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火曜日連載『あらたま流きもの雑記』 10月5日 靡きませんし媚びませんけど、そばに居て差し上げたくはなるんですよ

 初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 こんにちは、あらたまです。

『あらたま流きもの雑記』とは――
 火曜日連載で、きもの文化検定2級ホルダーのあらたまが普段着きもの生活についてアーデモナイコーデモナイと書き散らかします。
 主に普段きもの一式の紹介と解説、少々のお出かけレポートをお届けします。また、私がきものに思う事、きもの生活tipsやお寄せいただいた質問への回答が、それぞれ小話として付いています。
 ・いわゆる『映え』なきものの御提案は無いと思います。
 ・きものを着た可愛いポージングの女性は出てきません。
 ・きもので行くべき映えスポット!の御提案もありません。
 きものを普段着にしているといっても、洋服を着る日だってありますし、和の習い事経験は皆無です。
 大雑把な性格で、かなり雑な暮らしぶりのオバチャンのきもの生活の一端をお見せすることで、きもの生活のハードルが多少低くなり、きものを始めたい方の勇気に繋がることを願っております。

 秋分を過ぎ、未だ暑い日が続いております。
 体感30度って……これ、季節は夏?てなもんでして。早々に単衣やら袷のきものをひっぱりだして浮かれていたことが恐ろしいです。下手すりゃ、熱中症で倒れてしまいます。

 日が暮れると、りゅうりゅう、りんりん、涼し気な秋の聲が聞こえてくるようになりましたけれども、それもまだ本調子ではないようです。
 今しばらくは真夏仕様に作業用浴衣を着て、怖い話にゾクゾクしながら過ごすことになりそうです。

 さあ、前置きはこのくらいにしておいて。
 本日の『あらたま流きもの雑記』始めましょうね。
 その前に、いつもの小宣伝です。

薄気味悪い。居たたまれない。腑に落ちない。
読んだら『気疎(けうと)い』気分になる(かもしれない)、怪奇系短編小説集。
Kindle Unlimited 会員は追加料金なし(¥0)で読み放題です。

本日ご紹介の一式

 さあ、緊急事態宣言が解除です!
 ……とはいうものの、なんとなく、おっかなびっくりという雰囲気は拭えませんわね。
 少しずつ、あれはどうかな?これは大丈夫かな?とクリアしていって、ようやく胸をなでおろす日が来るのかもしれません。

 遠州木綿の単衣、リアルなウサギ半幅帯(ゴフクヤサンドットコム)、手拭い二種(七窯社)、イヤリング二種

 お洋服でいうところの、ジャンパースカートやスモックワンピースのようなカジュアルさで、元気よくお出かけしたいときに大活躍してくれるのが「これだ!」と惚れ込んでお迎えした遠州木綿の一枚。
 こざっぱりと少年ぽくしても幼くなりすぎませんし、個性的な小物もおおらかに受け止めてくれるので軽やかにまとまります。

 カメラ背負って軽いお散歩するなら?と妄想しながら、半衿とイヤリングの組み合わせ違いで二種類考えて見ました。

 左は変化球編。
 浅草あたりの路地裏を人の波に紛れてコソコソっと渡り歩く、怪しい雰囲気。
 対して右の組み合わせは、カフェや古書店にカジュアルに訪れては、小さな幸せにうっとりしちゃいそうな感じ?

 私はどっちも大好き!
 ですが、同行者によっては意見が北極と南極くらいバキーンと分かれそうです。

群れることをしないというが、ファミリー想いなんだよ実は~寄り添う猫たちの帯留め~

 一目惚れ、といってよかったです。
 「あらまあ、猫背だねえ」
 そう言いながら、絶妙なカーブを撫でさせていただくことに至高の喜びを覚える、猫の後頭部と背中が大好きな私(変態の誹りは甘んじて受けようぞ)。
 このフォルムには胸の高鳴りが抑えられませんでしたねえ。
 と、同時に。
 猫の矜持といいますか、種族の有り様といいますか、嗚呼これは素晴らしく猫の本質を突いてるなあと感心してしまったのでした。

