時分はWebもTV電話あるので繋がりは望めばいつまでも続けられる。

 あすけんってすごいなあ。食事で、自分がいかに偏っていたのかが良く分かる。できるだけバランス取って食べるようにしているが、摂り過ぎているものや摂れてないものを、習慣的な食の中から増やしていくのはとてもむずかしい。だから「これ、試しに食べてみよう」とか、「ちょっと料理してみよう」とかが出てきて、いい。そして、日々、誰かの栄養を考えながら食事を作っているすべての人に尊敬を向けている。あなたはすごいです。偉いです。

 宇多田ヒカルが ”緊張の克服方法” をインスタライブか何かで話していたという情報を聞きつけ、調べた。緊張ワクワクからくる興奮は体の状態としては似ていて、体に対して、その認識を「緊張する」「怖い」から「楽しい」「ワクワクする」の方向へ言い聞かせてやるとパフォーマンスが向上する、というようなことだ。これを先日知ってから、少し試してみるとなるほど、なるほど! 色んな場面が驚くほど楽。

 かつてはこれを、無意識にやっていたんだよな。

 何かのきっかけで、それまでできていたことができなくなってしまう。それを取り戻していく。というか、どうしてできなくなるのか、それはどういうことなのか、ひとつひとつ確かめていくことが増えてきた。うまく対処できないときなどをどう過ごすか。大きなお守りをもらったような心持ちだ。全人類が知ればいい。

 戯曲のことだが、台詞を構築していく際に、自らの状況から重ねていくものと、相手の状態に応じて重ねられるものがあるということがわかってきた。こんなにきっぱりと言語化して掴んだわけではなくて、ああ、どうしてここはこんな感情になるんだろう、と、読んでいて思ったことが重なって、それからゴロゴロとその思考を転がしていたところ、昨日、上記のようなことを思いついた。だからってどうってことはないのだけど、自分が実践していないかと言われたら、実践しているのだけど、自分にわかりやすく言葉にするとこうだな、と思った次第だ。この話はまた、興が乗ってきたときにでも書こう。

 ふと思ったけど、進んでいない「ファイナルファンタジーⅩ」があって、僕がコントローラーを握っていない時、ティーダは何をしてるんだろう。ぼさっとしてるのかな。シンを倒す旅の途中だけど、ぼさっとしてるのかな。ユウナは元気かな。そう考えると、兄や姉、弟や妹が、ゲームソフト所持者の留守中にレベル上げをしていたり、勝手に進めたりしているのは理に適ってるんじゃないか。プレイヤーに冒険を合わせる必要なんてないんだ、ティーダ。進みたければ進んでくれ。ティーダ。
 やったことがないけど、MMOのゲームや、オンラインの箱庭ゲームはそんなようなものかもしれない。やったことないからわかんないけど。イベントが進んでたりしそうだ。でもそうしたら、僕はどうやってその世界に関われるのだろう。遠慮してたら僕を置いて世界はずんずん進んでしまう。となると、積極的に世界に関わるしかない。やっぱり、その世界に絶えず接しているしかない。もしくは進捗を教えてくれる、仲間がいればいいのだけど。


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