「キリストは1700年前ローマ皇帝コンスタンティヌスによって発明された架空の人物である」byエウシビス・パンフィリス(西暦325年の内部告発者)
QAJFのよっちです。
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今回はまた驚きの内容です!なんとキリストは存在して。。。。。!🫣😳
Eriさん、こちらからです❣️✨✨⬇️
ERIQMAPJAPAN
OCT 08, 2024
エウシビス・パンフィリスは西暦325年、コンスタンティヌス帝が支配していたローマ帝国のニカイア公会議の時代に実在した内部告発者です。
彼の著書は『祝福された皇帝コンスタンティヌスの生涯』というもので…酷い内容の本ではあるのですが…そこには、 イエス・キリストが創り出されたニカイア公会議で、内部告発者として経験したことが詳細に書かれています。
ニカイア公会議は325年に召集され、数年間続きました。
コンスタンティヌスは
ブリテン(英国)出身の男性でした。彼はブリテンとガウル(フランス)の皇帝として生まれ、スペインの一部も治めていました。青年期には、彼は自身の誓いを守り、ブリテン、フランス、スペインの皇帝としての権力を利用してローマを攻撃し、ローマ帝国を乗っ取りました。その時点では、ローマ帝国は弱体化してしまっていたので、ブリテンがその時代のローマ帝国を支配するようになったのです。ところが、当時は2,500以上もの宗教が存在していたため、彼は多くの問題を抱えていました。
それは…念のため言っておきますが、当時、地球上の99.999%の人々は読み書きができず、誰も字が読めなかったことが原因です。本も無く、すべてが口頭伝承で、動画もなかったので、当時は、広場に行って誰かの話を聴いたり、2人の男が議論するのを観たりするのが娯楽でした。
とにかく、コンスタンティヌスは、長老と呼ばれる人たちがあちこちを駆けずり回り、2,500もの様々な宗教のバリエーションを話しまくっていたことに、頭を抱えていました。ローマ帝国が弱体化した理由の一つには、長老たちからの攻撃があったのです。
内部告発者であるパンフィリスは、教会の初期の歴史について詳述し、ニカイア公会議での経験についても書いています。でも、彼が書いた本は、断定的な内容が1ページあるごとに、9ページもの長文で、コンスタンティヌスがどんなに素晴らしい人物だったかについて長々と説明していたせいで、歴史に埋もれてしまったのです。わたしも、このような文章は耐えられません…こんなものを読み進めるなんて、考えただけでもうんざりします。
彼はこの本の中で、西暦325年のニカイア公会議でイエス・キリストがどのような経緯で発明されたかについて、詳細に述べています。
コンスタンティヌスは司祭たちを全員召集し、彼らをニカイアに連れて行き、「我々の目的は、それが何であれ、ローマ帝国全体のための統一宗教を持つことだ。今ある神の中から一つを選んで終わりにしよう。こんなカオスな状態はもう耐えられない!」と言いました。そして実際には、多くのことが、司祭たちによる言語の再定義に帰着しました。これは、今で言う “woke主義”の人々が行っていることとよく似ています。また、このプロセス全体には、あからさまなエロヒム崇拝カルトの影響もありました。
召集された評議会は、争い、もみ合いながら、2,500柱もいた神々のうちの1柱を選ぶことにしましたが、それはまさに大混乱で、誰もがただ右往左往し、喧嘩をし…といった状況が続きました。そしてついに、彼らはプロセスを考案し、投票を行うことにしました。“コンボケーション(投票)”…それが、彼が使った表現です。
彼らは18ヶ月間投票を行い、神を絞り込んでいきました。彼らは100%時間を無駄にしたというわけではありませんでしたが、このプロセスについて、もう一つ理解しなければならないことがあります。
当時は、現代のような通信手段はなかったし、馬よりも速いものもなかったので、 “迅速に物事を進めねば”というプレッシャーもあまりありませんでした。
そして、これらの司祭たちの多くは、このプロセスが進行している間、帝国によって養われ、食べ物を与えられていたため、したい放題の贅沢をしていました。これは政府による税金の無駄遣いでしたが、彼らはそれを最大限に利用しました。彼らは、投票をしては誰かが反対意見を投げかけ、また投票をやり直す、といったことを繰り返していましたが、18か月かけて、やっと最終結論に達しました。
