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罪名、一万年愛す
皆さんは戦災孤児と呼ばれた子どもたちのことをご存知でしょうか。太平洋戦争で親を失い、戦後、瓦礫と化した町に放り出された子どもたちは、十二万人にものぼると言われています。終戦直後の上野駅には、身寄りを失ったそんな孤児たちがあふれていました。彼らは駅の待合室や階段で暮らしていましたが、やせ細り、栄養失調で亡くなる子も少なくありませんでした。亡くなった子は駅員によって、外へ運び出されました。そして亡くなった子が寝起きしていた場所には、いつの間にか、また別のやせ細った子の姿があったのです。子どもたちは大人の使いばしりなどをして食べ物をもらい、なんとか命をつないでいましたが、死の不安に怯える毎日でした。そのうち、あまりの空腹のために盗みを働くようになる子どもたちも出てきます。物乞い、スリ、パンパン・・・。子どもたちは生きるためになんでもしました。野良犬を殺して食べ、たった一杯のすいとんのために体も売りました。最初は、駅の子たちを憐れに思っていた大人たちも、次第に彼らを疎ましく思うようになります。戦争をしたのは大人です。そして犠牲になったのが駅の子たちなのです。しかし、その大人が彼らを蔑むようになったのです。いつのころからか、彼らは浮浪児と呼ばれるようになりました。野良犬や虫けら。そんなニュアンスに近い呼び名でした。国は無策でした。