君に、会いにいく
※盛大なるフィクションです
「なんでそんなこと言うんだよ」
いつも笑っている温厚な彼が、瞳に翳りを宿して初めて私に強い声を放った。
***
「えーっ!これがあの時の彼なの!?」
と、職場でお世話になってるまき姉が、彼が載っている雑誌を指さして目を見張った。
私は書類を整理する手を止めずに、なるべく平静を装って
「えぇ、向こうでも頑張ってるみたいですよ」
「そうなんだ。上京したら環境も違うだろうし、こっちへ帰ってくるのなかなか大変そうだね」
「そう…ですね…」
今勤めている会社のすぐ側には割と大きめの川が流れていて、仕事や人間関係で行き詰まった時や息抜きしたい時には、いつもこの河川敷でボーっと水の音を聴きながら座っているのが私の日課だった。
入社して1年ちょっと経った頃からか…堤防沿いをフットワーク軽く爽やかに走る青年をよく見かけるようになった。
その頃は、こんな田舎にこんなスラっとして顔もスタイルも良くて機敏に動ける若者←がいたなんて、ととても印象的だった。
彼は独りだと俯きがちに黙々、淡々と走っているけれど、傍に誰かトレーナーさん?とかがいるとはしゃいでよく喋るし、すぐおどけた仕草をするし、フラフラして真っ直ぐ進まないしで、まるで真剣に走ってなかった、ように見えた。
休日には家族連れが散歩をしたりキャッチボールをしたりする姿も見られるこの河川敷だけど、基本田舎で人が居ないので、何もせず突然座っている私と、決まった時間に決まったコースを走る彼とは、お互いの存在を認識し、同じ空間を共有する「同志」みたいな気持ちでいたように思う。
ある日のお昼どき、いつも通り走っていたその彼は、川べりでバーベキューを楽しむ家族同士の集まりの中にマラソンのコースを外れて土手を駆け下り、いきなり入っていって、
「うまそうっすね~っえ!いいんすか!あざっす!!」
と楽し気に言っておにぎりを幾つかもらい、口いっぱいに頬張ってもぐもぐして、周りから笑われていた。
そして彼もとても嬉しそうに、端正な顔をくちゃくちゃにしてニコニコしていた。
前から何となく彼を観察していたけれど、そうか、、、
彼はきっと、周りの人が楽しそうにしてる姿が好きなんだな。
そんな風に感じながら、ユラユラ揺れる彼を何とはなしに視界に入れていたら、それが急にリアルな影になって近づいてきて私の前で止まった。
「これ、一緒に食いますか?」
と優しい声で私を覗き込むように言った彼は、さっきあそこでもらったであろうおにぎりを、おずおずと私の目の前に差し出した。
初対面なのに、いや何となくお互い知ってはいた(だろう)けど、その急な申し出にテンパってしまって、思わず
「あっ!食います」
と変な返しをしてしまった。
すると彼は少し驚いて目を丸くした後、照れたようにふんわりと笑った。
今日は、いつも走り抜けるところしか見てなかった彼の表情や佇まいがとてもしっかり見えた。
その人のよさそうな目尻の皺とか微笑みを湛えた美しい口元とか筋張った繊細な手とか彼全体が纏っている甘くて柔らかな空気感とか…
この時、自分が彼の事を
「好き」
だと知った。
よくよく考えてみれば、私はずっと長い間彼を見てきたんだ。(マラソン姿だけど)
「片思い」と言ってもいいのかもなぁ。
それ以来、河川敷で会うと挨拶をしたり、彼の走りの休憩がてら横に並んで一緒に川面の光を眺めたり、たなびく草木の匂いを感じたり、少しお菓子をつまんだり、周りに人がいるときには、気づかれないように会釈をしたり小さく手を振ったりした。
だいぶ慣れてきてお互い色んな話をするようになったけど、どうやら彼は将来を嘱望されたこの地元出身のマラソンランナーで、何かしらの選考会?か大きな大会?に向けてトレーニングをしているらしい。
メディアでも話題になってたイベントに彼が出場すると聞いた時には、スポーツに疎くてマラソン業界?のこともよく知らない私なりに、近くに行って応援したいと思っていた。
けど彼は
「現地には来ないで家のテレビで観てて」
と言って、私が見に行くのをやんわり止めてきた。
「え、でも出来るだけ近くで走ってるとこ見たいもん」
と食い下がっても
「お前を人混みの中で立たせたままにしておけねぇよ、心配じゃん」
とこちらをじっと見つめながら言うので、大人しく言う事をきくことにした。
と、歳上に向かって、何よ、『お前』とか…
キュンとしちゃったじゃないの(我ながらチョロい)
私が居ると気が散るのかな、知り合いが近くで見てるとやりづらいのかしら、迷惑になってはいけないし、と改めて自分を納得させ、現地に飛んでいきたい気持ちをなんとか抑えた。
当日は素直に家のテレビの前で齧りつきで見ていたけど、その画面の中ではどんなに辛くても終始笑顔を絶やさずに沿道の声援にも真摯に応え、周りのスタッフにも気遣いをする思いやりに溢れた彼の姿が長い時間映し出されていた。
沢山の人から賞賛を浴び、完璧な走りとその甘いルックス、ファンへの神対応で多くの人を魅了していく彼の姿は、田舎の小さな河川敷で一緒に笑い合った彼とは何だか違う人な気がして、画面越しの二次元の彼の姿がとても遠くに感じられた。
