「似たもの同士」だから
こんにちは、ぽまえです。
はじめに
当記事は、わらみんさん主催のタグ企画
#これが私のトキメキ
内の、カウントダウンブログリレーに参加させていただくnoteとなります。
そしてこちらはどなたでも自由に参加していただける企画ですので、完結編第1章の公開に向けて募る想いがある!トキメキを表現したい!という方はぜひお気軽に参加してみてはいかがでしょうか。
企画趣旨や参加方法など、詳細は以下のツイートをご参照ください。
てし!さんの『EMOTION』についての記事からバトンを受け取り、
私が担当させていただくのは、2期9話 劇中歌『stars we chase』です。
私の推しである璃奈、ミア、ランジュの全員が深く関わっている、たいへんありがたい楽曲ですね。本当にありがたい。本当に。
当記事では、この曲に関する好きなポイントを二つの段落に分けて語らせていただきたいと思います。
中には『stars we chase』そのものには直接関係のないお話もあるかもしれませんが、ご容赦頂けると幸いです。
そして、当記事内ではテンポや表現のため断定口調を用いることがありますが、当然ではありますが当記事の内容は公式見解ではなくあくまでも一個人の解釈であることをご留意ください。
それでは前置きはこのあたりに、さっそく本題に入りましょう。
①「ランジュのための歌」
『stars we chase』という楽曲、ひいてはこの楽曲が生まれたTVアニメ 2期9話の内容に於いて特に好きな概念の一つに、「ランジュのための歌」というものがあります。
この概念が生まれたのは、ランジュの帰国を知ったミアがそれを引き留めるための曲を作っている際の独り言。
このとき作っているのは『stars we chase』ではなく、このあとランジュに「アタシの曲じゃない」と一蹴されてしまう、いわば(事後的に見た場合の)「ボツ曲」です。
「ランジュのための歌」というのは、このボツ曲と『stars we chase』の関係や対比を表し、そこから様々なことを感じられる概念だと思います。
手短に背景を振り返ると、このボツ曲は作曲者であるミア自身が「過去一番のクオリティ」と自負するだけでなく、ランジュも「クオリティは申し分ない」と評していました。
そんな曲がランジュの心に届かなかった理由の一つは、その曲が真に「ランジュのための歌」ではなかったからだと思います。
2期9話の前半で「ランジュを帰す訳にはいかない」「ここで帰られると困る」といった旨の発言をしているミアですが、それはあくまで自分が作った曲を最もうまく表現できる「パフォーマー」として、手段としての鐘嵐珠を求めているに過ぎず、目的は「自分が作った曲を世間に認めさせるため」。
つまり真意を取ると、このボツ曲を作曲する一連の動機は「ランジュのため」ではなく「ミア自身のため」だと言えます。
それに対して『stars we chase』。
こちらは、作曲を開始した時点でミアは既に璃奈との接触により自身が抱えていた悩みを解決しており、ランジュとのパートナーシップに固執する必要もなくなっていた、言い換えればランジュを無理に引き留める必要もなかった訳です。
その上で、尚もランジュを帰国させまいと寝食を惜しみ必死に作り上げた、ミアが成長を通して真に「ランジュのため」を想えるようになったからこそ作れたのが『stars we chase』なんですね。
そういったことから、「ランジュのための歌」というのは、ミアの中にある「鐘嵐珠」という存在への認識や想い方がこのお話の中でどう変わっていったのかという変遷やコントラスト、そして背景を知ることでミアの成長や『stars we chase』という楽曲がどれだけ鐘嵐珠のことを想い作られたかなどを感じられる、とてもきれいな概念だと思います。
本当に好きだ ランミア 好きだ。
余談にはなりますが、この2期9話、(私の確認している媒体では)全体尺が約24分なのに対し、ミアが璃奈との会話を通して自身の悩みを解決したのが約12分時点なんですね。
つまり、この話に於いてミアは後半の尺ほぼすべてを使って真に「ランジュのため」に奔走しているんですよ。
紛うことなき愛ですよね。これは もう。
②「似たもの同士」というアプローチ
二つ目のポイントは、「似たもの同士」というアプローチについて。
鐘嵐珠は、周囲から「特別」だと思われ、あたかも雲の上の存在かのように扱われる人生を送ってきました。
「やることなすこと全てパーフェクト」という言葉の通り、何をやらせても完璧な結果を出すランジュのことを、例に漏れずミアも特別視していました。
だからこそミアも、望むものなんて才能と努力でなんでも手に入れられるだろう完璧人間「鐘嵐珠」が何を求め、あまつさえ何故諦めたのかが分からなかったのでしょう。
