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【いま、なんどきだい第二部:その席にて待つ】

<一>

 私のもとに、あの差出人不明の書簡が舞い込んだのが、ケチのつきはじめだったのだろう。絶対に、そうに決まっている。

 白い封筒の表書きには、力強くも流麗な筆文字で私の名前と自宅住所が明記されていた。匿名の封書を手にすることに些か戸惑いはあったが、まあそれはいい。
 それよりも、消印に記された『浅草』の文字に、私の勘は並々ならぬ引っ掛かりを覚えた。
 視線がその二文字を捉えた途端、意識に猫の爪が突き立ったような……どう反応してよいかはわからないのに、そのまま放っておくと後々ろくなことにならないことだけは判る。言葉で説明できないが、そういう感覚に陥ることが昔っからある。
 中身を読んでみたところで、差出人の心当たりはなかった。
 差出人――書簡を書いた本人が直接、浅草の郵便局管内で投函していない可能性もあったが、書簡には浅草の街を尋常ならざる執着でもって彷徨った経緯が、神経質な筆致で記されていたので、差出人と書簡をしたためた人物は同一とみてよいと判断した。
 話を戻そう。
 差出人は、友を亡くした中年以降と思われる男性。彼は長きにわたり情を育み、共通の趣味であろう飲食を共に楽しんだ友との思い出を辿るため、二人にとって最も馴染み深い街だった浅草を、空腹をものともせず歩き回っていた。
 そして、ある数日間の奇妙な出来事と最後の一日――浅草と友との思い出とに決別するに至った直接の原因になったと思われる、黒塗りの板塀路地での怪しい出来事について克明に書き記した。
 私に、全てを考察するように、と。言外に、調査してみろとの挑戦とも取れた。
 何故、私だったのか?
 私を探し当てる情報網と知識があるなら、適任は他にも大勢いただろうに。

 男性が『奴』と呼んでいる人物の正体も判然としない。せめて『奴』の職業、渾名、浅草界隈で殊更によく立ち寄っていた飲み屋などを具体的に書き記してくれていたら、事はもっとシンプルに片付いただろう。
 どうやら、差出人は……具体的な個人情報をわざと伏せ、そこに辿り着く手掛かりになりそうな情報をぼかしたふしがある。差出人の強い意志でそうしたというなら、わざわざ私を名指ししてきた意図がわからない。
 が、もしも『視えざる者の意志』が男性の筆に介入したのだとしたら?
 その線で推理を組み立てると、私にとっては大変に馴染みの深い類の、信憑性の高い話になってくる。

 浅草には『逢える人はほっといても勝手に逢えてしまうマジナイ師』がいるという。大抵の人間はナンダソリャ?と一笑に付す噂話だ。
 いわゆる、都市伝説のひとつ。しかし、一部の好事家やマジナイにも縋りたいほど切羽詰まっている者にとっては、今すぐにでも逢いたい人であり、どうやったら逢えるのか?その方法を知るためだけに労力と金をつぎ込む。
 しかし今は……いた、とするのが正しいとする説が有力になっている。
 この手の噂は私の活動する分野に精通する者たちの中では、然も当たり前のように昼夜を問わず囁かれ続けている。マジナイ師は一匹狼型の職人であるとも、ひとつの屋号を集団で名乗る同業組合のようなものであるとも言われていたが、真実はこの界隈の御約束に則り判然としない。
 が。ここ数年で、その噂に新しい項目が付け足されることが目立ってきた。
 曰く、
「例の、浅草のマジナイ師と思しき男が、仕事をしくじったという噂を耳にした。その『返し』で病を得て引退、ぽっくり亡くなったらしい」
「浅草の伝説のマジナイ師、実は別のマジナイ師との因縁が元で、つい最近になってとうとう呪い殺されたらしい」
 聞く度に話の枝葉は少しずつ変わってはいるが、概ね噂のマジナイ師がもうこの世のものではなくなった、という話である。マジナイ師が己で張った呪いに憑り殺された、というのも聞いたことがある。


