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視覚の移行(5)貝類の視覚

貝類とは何を表すか

視覚を非物質界に移行させることを日々考えているので、夢見もそういったものが多いのですが、1週間ぐらい前に見た夢では、人間の視覚は直線だけれど、貝類の視覚はまず左右が反対になり、そしてカタツムリの殻のように渦巻き状の視覚を持っているという夢を見ました。これは貝類が実際にそうだというより、貝類は松果体のことを表しているのだろうと思います。

貝類というと、ひとりで殻の中に閉じこもるイメージがあります。殻はひとり1つで、誰ともつるみません。
グルジェフの「生きとし生けるものの図表」では、無脊椎動物の中層重心はH96であり、貝類はH96に重心を置いた存在なのですが、H96の感情とは、誰かに頼ったりせず、ひとりで殻に閉じこもって、そこで心に火を燃やしているような状態を表します。一般的な人(脊椎動物)の中層重心はH48で、これは興奮も落胆もしておらず、周りと普通に日常会話をする状態なので、H96のように殻に閉じこもっていません。
ではH96の状態は悪いのかというとそうではなく、H96はそれなりにひとりで結晶化しているけれど、H48は横とつるむばかりと言うこともできます。
これは単に重心の違いであり、H48の感情はH96の感情に影響を受けやすいので、H96のような引きこもりを嫌うところがありますが、たとえばH24に重心を置く存在(本来の人間)から見ると、H96は良い素材であり、忌み嫌う理由がありません。

夢で見た貝類というのは、これを良い素材として見れる視点から見たものであり、「引きこもり最高」と思っています。

仮に松果体をH24として、そこにH96を共鳴させるというのは、貝のように松果体に閉じこもることを表します。松果体の中にひたすら閉じこもると、左右が反転し、カタツムリの殻のような渦巻き状の視覚が手に入るのでしょうか。この渦巻き状の視覚というのはどこから来たのか考えます。

渦巻き状の視覚とは

人間の視覚は直線的で、対象物は常に目の前にあります。これは時間を直線で考えているせいもあるのではないでしょうか。過去があって今があって未来があるという直線時間に捕らわれなくなると、視覚ももっと自由になるのではないかと思います。

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(45)』ではスピカの球体時間について書かれていました。

地球人は直線時間を考える。これは回帰する場所がないという意味でもある。実は、特定の場所を到達点として行き着くという概念を抱くことで、地球人は個体イメージを持つことができる。机の脇に自分がいるわけでなく、部屋に充満しているわけでもなく、自分は椅子に座っていて、他のどこにいるわけでもない。意識は動きの中でのみ存在する。(つまり対象に投射される時のみ存在する。)つまり時間が動いている時のみ、意識は存在し、もっと言えば、肉体も決められた時間の推移の中でのみ成立する、ある種の幻の形だ。
 でも古代の円環時間で生きる地球民族でなく、さらに進んで、スピカの持つ球体時間となると、出発点から進んだ後に、出発点に戻ったり、またマルチな方向に分岐したり、また戻ったり、不規則な方向性を持っても、混乱しないで、満足して拡散できる。時間の拡散を恐れて不安がるのは、直線的時間に住む地球人だけであり、それは決まったコースから脱線する不安だ。自分という存在性がばらけてしまうのだ。

サビアンシンボルでアカシックリーディングする(45)より

スピカはいろいろな形を決める作用がある恒星でもあり、それは視覚のおおもとに関わるので、つまりは松果体にも関わってくるわけですが(松果体は視覚のみの作用があるわけではないが)、そのスピカが球体的な時間の概念を持つということは、視覚もそれに準じた視覚になることは間違いないのではないでしょうか。
松果体を突き詰めて、そこに貝のように閉じこもると、スピカに通じ、そうしているうちに、この地球での直線的な視覚から自由になると思われます。

私はこの渦巻き状の視覚について考えると、何とも不思議な、そして自由な気持ちになります。まるで足場がないのですが、それでも気持ちいいと感じます。この直線的な視覚から自由になることは、牢獄から抜け出すような清々しさがあるのではないでしょうか。

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