ランジュがスクールアイドルを諦めた最も大きな理由は、「各々がソロで活動する場なら一人だけ能力が高くても、他人の気持ちが分からなくても認めてもらえる」と思っていたのに、その実態はメンバーそれぞれがそれぞれを想いながらユニットやグループとしても活動するような場だったこと、また2期9話までのお話でそれぞれのユニット曲や『TOKIMEKI Runners』を目の当たりにしてランジュ自身がそのメンバー同士の結束が生む素晴らしさに圧倒されたことにより、「ここもまた自分には馴染むことのできない場所だった」と感じたからだと思います。(再度申し上げますが、あくまで私の解釈です)
しかしミアは、「鐘嵐珠」を高く評価するからこそ、ランジュがスクールアイドルを諦めた原因を自分(が作った曲)に求めてしまったし、「原因が自分の曲にあるならよりクオリティの高い曲を作ればいい」という誤った回答に突き進んでしまった。
少し話は逸れますが、こういった流れは今回のミアの件に限らず、ランジュの人生に於いてこの人間離れした能力の高さが原因で勝手に周囲が巻き込まれ混乱し、理解されず最後には避けられてきたのだろうなというランジュが抱えているものの片鱗が覗けるシーンでもあると思います。
話は戻り、璃奈との対話の末に悩みを解決したシーン。
璃奈から「ミア・テイラーじゃなくて、ミアちゃんの歌が聴きたい」と説かれ、「テイラー家」という肩書きも関係ないただひとりの人間として受け入れられたミアは、その瞬間、すべてを持って生まれた「特別」な存在だと思っていた「鐘嵐珠」も、自分と同じで「ありのままの自分を認めてくれる居場所が欲しかった」ただそれだけの女の子であることに気づきました。
同曲の歌詞から、このシーンの心情、ひいては『stars we chase』の作曲動機まで読み取れると思います。
この曲は、曲名が「we」であるように、「またここから二人で始めよう」というように、後ろから背中を押すでもなく、先から応援するでもなく。
「僕」が「君」の隣に立ち、手を繋ぎいっしょに前を向こうとする姿勢に終始します。
「みんなと違う」ことがコンプレックスで、「そんな自分には無理だ」と諦観していたランジュに対し、「僕らは似たもの同士だ」と隣でその手を引くアプローチが、本当に温かくて大好きです。
歌うことが大好きなのに世界に居場所が欲しくてその気持ちをひた隠して生きてきたミアが、「居場所を得た上で歌うこと」で、「ここは自分のやりたいことをしてもいい場所なんだよ」と伝える構図になっているのも本当に大好きなポイントです。
歌で想いを伝える、自分を表現するスクールアイドルは他にも居ますが、「歌うこと」その行為自体に大きな意味を持つのは、まさにSing系スクールアイドルのミアただひとりだと思います。
好きなポイント 徳用パック
こちらでは、いちテーマとして語るほどではないけど、ちょっとだけ語りたい「好きなポイント」をギュッと纏めて語らせていただこうと思います。
ライブでの演出
『stars we chase』がライブで披露される際、曲の2番から舞台照明の一部がピンクになるんですよ
2番から、つまり直前の歌詞は「Don't hide your brightness」となる訳ですね。
「どうか光を閉ざさないで」というミアの言葉のあとに、ランジュのイメージカラーであるピンクが照らされる。
文脈や歌詞の解釈をさりげなく、けれどもお洒落に落とし込んだこの演出は虹ヶ咲、ひいてはラブライブ!のライブ演出の中でも特に好きな演出です。
複数形
楽曲名が「stars we chase」なのが良いですよね。
「I」ではなく「we」、「star」ではなく「stars」なのが本当に良い。
仮に「stars」を同好会という場所やメンバーたちと置いたとき、同好会を「同好会」という単数と見做さずひとつひとつの「star」の集合体として捉えているのが、とても虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を的確に表現しているなと思います。
仮に「stars」を「ミアやランジュが辿り着きたい場所」と置いたとき、ミアとランジュ、ひいては同好会メンバー全員ですら最終的に辿り着きたい場所、手に入れたい「star」はそれぞれ違うかもしれないけれど、それでも一緒に「we」で追いかけていくんだ、というアツいメッセージに受け取れます。
曲名ひとつとっても様々な感慨に耽ることができる、本当に隙の無い楽曲ですよね。
公式の和訳
当記事内でも頻繁に引用していますが、とにかくこの曲は公式の訳が良い。
私はこの公式和訳がなければここまでこの曲を好きになっていなかったと思いますし、当記事の内容の殆どはこの公式和訳を読んだことで生まれた解釈をもとに書いています。
