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ふわふわした雑感

最近、少し日常から抜け出して生活をしていたのでどうにもふわふわした感覚になっている

そもそも日常というものを私が決めている(仕事に追われている、まっすぐ帰ってからご飯、少し好きなことをして寝る生活)ということがここからわかるわけだけれども


ひとつ、久々数年ぶりに知人に会いにいったこと
もののついでだったのだが、いつの間にかメインみたいになっていた
付き合っていたこともあったがほとんど恋人らしいことも無く
別れの際には「友人の方がうまくいきそうだから」という理由で別れていて
私も時間が経つほどにそう思う、そんな関係

よく言われるのが、結局そのコミュニティで今でも連絡を取ったり会ったりするのは
私だけ、もしくは他1名、とか
私自体がそこまでコミュニティへの帰属意識が薄いせいかもしれないけれど
多分、お互いそこまでそのコミュニティに馴染んでいないような人同士とか
そもそもどこかに属する気が薄いもの同士が
こうして会いたいときにたまに会う、このくらいがちょうど良いのかもしれないと

確かに彼と時間を過ごすのは気が楽だし
多分いろいろ気を遣ってくれているのだけれども
気を遣うことに目的を持っていかれる人が苦手なので
たぶん、程よい適当さ加減がちょうど良いのだ
(だからと言って丸投げにされても腹が経つので私も自分がめんどくさいと思う)

さらに、お互い大好きなバンドの縛り付きカラオケとかやっちゃったので
学生の頃の気持ちなどまで揺り起こされてるから尚更

彼がどういう学生時代を送ってきたかなどは全然知らないけれど
何もなかったという感じの考え方では無いなとは思っていて

本当に友人として繋がっていられたらいいなと思う、そんな時間だった

初めて行った二子玉川が、思ったより静かで川が近かったのも良かったのかもしれない
そういえば2人とも昔も川沿いに住んでいた



ふたつ、一時期お願いしていたカウンセリングの方に会えたこと
と言っても、あまりカウンセラーぽく無い人というか
何となく、自分の生き方がめちゃくちゃ通っているというかでき上がっている人で
それに基づく意見をもらいにみんなが来るような人で


そのかたの相方さんの記念パーティーだったのだけども、その方も来ていて
とっても久しぶりに会ったのだけど、当然変わってなくて
正直忘れられてるだろうなと思っていたけど、覚えていてもらえて


その頃(というか20代中盤くらいからずっと)、普通って何だろうってことをずっと考えていたのだけれど
それは親とか他の人から変わってるなと言われ続け、でもそれがなぜかということが全然わからず
それはきっとダメなことなのだろう(恐らくそういう文脈で言われたものだろうと思う)と思って、そこから脱するために普通を知ろうとずっと思っていて

でもここしばらく変わっていてもそれが個性、みたいなことを世間的に言われるようになって来たものの
でもここはやっぱりこうだよね(ここというのが人によるもののような気は私にはしてしまう)みたいなのは変わらずで
どうにも生きづらさを感じてきたのだけれども

そのカウンセラーの方は、見た目からだいぶぶっ飛んでてアレな方で
よく日常におけるトラブル的なもの(ただその人は生きているだけ?)をブログで挙げているけど
それはその人がそのように生きているからおこることというか
でも、別にそれで思い悩むでもなく、むしろネタにしているだけで

その人に会った時に言われたのが、たぶん本質的にはその人と私は同じ中身を持っていて
私はその中身について、ネガティブな反応をしている、ということ
私はそれについてすごく納得してしまった

私はすごく感情を出すのが苦手で
楽しんでいることを他人に気取られるとなんだかすごい不具合が発生するような気がしてしまっているため(たぶん、これで喜ぶとわかっていると、親はあからさまにこれをやっておけばいいんでしょ、と扱ってくることが嫌だったように思う、面倒臭い子供だった)
笑うのは笑っているということがメリットになる場合のみだったのだが
別に嬉しいということを察してそれを持ってコントロールしてくる人なんで本当にほぼいなくて
普通は誰もそんなこと思わないのだと

あと、母はよく私が喜んでいるとうるさいとか、あんたこんなことで嬉しいの?みたいなことを言ってきたものだ

というようなことは稀なことであるということ

自分のしっくりくること、大事だと思うこと、好きなこと
それを大事にしていることで浮くことはあっても、嫌われているということでは無いこと
そんなことを教えてもらった気がする
何と無く自分がいるべき場所についても


会場も永田町の綺麗な建物で、周囲もバラ園があって
テラスがあって、私の住んでいるところにはあんまりそういうところがなくて(普通に寒い季節が多いからなのか)
住むのはちょっとな、と思うけれど、そういうところを見ると昔よりは居やすいところなのかなと思ってしまう

好きなものを見つけると、擦り寄りたくなってしまう
今だけできることかなと思うと、それを否定する必要もないのかなと最近は考える



こうやってたまーに東京に来て、いつもこんな気持ちになる
ここにいる人の影響もあるし、この場所ということあると思う

その後も地元に帰ってから人に会ったりしたけど、同じ感覚にはならない
会うべく人に会った、と言えるし
今だからそう思うようになったとも言える気がする

そういう人が自分の周りに増えていけば良いと思うけれど
どうやったら増えていくかもわからない
たぶん、私の好きな人たちは、それぞれの居場所を持っているし
1人でいることを大切にしている人だし
自分の時々の感覚に従っている人だから

いつかそういう人たちが周りにたくさんいる環境にいることが
きっと今の私の幸せなんだと思う

そんなことをただふわふわと感じる2日間だった

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