火~木曜日連載『一日一妖!』 2月24日【子育て幽霊】
初めましての方、ようこそいらっしゃいました。
二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
こんにちは、あらたまです。
『一日一妖!』とは――
怪異や怪談が大好きな私あらたまが、妖怪や怪異に関連する与太話をさせていただくという連載企画です。
毎日読むのにちょうどいい、約1000字の超ショート・ショートテキストサイズ!
さっくり楽チン軽やかな、ゾワッと怪しいひとときを楽しんでいただけたら嬉しいです。
日々是精進。毎日、毎週、毎月、振り返りと反省をして目標との距離や己の実力などを図りつつ歩み続けるのはこれまで通りなのですが、個人事業主ともなるとその他のこと――これまで以上に「対外的なこと」にも気を配らないといけないんだなあと痛感しております。
なあなあで済ませてはいけない事、より密に繋がらなければならない事、オトナの世界ってメンドクセーとか言ってる場合じゃないんですね。
そんなこんなで、私も物は試し『御名刺』ってやつを作ろうかと算段しております。どんなのが良いのかな?貰った方が「うわ、捨て辛いわ~」っていう感じを狙いましょうかね?
それでは、前置きはこのくらいに。
本日の『一日一妖!』始めましょう。
【子育て幽霊】
昔話や伝説として語られている怪異で青森県から沖縄まで広く分布する。
毎夜、見知らぬ女が飴屋に飴を買いに来る。
不思議に思った主人が跡をつけてみると女は墓地に消え、とある墓の下から赤ん坊の泣き声が聞こえる。墓を掘り返してみると、最近死んだ母親のそばに元気な赤ん坊がいる。身ごもったまま死んだ母親が、子供のために幽霊となって、三途の川の渡し賃の六文銭で飴を買いに来ていたというのが基本形である。
子育て幽霊の話、知った当初は京都特有の話だと思ってたんだけど、調べるうちにほぼほぼ全国と言っていいくらい話があって、母親の子に対する情の深さに舌を巻くとともに、日本人はこの手の情愛噺ってほんとに好きなんだなあと感心したものです。
ところが、現実社会では実母の育児放棄や虐待の事件を見聞きすることの多い事……なんでなんだろうねえと虚無感に苛まれます。
今も昔も人の精神の在り様はそうそう変わらないことを考えると、子育て幽霊も実は教訓とか戒めとかそういう類の話であり「子を思う母のイイ話から学び給え」ってな感じで語り継がれたのかもしれないとも思えて来たりして。
まあ、難しい事はこの際、都合よく脇に置いとくとして。
幽霊になった母から飴を貰って命を繋いだ赤ん坊は、後に偉いお坊さんになりました……なんてバージョンもあったりしてですね。子育て幽霊譚を純粋に読むたびに、親の愛スゲー!となるわけです。
熱量といい、深さといい。
一歩間違えば執念とか怨念とか、そういうものに転じてしまうような、危うさと凄まじさを感じるのです。
最近、まあまあポピュラーに聞こえるようになったワードに『毒親』ってのがありますでしょ?頭の片隅にね、ふわっと浮かぶのですよ。ただただ子が愛しいという一心だったのだろうに、どうしてこんなことになっちゃったんだい?っていう家族像が、ね。幽霊母がもし生き延びていたらと思うと……。
閑話休題。
私が京都特有の話と思ったのは、子育て幽霊が飴を買いに来た飴屋さんが今も飴を売ってると聞いたからです。
お店の歴史の長さに吃驚なのは勿論のこと、ここの飴がきっかけになって、水木しげる先生が『ゲゲゲの鬼太郎』の着想を得たと聞いたらアナタ……行くしかねぇ!ってなりますでしょう(え、なりません?)。
飴を口に含むことからヒントを拾うというのも、ヒントを飴のように煮詰めてストーリーとして膨らませるのも、頭の中で捏ね上げたそれらアイデアを紙の上に漫画として構築するのも、全ては水木しげる先生の才能が為せる技であるという前提は承知しております。
その先生の才能と化学反応を起こした飴ですよ?もうもう、気になります。あわよくば、水木先生の才能の一端を夢想しながら、その御力にあやかりたい!てなもんですよ。
そんなわけでして。
私も数年前にこの子育て飴屋さんを訪ねてまいりました。
飴ちゃんを買って、その琥珀のような美しさにまずはうっとり。
袋を開けて、麦芽糖の香ばしい香りに懐かしさを覚え、ひとかけら口に放り込んで……なんて甘いんだろう!と驚きました。
昔々は甘味が貴重だっただろうに、この素朴だけど唾液腺がキュンとする甘い飴を求めて、毎夜毎夜幽霊になって……。
ちょっとね、飴を右に左にとほっぺの裏を往復させながら、水木先生にあやかってインスピレーションを得るどころか、切なさに押しつぶされて泣きそうになっちゃいましたよ。
私には子は居りません。
なので、此処からは完全に想像ですよ。
身ごもったまま死したとして、私には果たして幽霊に転じる気力なんて残っているかな?怠け者の私のこと、お腹の子に「さあ、一緒に天へあがろう」と簡単に楽な方へと流されそうな気がします。
無い事も無いかもしれないので、母性溢れかえる私のケースも考えてみましょう。我が子はまだ生きているのだと、その人生を全うさせてやりたいと幽霊に転じる決意をしたとして。飴を買いにという発想がでる?遠くの飴屋さんに行くにしたって「せっかく幽霊になったのだから」と風に乗って楽をしたり、なんなら子供を欲しがっている若い夫婦を見つけるなど他力本願に全振りしてしまうんじゃないかしら?
何と言いますか、目も当てられないほど不埒な幽霊像しか出てきません。
それに比べて子育て幽霊さんと来たら……そんな彼女に寄り添うかのように想像を巡らせ、目玉親父というキャラクタを生み出した水木先生の偉大さと来たら……嗚呼。
もうおわかりですね。
水木先生にあやかるどころか、子育て幽霊の愛情と水木先生の才能の前に為すすべなく、私はただひたすらに飴を舐め、結局のところこのような思い出話を綴っておるのです。
ここで諦めては試合終了……そんなような事を、某バスケ漫画の中で顧問の先生が仰ってました。今はその言葉に縋るような気持ちで、別の飴ちゃんをカロカロと口の中で転がし、脳味噌の燃料たる糖分を補給しながら、私にもあるかもしれぬ才能の種よ芽吹け!と念じております。とにかく。日々、書き続けるしかないのですね。これまでのように、これからも。
了
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それでは。
最後までお読みいただいて、感謝感激アメアラレ♪
また明日ね、バイバイ~(ΦωΦ)ノシシ