特に好きなのが、ミアからランジュへの想いが巧みなレトリックで綴られた2番の和訳なんですが、それを語るとなると本当に気が遠くなるくらいの文量を書くか、もしくは2番の和訳を全て引用して「これぜ~んぶ良いです!」と言うだけで終わってしまうので、この段落では「公式和訳の存在」自体に重きを置いて語らせていただこうと思います。
公式が自ら和訳を出してくれることのありがたさは大きく二つあると思っていて、まず一つ目は単純に歌詞に込められた想いに触れる敷居が低くなること。
そして二つ目が、「正解」が生まれること。
曲の歌詞って、単語が持つ意味を直訳してそれ単体で読み下すだけでは成り立たないじゃないですか。
どんな曲の歌詞にも使われている比喩や対比などといった、いわゆるレトリック(修辞法)が、どうしても使用言語以外で書かれた歌詞からは読み取りづらい。
なので頑張って母国語に訳すわけですが、言語というものの性質上、翻訳という行為には絶対的な正解がなく、翻訳されたものには翻訳者の解釈が必ず介在してしまうわけです。
一つの曲を10人が和訳すれば、それぞれ10個違った和訳が出来上がるでしょう。
そこで、「公式和訳」です。
いわば、翻訳に於いて唯一の「正解」と言えるでしょう。
もし公式が和訳を出していなかったとしても、きっと有志たちがそれぞれの思う『stars we chase』の和訳をしていたと思います。
しかし、公式が出した「正解」があるおかげで、すべてのユーザーが同じ歌詞を共有することができて、それこそ当記事のように「ここの歌詞が良いよね」というような話ができる。
私は「好き」を誰かと共有することが大好きなので、本当に公式和訳の存在に感謝しています。
というかこの段落長っ
最後に
先の段落で200字ほどの短い文章を5,6個書いて終わろうと思っていたら、なぜか一つの段落で1,000文字弱書いてしまったので終わります。
ブログを書くのが久々なせいか、書いている途中でプロットから脱線して文章が想定より長くなったり短くなったりして大変でした。文章は書き続けないとだめですね。
まずは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
『stars we chase』はアニガサキでいちばん好きな楽曲だったので、この曲を担当させていただけることが光栄でしたし、とても楽しく書けました。
そしてやっぱりブログは良いですね。
なんとなく自分の頭の中にあるものを文章としてアウトプットする過程で、その「なんとなく」が整然とした認識に変わっていきます。
好きだからブログを書く。
そしてブログを書くことでその好きなものをより明確に、より正確に、より深く知ることができる。
そしてより深く知ることで、より好きになれる。
私はこの記事を書く前よりも、確実に『stars we chase』のことが好きになっています。
皆さんも、ブログでなくともツイートやメモ帳に書くだけでも自分の好きなものをより好きになることができると思います。
そして、その好きなものについて語った想いのこもった文章を誰かと共有するのもとても楽しいと思います。
そんなときにうってつけなのが #これが私のトキメキ !!
文章でも、ブログでも、イラストでも、なんでもOK!
参加方法は「タグをつけてポスト」するだけ!
あなたの「虹ヶ咲が好きな想い」を聞かせてください!
宣伝を挟んだところで、そんな素晴らしい企画にお誘いしてくださったわらみんさんに改めて謝意を伝えたいと思います。
そして、公式からのカウントダウンも始まり、完結編第1章公開まで「いよいよ」という気持ちが高まってきましたね。予告PVを何度も何度をリピートする日々です。
しずくちゃんのダンスシーンや謎の新キャラクター。
そしてなにより、ランジュママ。
本当にありがとうございます。
スクスタには登場していた、虹ヶ咲学園理事長こと、鐘嵐珠のママ。
(おそらくアニメ上ではまだ虹ヶ咲学園理事長として紹介されてはいませんが、さすがにその設定は変わらないと思っています)
個人的にスクスタでもっともっともっと掘り下げて欲しかったキャラクターなので、あくまで媒体は別ですが、完結編を通してランジュママ、ひいては鐘家やランジュの過去の掘り下げがあったら、本当に嬉しい。
本当に、嬉しいです。
もしランジュ、薫子、栞子の3人でガールスカウトに参加したシーンなんかが流れたりしたら、声を抑えることができないと思います。
あと、にちじずの発売日を早く教えてください。私にだけこっそり教えてくれても大丈夫ですよ DM開放しときますので
話が段々と逸れてきてしまったので、この辺りで締めさせていただこうと思います。
改めて、ここまでお読みいただきありがとうございました!
完結編第1章公開まであと9日!
次の担当はぎぬまさんです!