とにかく…ネタバレを言っておきますが、コンスタンティヌスは、本当に苛立っていました。18か月の間に帝国の大部分が本当に分裂し始めて、大変なことになっていたからです。そして彼は、このプロセスの開始から18か月後、ニカイアに戻り、司祭たちに「よし、お前たちが決断を下せ」と言いました。
彼らはそれに対し、「わかりました。最後の投票を行った後、こちらから出向いて選択肢をお見せします」と答えました。そこで最後の投票が行われ、最終的に5柱の神に絞られました。
というわけで、コンスタンティヌスはついに、西暦327年、ローマ帝国の統一神を選んだのです。
彼は、ブリテンの神であるイェシュアと、ヒンドゥー教の神であるクリシュナを選び、それらを混ぜ合わせ、クリシュナをローマ字化することで、キリストという名前にしました。
つまりキリストは、 “イェシュア・キリスト”だったのです。その後、アルファベットにJが加わったことで、 “イエス”となりました。
最初の使用例は、その会議から85年後だったと思いますが…いずれにしても、彼らはその時点で、イエス・キリストを発明したのです。そして、内部告発者のエウシビス・パンフィリスに、新約聖書の作成を担当させ、327年に生存していたすべての長老たちへの呼びかけが行われました。
さて、コンスタンティヌスに悪態をつき、毒を盛った、オリジナルの教会設立者たちが大勢いました。当時、その人たちは、ラビ評議会とは呼ばれておらず、パリサイ派と呼ばれていました。
パリサイ派が毒を盛ったのは、コンスタンティヌスらが旧約聖書(トーラー)を新ローマ聖書に含めることに抵抗していたからです。パリサイ派は、それを聖書に盛り込んで、自分たちを国家の一部として確立させようと躍起になっていたのです。なぜなら、彼らは、キリスト教がどこに向かうのかを理解していたからです。
とにかく、以上が、この本のネタバレの内容でした。つまり、イエス・キリストは100%でっち上げられていたことが判明したのです。
エウシビスは、ヨセフやその他のように、十字架の参拝所をでっちあげ、それをパレスチナに置くなどした人たち(宗教詐欺師たち)にとっての元ネタでした。
エウシビスは、そのことをわかっていましたが、人々は、彼をパレスチナのカイサリアの司教にしました。それが、彼が得た報酬の一部となりました...彼はそれほど長生きはできませんでしたが。いずれにしても、こういった背景があったのです。彼はこの時点で、非常に重要な人物になりました…西暦325年の内部告発者だったのですから。
さて、最後にもうひとつだけ取り上げたいのは、言語についてです。335年より少し前の、西暦330年代のいつかだったと思いますが、キリストがでっち上げられた後、コンスタンティヌスは帝国の権力を金銭的に利用しました。
そして、おそらく政府が費用を負担した最初の集団心理操作のひとつになるのでしょうが、ローマ帝国は、人々を雇って、新しい宗教を布教させました。
この、彼らが布教のためにラテン語で使用したフレーズは、「あなたはイェシュア・クリシュナに目覚めましたか?」...つまり、「イエス・キリストに “woke”しましたか?」といった内容のものでした…ちょっと面白いと思いませんか?わたしはこれ、ユーモアがあると思いました。
ローマ帝国は、その集団心理操作を何年も続け、キリスト教は非常に急速に広まりました。
念頭に置いていただきたいのは、これらの人々は皆、ごく普通の一般の人々だということです。彼らは権威に縛られています。自分自身で考える能力も、自分自身で多くの情報を得る能力もほぼありません。そのため、コンスタンティヌスが統一宗教を推進するのは比較的容易でした。 しばらくはそれでうまくいきましたが、その後、ローマは衰退しました。
そして、その500年後、すべてを無効にするもうひとつの会議が開かれ、「325年に開かれた会議はデタラメであり、すべてがウソである!」と、勝手に決めつける宣言がなされました。
また、この会議の過程で、トーラー(旧約聖書)が、 “地理的な参照なしに含めることができる完全なるフィクション”として提供されるようになったことが判明しました。
ところで、トーラーにも聖書にも、ピラミッドについては一言も書かれていません。もし、ユダヤ人が実際にエジプトにいたのであれば、ピラミッドが彼らより前に存在していたか、あるいは、彼らがそれを建造したか、もしくは 、彼らがピラミッドを想像していたかの、いずれかを考えることができますが、どれもまったく辻褄が合いません。
そして今も、さまざまな内部告発者が現れています。
(END)