かいじゅうたちのいるところ

この絵本、有名ぽくて、絵も見たことがあったし、本自体も手に取る機会はたくさんあったのに、初めて読んだのは3年くらい前だった。

当時の記憶はあまりない。
私は常に何か考え事をしてしまい、深く考え始めると、自分の脳内に沈み込んで何も聞こえなくなってしまう困った癖がある。1日に何回も…というか、だいたいがそんな状態が普通だ。

一時期、子供の貴重な瞬間を、その謎の癖で見落としているのではないか?と思ったら、凄く残念に思えてきてしまい、『深く考え始めないようにしたらどうなるか』をトライヤルしたことがある(正確には今も時々、というか、それを意識しないと子供の話を上の空で聞いてしまうので、そこから意識して切り替えをするように努めるようになった)

「かいじゅうのいるところ」はそんな時期に読んだからだろう。印象があまり残っていなかった。一昨日、次女にせがまれて、おそらく3年ぶりくらいに「かいじゅうのいるところ」を久々に読んだ。

「どう理解したらいいんだろう…。こんな本だったっけ?」というのが率直な感想だった。

主人公のマックスという男の子は、着ぐるみを纏うとかいじゅうみたいになる。まずそこから引っかかる。着ぐるみは、一体何を表しているの??
暴れるマックスにお母さんも飼い犬?も耐えられなくなり、最後にはマックスを部屋に閉じ込めてしまう。部屋に閉じ込める??
出てくる怪獣の体の一部は人っぽかったり、部屋に戻るまでの話もすごく不思議でどうとらえたらいいのやら?
私の解釈の仕方おかしいのかな?とか思ってしまった絵本だった。

昨日も「おおかみと7匹のコヤギ」を読んだ。
この物語はヤギ視点で書かれているので、ヤギからすると、姑息なオオカミは非常に憎い相手で、最後はおなかに詰められた石の重さでオオカミは井戸に落ちて死んでしまい、良かったね、で終わるのだ。

でも、次女は微妙な表情。となりの私も微妙な気分。
「なんで石を入れるの?」「なんで死なないといけないの?」「ヤギさん生きてたのに?」
そうそう、私も同じことを思っていた。オオカミの側からしたら、おなかすいてるから何とかして食べたかったのだろう、ヤギを。
でもヤギとしては、二度と食べられたくないんだよ…。

絵本は深いなぁと思うと共に、改めて子どもがどう解釈するのかを妨げないようにうまく読んであげたいなぁと思った読書だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?