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 水牛の角?と仰っていたような。現代の作家さんによる一点もの……なのだそう。箱もなにもなく、ただ現物でお迎えしてしまったので、データが定かでなく、すみません。

 猫というのは単独行動を好み、わがまま気ままで、一緒に居ても寂しいじゃないの――とは、熱狂的な犬派の方に、昔々赤ちゃんだった頃のにゃんこ先生の写真をひとしきり褒めていただいた後に頂いた御言葉。
 あの頃は私も猫という生き物の事をあまり能く知らず、むしろそのくらいの距離感の方が、後々後腐れなくっていいや。くらいに考えていました。家族が増えた、というよりも居候が一匹やってきたぞ。みたいな。

 まあ、確かに。そっけない生き物ですよ。
 ごはんが欲しい、トイレをきれいにして欲しい、肩を揉め……そういう時には「にゃあああん」と可愛くポーズをとったりなんかしますけど、こちらから寄って行くと『近い・うざい・きらい』で、機嫌が悪いと引っ掻くし威嚇するし。
 でもね。
 何かの折、例えば得体のしれない孤独感に苛まれたり、無力感に打ちひしがれたり、何のために生きてんだろうと哲学的な罠にはまり込んだりしたときに、音も無く現れ寄り添う。手や顔を舐めるでなく、にゃあと声を掛けるでなく、ただ隣に居てくれる。
 そんな時は、存分に撫でさせてくれるんですね。頭とかほっぺたとか。これで気が済むなら撫でたいだけ、撫でたらいいんじゃねえの?と。
 調子に乗って抱っこをすると怒りますがね。

 この帯留めは、そんな猫という動物の、繊細にして複雑で深い愛情の形を見事に表してると思います。
 私は生き方が下手くそで、他人との距離感が未だにきちんとつかめないことが多いですが、どこかに困った人あらば、この猫たちのように、たとえ大勢お仲間が居ても一番端っこでもいいから寄り添えるような人間でありたいと願っています。

 私は猫が好きです。
 ぬるま湯みたいな、遠いのか近いのかわからない距離感でも許してくれる、甘え方すら不器用な愛しい生き物が、大好きです。

 そのように表明するアイコンとしても勿論、この帯留めの力を借ります(そういうシーンがほとんですけども、ね)。
 が、猫のような距離感でもって、アナタに寄り添えたら幸せです。と隠れコマンドのように発信したい時にも、そっと身に着けることが多かったかも……それがどんな状況であったかは、ご想像にお任せしますわね(ΦωΦ)フフフ…

いかがでしたか

 昔々、大切なある人に「おまえ、今ほんとに幸せか?」と問われたことがあります。その瞬間、私は如何に他人本位で生きてきたかを思い知らされました。
 相当わがままに、頑固を貫いてきたと思ってたんですけどねえ。
 それを境に、もっと自分を大切にしなければ!と図々しさに磨きをかけてきたつもりですが、それでも全然足りなかった。ここ何年かでもう一度「自分を愛するとはどういうことか、自分の人生とは何か」を考え、いっそ今までの分を生き直すかのような勢いでガツガツ進んできた気がします。

 それなのに、ここ最近。また自分自身の立ち位置について考える事が……アンタ、誰目線で人生歩いてんのよ!と叱られ、ハッと気づけば、だいぶズレたところでテメェの人生を俯瞰していたのでした。まったく幾つになってもポンコツで、どうしようもねぇ(おっと失礼。ついヒートアップしちゃった)。

 そんな気付きを得た経緯は大雑把に白状しますと、タロット6にゃんこ先生4によるスパルタ教育だったりします。
 ……ねえ、ほんとに。
 我が家ににゃんこ先生がやってこなかったら、今頃どーなっちゃってたんでしょうねえ。

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 また明日ね、バイバイ~(ΦωΦ)ノシシ

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