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 このマジナイ師の噂と書簡の差出人、差出人が文中で『奴』と呼ぶ人物に多少なりの係わりがあるのかないのか?その真偽は定かでないが、全てをひとつの線で結ぶとしっくりくるようなアレコレが、頼んでも居ないのに何故か手元に舞い込んでくる。
 これもある意味、自業自得、というものだろうか。
 多少、常人に視えないものを視、その場しのぎ程度ではあるが害意ある怪しいモノを退けるくらいは手前でやってのけ、そうした体験や人づてに見聞きしたものを『ガチのネタ』としてその筋の職人――作家、最近では実話怪談師も増えてきたが――に、まあまあの対価と引き換えに流してやる。そうやって正規の生業以外に小遣い稼ぎをしている以上、人の生死、それに関わる奇妙な出来事は日常風景の中に溶け込んでしまっている。
 だから、こんな書簡を送りつけてくる野郎がいることは不気味ではあるが悪戯に恐れたりはしないのである。
 仮に、だ。
 個人情報を厳重に伏せた差出人が、本当に件の浅草のマジナイ師の関係者だったとしても、私にとってはいつもより高額で捌けそうなネタが勝手に転がり込んできた程度のことでしかない。
 ただ――美味しい話というのは、その分リスクも高くなる。

 差出人は私の仕事の伝を巧妙に辿って、己の手に余る一件を丸投げするつもりだったんだろう……めんどくさいのは御免だ。
 だが私は面倒くささと仕事の対価とを天秤にかけ、あろうことかリスクの検討を怠った。
 目が曇った原因は、外連味たっぷりの書簡が私の好奇心を大いにそそっていたことだ。私が興味をひかれるということは即ち、多くの取引相手は間違いなく、いやそれ以上にこのネタを我が物としたいと躍起になるはずだからだ。
(これは、想定以上にデカい仕事になるかもしれない)
 欲というのは本当に恐ろしい。人間誰もが大なり小なり持っている、最大の弱点だ。
 そしてその弱点を巧妙について罠を張るマジナイ師という職人は、一番敵に回してはいけない種類の奴等だということになる。
 つまり、だ。
 私は書簡を読み終わた時点で既に、何者かによって巧妙に張られた、浅草という土地全体を覆うほどのマジナイに絡めとられていた可能性を強く否定することができない。

 書簡を読んで数日後、私は差出人が歩いたと思しき道を探しに浅草へ向かった。
 浅草を訪れるのは、実に三年ぶりだっただろうか。
 街にはようやく活気が戻り、一人で散策をするにも人の流れをよく見極めなければ、簡単にあらぬ方向に押しやられ、行くべき道を見失いそうになる賑わいだ。
 やはり浅草という街はこうでなくては――例の疫病禍がどうやらようやく観念したらしい、と偉い人が宣言したとかナントカ。
 国内外の観光客が浅草を再び目指し始めたとあって、雷門の前は懐かしさを覚える人だかりができている。そのおかげで、私ときたら、馴染みの飯屋数件の、軒先に拵えられた行列に辟易して、休日の昼飯をくいっぱぐれていたわけなのだが。
 観光地で真に美味いものを探そうとするには、席取り合戦よりも先に念頭に置かねばならないコツがある。
 観光客向けの豪華さが先行して、地モノの食材をそっちのけに、芸の無い飯を食わす店は全国津々浦々に在るが、下町の素朴さ残る飯屋が多い浅草とて例外ではない。
 とはいえ、昔ながらの店だって黙っちゃいない。疫病禍の裏で新しい浅草『らしさ』を模索しながら、愛されてきた地元の味を頑固に守ろうという活きのいい職人も大勢いる。その数と野心の熱さは常連をうらぎることは無い。まさかこの私がくいっぱぐれることなどないだろう……と、鷹揚に構えていたのだが。
 いささか暢気が過ぎたらしい。
 暢気といえば、先週、例の疫病に罹患し二週間の蟄居を命じられた同僚が二人でた。
 そこへ幼稚園を中心に流行り出した別の季節性流行病を貰って、これまた診断書を出されて出勤停止を喰らったのが一人。私の『表の稼業』周りでは、例の疫病はまだまだ休戦協定を結ぶ気はないようだ。それどころか、新たな手下を従えて再び日の目を見んと悪足掻きしているように見える。
 暢気な私。暢気な職場。暢気な観光客と浅草の街。こうも平和な日常の空気を吸っていると、観念とは何が何に対して示した態度なのかと呆れ果てる。
 社内に残った元気なやつらでなんとか業務を回したぶん、小遣い稼ぎの時には飛び切り美味いもんでも食ってやろう!と目論んでいたのに。
 すきっ腹を抱えながら、海外の観光客のハイテンション自撮り会を尻目に街を徘徊すると在っては、インバウンドなんぞクソくらえと思った。

