ウダブノの洞窟壁画 第1話
ウダブノへ向けて
ジョージアの首都トビリシの外れにあるSamgori駅からマルシュルートカ(乗り合いバス)に乗り込み田舎道を走る事2時間、私は目的地であるウダブノへと辿り着いた。この村はジョージアがまだソビエト連邦の統治下にあった時代には、特別な許可証がなくては訪れる事ができなかったと村人から聞いた。なぜならばウダブノはアゼルバイジャン共和国の国境に近く、南に車を走らせると20分ほどで国境の柵に当たってしまう様な場所に位置しているため、政治が不安定な時代には複雑な状況下に置かれ続けて来た。ジョージアの歴史は侵略の歴史と共にある。シルクロードの要であったこの土地は、ローマ帝国、イスラム帝国、ソビエト連邦、中央アジア諸国の遊牧民など様々な民族が隣国の大国と争うために彼らの土地を経由していた、しかし彼らは決して屈することはなかった。旅の道中で出会った多くのジョージア達がその歴史を誇りに思っていたのが印象深かった。彼らの多くは地酒であるチャチャを飲んで酔い始めると口々にこう言った、「我々は西洋で初めてキリスト教を国教にし、どれだけ文化を侵略されそうになってもその信念を貫き通してきた。それに加え我々は自国だけで使われ続けている言語(グルジア語)を話し続けているのだ!」、続けてこんなことを言う人もいた、「だから俺たちは日本にシンパシーを感じる。」と。天皇制を貫き通している日本国の成り立ちや日本語を使い続ける日本人のアイデンティティもジョージア人の文化の歴史と近しいものがあるということである。
ウダブノに訪れる前、私はアートレジデンスで製作活動をしていた。そのアートレジデンスがあった村オマロはロシアの国境沿いに位置していたし、ここウダブノはアゼルバイジャンとの国境沿いに位置する。両地ともに領土の侵略に幾度もあってきた歴史があるからこそ彼らは母国愛が特に強かった様に感じた。つい一年前までジョージアの領土であった土地が、次の年からは隣国の領土だと相手国側が言い出したりするのだ。そんな事であるから、隣人であった家族の国籍が突然変わってしまったという人の話もウダブノで耳にした。羊飼いである彼らにとって領土は故郷であると同時に生活に必要不可欠な財産でもある。国家権力によって「明日からここは我々の国だ!だから出ていけ!」と言われてもそう簡単な話ではない。高速道路を建設するから土地を空けて隣町に移住して欲しいという話とはまるで意味合いが異なる。何世代にも渡り同じ土地で放牧を続けて来たのだから、それは彼らのプライドにも関わる話でもある。その意思を曲げなかったために、アゼルバイジャン領土内に住み続けているというジョージア人の家族の話を村人から聞いた。その友人はジョージアでしか購入できない品物などを月に何度か国境柵越しに手渡しするのだという。島国に住む私は国境という概念を簡単に受け入れられてしまっているが、アフリカなどに見られる真っ直ぐな国境に違和感を覚えるように、ここジョージアの話に対しても同様な感情を覚えた。そんな事を深く考えさせられたのは、ここウダブノから20km離れた場所にある洞窟壁画を訪れる道中、誤ってアゼルバイジャンの国境沿いに立ち寄ってしまい、ステップ気候の砂漠地帯に摩訶不思議な人工的な掘りを見た時であった。それは人工物がほとんど見当たらない場所に突然現れた国境線であったのだ。
砂漠の洞窟壁画
私がウダブノへと訪れた理由は砂漠にある洞窟壁画を訪れて絵を描くためであった。オマロのアートレジデンスで制作活動をしていた時に、あるインスタレーションアーティストと友人になった。彼女の名はアナヒータ、私の中のインスタレーションアートの価値を変えてくれたアーティストであり、おそらくこれから大きな舞台へと旅立って行くであろうアーティストだと思う。素晴らしいインスタレーション作品を制作しているので是非彼女のウェブサイトもチェックしてみて欲しい。
