2024年の狂想曲
この記事は おたそ~Advent Calendar 2024 赤展示場22日目の記事です。
赤展示場: https://adventar.org/calendars/10222
黄展示場: https://adventar.org/calendars/10176
26年ぶりの歓喜の瞬間
2024年11月3日。 横浜は歓喜に包まれた。
プロ野球チーム、横浜DeNAベイスターズが26年ぶりの日本シリーズ優勝を決めたのだ。
九回、森原が三つ目のアウトを取る。試合終了。マウンドに集まる選手、コーチたち、そして監督。なかなか始まらない胴上げに、解説席から「慣れていないのだ」といったコメントが微笑ましげに述べられた。
球場のある横浜公園にはチケットはないが雰囲気を味わいたいと人々が詰めかけた。集まったファンの前に現れた南場智子オーナーが挨拶にと手を振ると、「南場コール」が起こったらしい。
その後行われたセレモニーやビールかけまでの歓喜の一夜の様子をニュースや動画で目にした人は多いかと思う。
ここではこの翌日以降の「日本シリーズ優勝を果たしたことで横浜の街がどうなったか」を備忘録として残しておきたいと思う。
神奈川新聞が見つからない
11月4日月曜日。翌日の朝である。
なんといってもこの日は新聞だった。同時期に行われていたMLBのワールドシリーズは少し前に終わっており、スポーツ新聞の1面は日本シリーズ優勝で締められるはずだからだ。
優勝に飢えていた横浜のファンはまず新聞を買い求めた。コンビニや駅の売店に並んだスポーツ紙の1面はどれも26年ぶりの日本一を報じていた。
もっとも購入難度が高かったのは神奈川ローカルである神奈川新聞である。朝のニュースで新聞社在庫が全部はけてしまったと報じられ、でも近所においてある店舗あるしどこかにあるだろうとコンビニを巡ったのだがない、ない、どこにもない。スポーツ紙はあるのに神奈川新聞が売り切れるなんてある?
結局町田駅のホーム売店で見つかった。元々町田まで出向く予定があったので幸運な偶然だった。これだから町田は神奈川と言われるんだぞと思った。
11/4の神奈川新聞朝刊は再販の希望が多かったのか、後日日本シリーズ優勝号外とともに通販販売が行われた。新聞のバックナンバーって聞いたことないけど他球団優勝の時はあるんでしょうか。
ああ何処、週刊ベースボール
次に皆が求めたのは雑誌であった。
週刊ベースボールという雑誌がある。名前の通り野球を専門とした週刊誌で、日本プロ野球だけではなくMLBや甲子園、ドラフトの特集も組む、野球ファンなら誰しも知っている雑誌である。
11月6日水曜日。この日発売の雑誌はかねてより日本シリーズ結果の速報を載せると予告されていた。
とはいっても野球専門雑誌である。これまで売り切れたなんて聞いたこともない。ただ、普段買わない人もこれを記念に買い求める人は多いかもしれないから当日中に本屋に行って入手しておこう。そう思っていた。それが間違いだった。
発売日当日。どこにいっても週刊ベースボールがない。コンビニにも週刊誌を置いているスーパーにも、もちろん書店にもない。何件巡っても見つからない。置いてあったと思われる個所にはオオタニサンが表紙の別紙や、巨人やホークスがシーズン優勝した時のバックナンバーが置かれていた。
電話をかけても在庫はないし、再入荷も分からない。店員さんが雑誌名をメモする手つきがやたら慣れていた。きっと今日たくさんの問い合わせを受けたのだろう。
X(旧Twitter)で状況を追ってみると週刊ベースボールが見つからない、いわゆる週ベ難民が大量に発生していた。
「この◯◯書店には一杯積んであったからおすすめです!」という有志のつぶやきがあった。それを見て集まったのだろう週ベを追い求める者が、張り出されたばかりの「11/6発売週刊ベースボール売り切れです」の文字を見て肩を落とし踵を返す。そんな姿が大量発生していた。
この雑誌入手にまつわる一連の流れで尽力したのは有隣堂横浜駅西口店ではないだろうか。ジョイナスという駅ビルにあるこの店舗は、通路を挟んだ向かいに横浜DeNAベイスターズのオフィシャルショップ・ベイストアジョイナス店がある。ベイスターズファンには認知度の高い本屋である。
かねてより横浜にまつわる本を揃えたエリアを作っており、そこには当然ベイスターズの本が並んでいた。クライマックスシリーズ期間中は一番目立つところに特設コーナーを作り、三浦大輔監督や南場智子オーナー、大のベイスターズファンで知られる佐藤氏の著作であり、ベイスターズファンをモチーフにした「いつの空にも星が出ていた」を並べていた。
