遅刻は悪いことなのか?
前回 小刻みの時間と準備と という記事内で話しましたが、私は時間を小刻みにメモし準備している自分が非常に嫌いです。
そのことについて人に話したところ「メモのことはちょっとわからないけれど、遅刻は人に迷惑をかけることになるからやはり時間通りに来る方がいいよ」。と言っていました。
日本では義務教育の過程で時間までに学校に来るようにということが教えられますが、“そもそも遅刻は悪いことなのか?”ということについて考えました。
遅刻する人が多い
はっきり言いますが、私の周りにいる人は遅刻する人が多いです。
友達、サイ〇パス、その他諸々...。
前々から何となく触れてはいけないことのような気がしていたので触れてきませんでした。
どれくらい遅刻をするのかというと頻度はほとんどで、30分~1時間半は遅れて来ます。なので徐々に20~30分の遅れへと変わって行くと、早く来るようになったと錯覚もします。
現に、最近は錯覚を起こしたまま過ごしているような気がします。(ちなみにサイ○パスに関しては、約束の時間通りに来たことが1度もありませんでした)。
早く来る友達もいる
私の数少ない友達の中にひとりだけ、いつも時間通りに来る友達がいます。
その友達とは中学生の頃からの仲です。
いつも優しく口調はのんびりと穏やかな雰囲気を纏っているのですが、数年前に「友達が20分遅刻してきた。遅い。もう私はその日は帰ったんだ」と言っていたのを聞いて衝撃を受けました。
今まで私は何気なく待ち合わせ場所に来ていたけれど、「これが数十分遅れると彼女は帰ってしまっていた可能性があるのか...」と思うと、私も遅刻しないよう気をつけなければならないなと思った事がありました。
彼女がそのようなことを言っているところをその時に初めて見たわけですが、私としてはできれば普段優しい人ほど怒らせたくはありません。(つい本音が出ました)
ただ、1時間〜遅れるとなると「事故に巻き込まれているのでは!?」と相手を心配をさせてしまう可能性もあるので、
できれば遅れる旨を伝えるために連絡はした方がいいかもしれません。
遅刻は悪いことなのか?
遅刻は悪いことなのかどうなのかということについて。
結論、遅刻を許す・許してくれる。むしろ遅刻という言葉を用いることなく、これがお互いの間で容認できる事柄であるのならば、今のまま過ごしても良いのでは?といったところです。
日本では義務教育の過程で決まった時間までに学校に来るようにと教え込まれていますが、それでも身につく人とつかない人がいます。単に遅れることを「悪いこと」として教育されてきました。
しかし予定時間までに到着している私も感覚としてわかるのですが、
私自身の場合、準備を前日から行い出かけるというのは、義務教育の過程で身につけたものではないような気がしています。
「いつも時間通りに動くことができない。原因はわからない」。と自ら話す友達を見ていてもわかるのですが、
私自身にも何かよくわからない目に見えないものがいつもそこにはあります。
同じように「なぜこんなによくわからない準備をして待ち構えてしまうのか原因がわからない」。といったところでしょうか。
昔からモヤモヤしていて一度向き合わなければならないとは思っていたのですが、やはり目に見えない形の無いものを文章にするのは難しいものです。
私⇒「前日から準備をして予定時間より早く着くことで自分の気が済むから行っている。むしろそれを行わなければ落ち着かないことが多い」
友達⇒「なぜかよくわからないけれど時間通りに場所に着くことができない。色々なものが目についてあれこれしてしまう」そうです。
※ここで話す友達とは、一応この話に出てきた友達を指しています。
本来はここで相手を思いやる考えである「相手を待たせてはいけないから」という考えが第一に出てくるべきであることは、重々承知です。
しかしいざ出かける当日になると現実ではそのような部分が欠落しており、会いたい相手であるはずなのに相手のことがあまり考えられていないような気がします。私も友達に関しても、お互いが自分の必要作業と自己満足で暮らしてしまっているところがあると思います。
私や友達と同じように、“目に見えない何かが日常生活の妨げになっている”という方、いらっしゃいますか?
結局のところ、こういう人間同士になってくると時間を気にせずとも会いたい相手であるかどうかが最重要であるとは思っています。
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