そのアナヒータからウダブノという小さな村に素敵なホステルがあると話を聞いたので、私はそこで制作活動の続きをしようと思い立ち、ウダブノを次の目的に決めていた。そしてGoogleマップで村の事を調べていると奇妙な洞窟を発見したのだ。村の到着後に滞在先のホステルのオーナーに詳しい話を聞くと、岩山の洞窟を利用して作られた古い修道院があり、その中には保存状態の良いフレスコ画が残ると言うではないか。
私はそこを次の目的地に定めた。
しかしオーナー曰く、修道院は修行に専念するために人里から離れた場所に作られたものであったことから目印となる標識はもちろんの事、整備された道はないと言う。かろうじて地元の羊飼い達が通った後のわだちが随所に残っているかもしれないが、季節によって放牧地を転々とするのが羊飼いであるから、その跡さえも雨などで消えてしまっていて発見できるほど残っていないかもしれないと言う。否、僕は小学2年生から10年間以上ボーイスカウトをしていた過去がある。高校時代には富士スカウト章を受章した立派なスカウトである!読図もできるし、こんな事があろうかと出国する時にコンパスをザックに入れておいた。しかし肝心な地図がないのだ。Googleマップの縮尺では十分な位置確認ができない、しかしウダブノからは大きな山を一つ迂回しながら西に進めば辿り着くことは分かった。片道20kmであるから朝早くに出発すれば日が暮れる前に十分に村に戻って来れる。何度かマッピングのために探索し、日が暮れる前に宿に戻り、また翌日にアタックするというのを繰り返していき確かな方角を探ってけば良いだけの話だ。私には2週間という時間があったから挑戦可能だと踏んだ。
出発早々
翌朝、オーナーに出発を告げるとジョージアの郷土料理であるチーズ入りパン「ハチャプリ」と500ml缶のコーラ、リンゴを託してくれた。そして私はいよいよ洞窟に向けて進路をとった。
村を少し離れると見渡す限りの草原であった。地元の人はデザート(砂漠)と形容するが、暑い日差しのせいで立っているだけで喉がカラカラになっていたインドのタール砂漠や中国のタクラマカン砂漠と比べると、ウダブノのそれは到底別のものだった。帰国してから調べてみると、ウダブノはステップ気候に位置するため半ば砂漠であることもあれば、草ないしは低木におおわれていることもある。季節により両者が移り変わることもある様なので時期が異なれば全くの砂漠地帯なのかもしれない。私が訪れた9月には様々な植物が生き生きと根を張り、葉を伸ばし、毒々しい色の花を咲かしていた。道中雨が降ることもあった。
歩き始めて2時間程立った時、私は立派なわだちを見つけた。「なーんだ、オーナーが言うほど未開の地ではないじゃないか。」そう思いつつも、幻想的な草原の景色に圧倒され、何度もフィルムカメラのシャッターを切った。それ故にあまりなにも考えずにハイキングを楽しみ、ろくに読図もせずにそのわだちを進み続けた。一回目で辿り着けることはないと内心分かりきっていたので、そもそもその日はゴールすることを第一に考えていなかった。それよりもこのワクワクする冒険を焦らずに堪能しようと少年の心で歩き続けていた。それから2時間ほどたった時、私は小高い丘の上を歩いていた。「この丘を越える時には少し遠くの方まで見渡せるだろう、その時に山々の位置から自分の居場所を確認しよう。」と考えていたが、思いもよらない登場人物と出くわしたのだった。
アルマーニ男
