ただ私でありながら社会と生きる
私はただただわたしで居たくて、その私の延長に日常や仕事や遊びがあったらいいなと思う。
何かを頑張るのではなく、私で在る1歩先の/1歩外側のそれが、人と関わる/交わる部分だといいなぁ。
社会で生きるためには、社会仕様の私につくりかえて、その私で生きなければならないと思っていた。
けれども、私はただ自分で在りたくて、社会仕様の私は私の望む私とはちょっと違う。必要以上の頑張りがどうしても必要になってくる感じがする。
甘えと言われればそうなのかもしれないけど、このモードで長時間・長期間の労働は難しいから、変化させるポイントなのは確かである。
私にあう形は、たぶんきっとこの世にはまだなくて、あったとしても極わずかで。だからこそ自分で創造して納得して選んでいかねばならないのだと思う。
参考になるものが少ないものを生み出すのは、私にとって難しいことだけど、参考になる人が全くいないわけではない。
素敵だなぁと、そういう在り方がいいなぁと感じる人は少なからず居る。
そんな方々を大切に、自分色に染めていこう。
今日も一歩。ゆっくりと。