きっとここなら。そう思い足を運んだ人が多いのだろう。有隣堂横浜駅西口店は週刊ベースボールの再入荷をし、11/6以降に発売されるベイスターズ日本シリーズ優勝特集を組んだ関連雑誌の予約票を作り、迷えるベイスターズファンに手を差し伸べた。予約をする人々はサービスカウンターに列をなし、ベイスターズに全く関係ない利用者は列の長さに驚いていた。
2週間のうちに計6冊の雑誌が販売されたがすべて入手することができたのは書店さんの尽力のおかげである。本当にありがとうございました。
週刊ベースボール(11/6発売分)は週刊誌としては珍しく増刷され、普段の3倍売れたらしい。1日遅れだが電子書籍の配信もしているので読もうと思えば電子書籍でもいけるのだが、記念品として手元に残しておきたかった人が多かったのだろう。
横浜が青く染まる夜
優勝が決まった3日夜、その翌4日からは横浜市の各所で記念のライトアップが行われた。
横浜スタジアム、マリンタワー、コスモクロック、ちょっと離れた新横浜にある日産スタジアムも青に染まった。普段は横浜Fマリノスの本拠地としてトリコロールカラーで彩られる日産スタジアムが青一色に染まる姿はなかなか珍しいものだった。
マリノスは数年前にI☆YOKOHAMAシリーズと称し、選手の交流やコラボユニフォームが作られるなど肩を並べた企画があった。またやってほしいと密かに願っている。
ライトアップは11月10日までの期間限定であったが、優勝パレード記念として11月29日、30日にも再び行われることになった。開催数は15カ所から52カ所への大大大グレードアップである。ライトアップを見るために出歩く人が増え、結果経済効果があったのだろうか。
どれも素晴らしいものであったが、コスモクロックは青くなるだけでなく、文字やマスコットたちの顔が次々に浮かんでは切り替わる特殊演出であった。
この30日のライトアップに合わせて花火も上がった。大さん橋では今年から週末に5分間の花火があがる催しが行われていたのだが、そことのコラボレーションである。コスモクロックと合わせて見に来る人々が多かったのか、氷川丸付近の広場では人々が集まって空を見上げていた。
もちろんあるよ、優勝セール
下剋上優勝でももちろん優勝セールは行われる。
有名どころというと、横浜駅の東西に並ぶ百貨店そごう・高島屋だろうか。双方が優勝決定翌日である11月4日からセールが行われた。百貨店の店員さんがベイスターズのユニフォームを着、婦人用品やお高い総菜の並ぶお洒落なエリアに球団歌「熱き星たちよ」が流れているのはなんとも不思議な光景だった。店員さんたちの着ているユニフォームの中には選手のサイン入りのものがいくつかあった。個人の私物だったのだろうか、気になったがさすがに聞けなかった。
この他にもチームスポンサーであるありあけハーバー、家電量販店のノジマ、横浜駅のエキナカ等々たくさんの場所で優勝記念セールが行われていた。私が知らない店でも行われていたのだろう。
26年前の記憶
優勝セールにまつわる思い出がある。
26年前、1998年のことだ。優勝を記念し当時もセールが行われた。母に連れられて出向いた店の店員が「もうベイスターズの優勝は見られないかもしれないよ!」と言っていたのだ。
当時の私は野球にそこまで興味がなく、ベイスターズの2回目の優勝だなんてことも知らずに「なんてことを言うのだ。そんなことあるわけないじゃないか」などと思ったものだったが、その後のベイスターズは低迷し、最下位の常連となった。
その頃にやっていた夜のバラエティにリーグ戦を応援して勝たなければ食事が取れないという、今考えればとんでもない企画があったのだが、ベイスターズの担当は何日も食事が取れずにギブアップとなっていた。
本格的にベイスターズを応援する前の私にとってのベイスターズとは「ずっと弱くて最下位で、もう優勝できないと思われているチーム」だった。
ここ数年、肝心なところで負けてチャンスを逃す、ということが多々あったのだが、それを乗り越えてようやく勝ち切ることができたのだ。
負け癖という言葉があるが、勝ち癖というものもあると思ってる。勝たなければ勝ち方は身につかない。今年勝てたことは大きな財産になるだろう。
だからスタジアムに足を運ぶ
日本シリーズ優勝というタイトルを獲ることができたが、シーズンは3位である。それも、台風で1カード延期になって休養期間ができたとか、9月に入ってから負けがこむチームが出てきたという、運が味方しての3位だった。シーズン優勝を遂げていないチームの日本シリーズ優勝に価値があるのか。そんな話題を何度も見た。
だからこそ、次はシーズン優勝してからの日本シリーズ優勝が見たい。誰にも文句を言わせない完全無欠の優勝を成し遂げて欲しい。
そうして今年以上の盛り上がりを横浜の街にもたらして、また横浜が青く染まる日が来たらいいなと願って来年もスタジアムに足を運ぼうと思っている。