丘を越えようとした時、遠くの方から犬が吠える声が聞こえた。それも1〜2匹ではない。大小様々な太さの犬の声が少なくとも5匹分は聞こえる。それまでにも遠目に放牧中のシェパード犬を見たことはあったし、その犬達も遥か先から私に向かって吠えていたことはあった。しかし今回は数も多いし、何より距離が近い。僕はデカい犬は嫌いだ、なぜなら怖いから。その嫌いなデカい犬が複数こちらに向かって走ってきているのが分かった、しかし時すでに遅し、5分前にはゴマ粒程だったのに、もう顔色がわかるほどの距離まで接近されている。怖い、怖すぎる。大きいものだと私の腰ほどまでの高さのシェパード犬6〜7匹にあっという間に取り囲まれた。「飼い主は何処にいやがるんだ!?早く吠えるのをやめさせてくれ!!」そう願うことしかできなかった。なぜならシェパード犬は知的で忠誠心と服従心に富む放牧犬である。こちらが不審な動きをすればするほどに奴らは吠える様に教えられているので、立ち止まることもあまり賢明ではないと知っていた。私は歩幅を小さくして歩き進めることしか選択肢がなかった(と思う)。すると遠くの方に突然、金属製の背の高いフェンスが現れた。そして一軒のプレハブの建物も見えた。その脇には、なんと4輪駆動のパトカーがあるではないか。「おっと、、、やらかした。」私が歩いてきたあのわだちはこの国境警備隊のオフィスへと通ずる道であったのだ。警備隊の大男達がシェパード犬の吠える声を聞いて重い腰を上げてやっとオフィスから出てきた。どう言うわけかアゼルバイジャン側にオフィスがあったため、重い金属製のフェンスを上げるのに時間がかかっている。「早く来てとにかく吠えるのをやめさせてくれ!!」そう内心ビビりまくりの私は頭をフル回転させながら、彼らにどう言い訳しようかと考え始めていた。こんな草原(砂漠)のど真ん中にアジア人が1人、首には見るからに高価なフィルムカメラをぶら下げていえう。カバンの中には道中に絵を描こうと思って持ってきたスケッチ道具一式、パン、コーラ、水、マルボロ。明らかに普通の旅行者ではない。それに一般的な観光客ならばわざわざ洞窟まで歩こうとはしない、遠回りしてでもドライバーをレンタルして訪れる距離である。ホステルのオーナーにも車で行く事を推奨されたくらいだ。そしてなにより時期が悪い、ウクライナ戦争が勃発しているのはもちろんのこと、ジョージアとアゼルバイジャン間で数日前に国家間でのいざこざがあったばかりであった。スパイ的な疑いをかけられる線もないことにはない。色々と考えたが、結局キレた回答は思い浮かばなかった。少しづつ近づいてくる警備隊たちに向かって私は手を挙げて大きな声で「が〜まるちょば」(ジョージア語でこんにちは)と叫んだ。眉間に皺を寄せたライフルを担いだ2人の警備隊と、もはや本物か偽物か見当がつかないアルマーニのバックルのベルトに、やたらと綺麗な黒いタートルネックの服をインしている男(腰には手錠と拳銃)がのろりのろりとこちらへやって来る。(彼らはまだ犬に吠えるのをやめる様には指示しない、、、)「うむ、、、明らかに何かしら疑われている。」そうでもなければ早くにでも犬が吠えるのを辞めさせるはずだからだ。明らかにわざと吠えさせ続けている。顔色が分かる距離まで彼らが近づいてくると、アルマーニ男は「ハロー」と言ってきた。その小綺麗な格好をしてワックスで髪をピッシリと固めたアルマーニ男は、間違いなく大学卒の士官候補生とかで、本部での昇格のために数年間の地方勤務を言い渡されたエリートコースを走っている輩だろうと踏んだ私は、彼に英語で事の説明を始めた。パスポートを見せろだの、航空券を見せろだの、陸路での国境越えでよく要求される情報を一通り答えた後、彼は私に拙い英語でこう説明した。「君が行こうとしている洞窟へは到底歩いていけない。」(私の心の声としては)「いや、行けると分かっていたら冒険にならんだろう、、」と思いつつも、「そうだったのか、僕はアーティストでこの美しい大地で風景画を描こうと思ってハイキングをしていたんだ。辿り着くのが無理なのであれば村まで引き返そうと思う。では!」そう言い捨ててその場から消え去ろうとしたが、アルマーニ男は私のパスポートを返してはくれない。