畳の上で
今日はなんだか文章に書くことが思い浮かばないな......と思いながら書き始めた次第です。
今日あった別の出来事で頭がいっぱいだからです。
悲しい
今日は悲しい出来事がありましたね。
お昼頃、いつも開かないはずのLINEのニュースを何気なく開いてみたところ、こんなことが書いてありました。
「安倍元首相銃撃」
......?
誰がどう銃撃?
私は最近よく漢字の読み間違いをしがちなので、「ああ、突撃の間違いだったかな。話を聞きに誰かが押しかけたのだろうか」などと頭では考えながら、既にインターネットの検索ページに飛んでいたもので、“読み間違い”だと思いました。
ですが違いました。
様子
実は正直なことを話しますと、安倍さんが被害を受けられた後の写真や映像を見ていません。
ですが今回非常に驚いたのは、本当に何気ない日常生活の中で起こした悲劇だったということを実感させられたこと。
こちらの Yahoo!の記事 を見ていただけるとわかると思うのですが、銃を持った犯人の2~3メートル後ろに、一般市民が普通にいるのですよね。
自転車でたまたま通りがかった男性、たまたま通りがかった女性2人が歩道のところにいます。
ほかの新聞記事 に載っていた写真だと、警察官が犯人の免許証を手に取って情報を確認しているのですが、最近のカメラは画質がいいせいか、はっきりと免許証の情報が見えてしまっています。
警察官が免許証を手に取ってその手元が見えてしまうという例は、今まで個人的には見たことがなかったように思います。
これなら犯人の自宅場所もすぐ情報が流れてしまったのではないかと。
ショックであまり深くは触れられませんが、悲しいです。
心よりご冥福をお祈りいたします。
よく戦争に行っていた大伯父が
「畳の上で死にたい」と話していましたが、今となっては本当にそうだと実感します。
ちなみに“畳の上で死にたい”とは
事故死や変死ではなく、あたりまえの死に方をする ことを指すのだそうです。
これを我が家では昔から「畳が好きみたいなの。ベッドではなく、うちに呼んで一緒に住んだ方がいいのではないか」(※それでも確か断られたはず)などと話し合うこともありましたが、まさかの大伯父が亡くなってから数年経ち、そのような言い回しがあることを知り、それはそれは衝撃でした。
あまり知識がない家庭だとこのような解釈になってしまうので、疑問を持ったらちょっと離れた位置の人、例えば友達でもいいので相談をしたり調べてみたりすべきだと思いました。
ずっと心残りだったという母も、さすがにその時はホッとした様子でした。
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