結局、そのイベントでの彼のパフォーマンスが大きな話題となり、彼が名実ともに世間に知れ渡るきっかけになった。
いつもの静かでひと気のない町の堤防には、彼の走る姿を一目見ようと連日沢山の人が押し寄せ、私の癒しの空間は常に人でごったがえすようになった。
それでも私も彼に会いたい、彼と話がしたい、といつもの定位置に居はしたものの、せっかく彼が通っても目が合ったのかどうかも分からない位、彼と私の距離は近くなくなっていった。
***
河川敷で会えることが当たり前だった日常は大きく変わり、しばらくして彼が東京へ進出することが決まった、と風のうわさで耳にした。
会社の窓から彼と私が河川敷で会っているのを見守ってくれていたらしいまき姉と同僚のみーしゃは、
「遠くから見てても2人イイ感じだったのにな~ホントに付き合ってないの?」
と興味深げに訊かれたけど…そんなこと全然ない。
私が密かに、勝手に好きなだけ。
向こうはきっとたまに喋る近所のおばちゃん、くらいにしか思ってない。
でも、もういつもの空間で自然に会って言葉を交わすこともできなくなるのかな…
そう思うと、胸の奥がギュッとして、何とも言えない苦しさが募った。
***
「おーーい、森口くん!お客さん来てるぞ!」
と上司に呼ばれてのそのそと受付まで出ていったら、なんと彼がランニングウェアのまま仁王立ちで待っていた。
「え、何、どうしたの…?」
と恐る恐る尋ねると、彼は
「話があんだよ、行くぞ」
と言って首を傾けて出る方向を指し、社外へと促した。
彼は今や有名人、ギャラリーが心配になって辺りをキョロキョロしていると
「巻いてきたから平気だよ」
と目も合わさず、ぶっきらぼうに答えた。
いつも一緒に座る悠々とした芝生の土手ではなく、倉庫の裏側の狭い場所で、お互い立ったまま向き合って沈黙した。
自分の爪先から伸びる長く赤い影が、彼の身長を追い越して遠くに揺らめくのをぼんやりと眺めながら、彼の言葉を静かに待った。
「俺さ、東京行くわ。チャンスだし、やりたいことあっから。」
としっかりした声で話し始めた。
「こないだのマラソン、すごかったね、カッコよかった…完走おめでとう」
「家で観ててくれたんだよな?ありがとな」
とお礼を言われたけど、あの時沿道に駆けつけた大勢の女の子たちに笑顔を振りまく彼の顔が急に思い出され、寂しい気持ちになった私は
「現地にいた子たち、可愛かったよね。私みたいなおばさんが見に行かなくて良かった」
と、少し捻くれた物言いをしてしまった。
こんなこというなんて、私ホント可愛げがない…
すると間髪入れずに彼は
「そんな失礼なこと言うなよ。年齢なんて関係ねぇし、あの時のことはお前ならわかってくれると思ったからああやって言ったんだろ」
と、静かに、けど普段の彼からは想像のつかないような荒い声をあげた。
そうだった。
彼は年齢や見た目で人を判断する人じゃない。
けど、こんなに素敵な人のこと、私みたいなものが好きでいていいのかなって怖気づいてしまうんだよ。
それに、上京したらもう今までみたいに気軽に会えない、会えないんだよ。
「東京で夢を叶えて、頑張ってね。応援も…仕事とか、色々で、行けないかもだけど、、、」
と話し始めたら鼻の奥がツンとしてきて、思いがけず言葉に詰まった。
すると、
「なんでそんなこと言うんだよ!」
と、いつも笑っている温厚な彼が、瞳に翳りを宿して初めて私に強い声を放った。
その声の勢いに狼狽えて黙っていると、ふいに彼のいつものボディオイルの匂いが私を包み込んだ。
華奢に見えた彼の胸の中に、いつの間にか私はすっぽり収まっていた。
「お前にばっかり『こっちに来い』なんて言わねぇ。俺が会いに行く」
右頬に彼の厚い胸板とほんのり汗の匂いを感じて、私の鼓動もどんどん早くなった。
「でも…そっちも忙しいでしょ、私もそんなしょっちゅう東京まで行けないし」
「お前が仕事や何やって言い訳できない位、俺がお前に会いに行く。それなら良いんだろ」
と言って、彼はさっきよりも強く腕に力を入れた。
彼の体温をより近くで感じ、言われた台詞の意味を足りない頭でフル回転で考えた。
「言い訳できない位会いに行く」
こんな素敵な言葉を、私に言ってくれるの…?
絶対あなたの方が忙しいはずなのに、もっと他に相応しい人がいるかもしれないのに。
ねぇ、こんな幸せで良いのかな?
いつもあなたは、私が思っている以上のことをやってのけて、私が考えていること以上に寄り添ってくれている。
嬉しくて泣きそうだよ。
ありがとう。
「イテテテテテ」
と急に私の体が風に晒されて、彼が私を解いたのが分かった。
「え?」
と私が戸惑っていると、
「ファンサし過ぎで腕が痛くてさ。まぁでもぶっ壊れてもいいんだけど!」
とお茶目に言って目尻に皺をいっぱい蓄えてニカッと笑った。
「あーーー俺さっきめっちゃカッコいいこと言ったべ?」
とおどけて見せる彼のことを、好きというよりいとおしく思った。
で、彼はてっきりマラソンで頂点を目指しに行くのかと思ったら、SASUKEに命を懸けてるらしい。笑
今日はその収録なんだって…
現地には行けないけど、テレビの前で応援してるから。
そしてまた近々、2人で一緒にあの河川敷でおにぎりを食べよう。
ー end ー