そして他2人に何やら指示を出し、私のパスポートを彼らに手渡すと、「コピー、コピー、オフィス」と言ってライフルを持った内の1人が私のパスポートを持ってオフィスに戻って行った。「ん〜、少し厄介だな〜」と思いつつも、この状況で唯一確かな事は抵抗するべきではないという事だったので、「ならば私も行こう」と申し出たがもちろん連れて行ってはくれない。それから15分ほど時間がたったがまだ彼は帰って来ないままであった。その間アルマーニ男は少しずつ私にパーソナルな会話をしてきた。日本にはジョージア人の相撲がいるだろう!彼は我々のヒーローだ!と言い始めたり、タバコの火を貸してくれだの、日本のどこから来たのだの。(驚いたことにワンピースの話は出なかった。)しかしその質疑応答をしている内に、もうこの状況は青信号であると察しがついた。彼はもはや身柄拘束のためでなく、時間潰しのための質問をしていたからだ。少し気を緩め始めた直後、オフィスの方から大きな物音が聞こえた。するとそこにはさっきの彼と一緒に別の新しい男が立っていた。しかもそいつは黒い軍のジャケットを来ていて、あの四輪駆動のパトカーのエンジンをかけ始めているではないか!そしてもちろんのことその車はフェンスを超えてこちら側へとやって来た。アルマーニ男が私にこう言った。「Get in the car!」「いや、いや、いや、いくらなんでも大の男4人と一緒に車に乗るのは遠慮したいのだが、、、」しかしいくら丁寧に抵抗しても、「まー乗りな!」としか説明してくれない。ついにはその貫禄のある軍服を着たオヤジが車を降りて私の目の前までやって来た。何を言うのかと思えば、「パスポートをありがとう、コピーを取らしてもらったよ、僕はここのチーフだ、君を村まで送って行こう!」と拙い英語で話してくれた。「なーんだ、いい奴らか。」調子抜けである。(私がここまで彼らを恐れるのは、彼らが汚職警官である可能性や、そうでなくても、何かしら言いがかりをつけられて金を払えと言ってくるかもしれないと予想していたからだ。)
私はその輸送車スタイルのパトカーの後ろに乗り込み、4時間かけて歩いた風景の逆再生を見せられた。とんだエキサイティングなドライブツアーを30分ほど楽しんでいると、見慣れた村ウダブノへと舞い戻っていた。
生1つ
ホステルに戻った私は荷物も下ろさずそのままの足でレストランへ向かった。カウンター越しにオーナーにビールを一杯頼むと言うと、すかさず「Already!?」と笑われた。それもそのはず、まだ昼の2時くらいだった。片道20㎞を往復するのは不可能な時間帯に、意気揚々と出かけた奴が帰ってきているのだから。彼に国境警備隊に出くわしたあげく送迎までされた話をすると、彼はこう言った「だから言ったろ!国境には近づくなと!」と笑いながらキンキンに冷えたビールを手渡してくれたのであった。
私はビールを飲みながらGoogleマップ上で今日歩いた道を探り当てた。航空写真を拡大しながら、目印としていた丘の位置を確認しながら経由したであろう地点にピンを置いていくと、プレハブのような人工物に辿り着いた。「おー!こんな所に来ていたのか!!」開始2時間後には全くおかしな方角に進路を切っていたことが分かって合点がいった。ちょうどフィルム写真に没頭していた頃である。後にトビリシの写真屋でフィルムを現像してみると、それはもう大層幻想的な良い写真が撮れていた。それにそこで見た植生の景色は後日見ることのない風景であったのだから、迷った甲斐は十分にあったのだ。
美しい夕陽を眺めながら、私は翌日のアタックに備えて、前回よりも入念に航空写真と睨めっこしていた。
つづく、
9月28日2023年
刺繍職人/アーティスト の Pom Zyquita です
インスタグラムで刺繍作品や旅中に描いたパステル画を載せています!
是非見に来てね!
おまけ