引き金
正直にあれやりたくない、これやりたくないを口に出し続けてきた結果、自分が引き金になっていた……そんなことに気づいてしまった今日この頃です。
悪魔のささやきに聞こえるかもしれませんが、間違いありません。
引き金
私はイエスマンとまでは言いませんが、物事を断ることができず、悩んでいるようなことが日常的にあったりします。
しかし気分に浮き沈みがあるのか、稀にやりたくないことを「やらない」「私はしません」とはっきりこたえてきたシーンもあったのです。
そうこたえてきたシーンに一貫性があったのかどうか謎ですが、今思い返してみると、
その発言が引き金となり、周囲の人間を巻き込んできてしまっていたのだなということに、この年末に気づいてしまいました。
例
例を挙げるとするならば、私がまだ外で働いていた頃。職場で仕事終わりに毎回飲食やカラオケなどを同僚たちは共にしていたようなのですが、私は「行きません」の一点張りで一度も参加したことがありませんでした。
理由は別の仕事があるからと伝えつつも、本当は単に参加したくないからでした。
しかしある日、はっきりと
「誰が好きとか嫌いとかはないですよ。ただ行きたくないんですよね」と話したところ、これが引き金となったようで、実は行きたくなかったらしい人たちが皆行かなくなって、集まりが終わったという出来事がありました。
そこで、あーあ、やってしまったな(そもそもみんな行きたくなかったのか……)と思っていたのですが、実はほかにも似たようなことをしてきてしまっていたようです。
私が今まで発言してきた「行きたくない」「参加しません」が引き金となり、この年末に大きな事態に発展してしまい驚いています。
もう少し踏み込んでお伝えしますと、私がそのような態度を取っていたために、母も「自分もそう言っていいのだ」と思ってしまったようで、それが原因で大きな縁が切れようとしています。(※私と母など家族間の縁ではなく、別の人との縁です)
今回我が家ではそれを大きな物事として捉えていますが、確かここでよくお話してきた友達の家はそれをもっと古くから行っており、とっくに縁が切れているような話を聞いたので、彼女あたりに話せば今更感があるかもしれません。
この話は進展があればまたここでお話したいと思いますが、今言えることは
結局人間、嫌なことはやりたくないのだなということを、思い知らされるばかりです。
嫌=それなりに身体に拒否反応が出るくらいには、目に見えない時期から身を守りに入っているような気がします。
みなさんも今、嫌だと感じている物事があれば、それは確かに「やるべきことではない」と、本能が拒否反応を示しているサインかもしれません。
嫌なことはこの年末に大掃除してみてはいかがでしょう……。
次の記事⇒ 今年最も気に入った韓国の食材3選