 伝法院通りに入ると、蕎麦屋、天ぷら屋、昼から飲めると看板を掲げる居酒屋が、誘引剤のように良い出汁の香りを路上に溢れかえらせていた。
 その濃さ!煮詰まり具合ときたら!
 そこへ最近の流行か、バターがほんのり焦がされた甘くて柔らかな菓子の香りも乗っかって、いやはやなんとも、私の腹の虫には些か刺激が強すぎた。
 ぎゅうぅぅぅ、と。案の定、早く飯を寄こせと、急き立てる。やっぱり、苦し紛れに買い食いしたコンビニのアンパン一つじゃ、どうにもならん。
 それに腹がすくまま飯屋を探し続けるなど、まるっきり書簡の差出人の体験を準えていて気分が落ち着かない。
 書簡に触った印象も読んだ後の体感も、それらしい『におい』は皆無であった。
 私の、怪異の気配を察知するアンテナに引っかからないなら、それは極めて一般的に奇妙なだけの書簡だ。私を欺けるほど巧妙にマジナイが隠されていたとは考えにくい。
 幽霊や呪いといった超自然的現象に、物心ついた時から触れているせいか、ある実話怪談師の言を借りれば私という人間は『変なところで執念深いリアリスト』なのだそうだ。神や仏の倫理観は知り様も無いが、幽霊は元々生きている人間だし、呪いも人間の欲を煮詰めて凝り固めたものだ。多少の屁理屈でも理屈は理屈、突き詰めていけば必ず存在するための『筋道』があるわけで、私はそれをシンプルに観察するという手法をとっているだけなのだが……。

 つらつらと考え事をしながらサテここか、と足を止めたのはぼんやり歩いていると見過ごしてしまいそうな、細い路地の入口だった。
 旧い店が櫛の歯の如く欠けた所に突如として現れた賑やかな一画は、黒い塀に挟まれた狭い路地を通った先にあると、事前に浅草通の同僚から聞いていた。
 なるほど、この道だな……と、新しい塗料のにおいがプン、としそうな、わざとらしい艶が残る塀を見渡す。その狭い路地の入口に、誰が置いたのか、ポツンと一つ、万年青の鉢植えが置いてあって、その青々と茂った葉の先に見たことの無い蝶が止まっていた。
 その蝶は凝視するまでもなく、私と、私と同程度の勘を持ったものにしか知覚できぬ類のモノとわかった。
 白い羽の縁を、構造色特有の揺らめきを宿した青色が細くぐるりと囲み、蝶がゆっくりと羽を開けたり閉じたりするたびに、あの世とこの世が入れ替わるみたいな不安を誘う。
 妙な予感がして、腹が減った苛立ち以上に胸の奥がざわついた。
 その路地が書簡に記されていた黒塗りの板塀路地とは別物であることは明らかだ。私の勘がそう告げていたのだから、決して間違いはない。けれど、蝶と万年青の鉢植えと塗りたての黒塀と揃ったなら、話は別だ。書簡を読んだ者への当てつけかと穿った見かたを禁じ得ぬほど、あからさまな符号が多すぎる。
 私の腹が減り過ぎて、精神的視野狭窄を引き起こしていた可能性もあった。
 昼は何の変哲もない日常に眠る怪異が、黄昏時の稀な条件が重なった瞬間のみ牙を剥くという場合もある。疑い出すと、キリがない。
 思案を巡らせるうちに、この世ならざる化身の音なき羽ばたきは、目の前で陽光の中に解けていった。
(あの蝶……まさか誘いに抗えなくなっていたら抜き差しならない事になっていた、なんてことはないよな)
 ないない、考えすぎだ――胸のざわつきを落ち着かせるために、口中で含むように己に言い聞かせ、エイヤと一歩踏み出した。

 思えば、書簡など単なるきっかけに過ぎなかったのだ。
 私は私の勘を信じ、この世のモノならざる蝶を見かけた時点で、引き返すべきだった。これまでもそうしてきたように、あの時もまた常と変わらぬ筋を通せば丸く収まったはず。
 意識的だろうが無意識の誘いだろうが、人間が一つのことにしがみつこうとする時、そういう瞬間を怪異は狙いすましている。
 注意を怠ること無かれ。
 空腹感などに気をとられてしまううちは、私もまだまだ修行が足らぬという事だろう。

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第九回へ続く】


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