しぶんぎ座流星群と昔の北極星
1月3日深夜~4日朝にかけて、しぶんぎ座流星群が見られるそうですね。
しぶんぎ座流星群は、しぶんぎ座が88星座に選ばれなかったことから、放射点付近のりゅう座イオタ星にちなんで「りゅう座イオタ流星群」と呼ばれていた時期もあったそうです。
このりゅう座イオタ星は「エダシク」という名前が付いていて、これはBC5300年ごろの北極星です。
りゅう座イオタ流星群の名前は定着せず、今でも88星座にないしぶんぎ座流星群という名前を使っているのは、エダシクが北極星だったころの影響を受け入れないという裏の意識もあるのかもしれない、などと考えてみました。
流星は恒星から流れてくるわけではありませんが、地球から見ると放射点が近くてそう見えるというのは、人の心の奥底に影響するものがあるのではないでしょうか(実際には放射点からきれいに見えないにしても)。
星座も地球から見るとそう見えるというだけの配置ですが、それが古い文明を作ってきたのです。
三大流星群のペルセウス座流星群やふたご座流星群は、恒星を名前に付けているわけではなく、ざっくりしています。水瓶座エータ流星群など恒星を名前にしているものもありますが、エダシクのように過去の北極星ではありません。
エダシクが北極星だったころ
エダシクが北極星だったのはBC5300年前後ですから、その前後の北極星の移り変わりを考えると、だいたいBC6500~4150年頃、エダシクが北極星の役割をしていたと考えられます。
これをシュタイナーの「後アトランティス文化期」の分類で見てみると、古インド文化期の後半から、原ペルシャ文化期の前半にあたります。
①古インド文化期は全てを無にするような意味があるそうで、②原ペルシャ文化期はそこから物質化に向かう最初の文明と考えられるので、まだかなり霊的な世界です。
私が以前見たエダシクの夢見では、たしか神々が大食いをしていて、惑星や全惑星などを食べていました。まだ神々との繋がりが残っているような世界と考えると、そのような過去の北極星付近から、まるで使者のように流れる流星が見られるのは、なかなか面白いのではないでしょうか。
現代は⑤ゲルマン文化期ですが、④ギリシャ・ローマ文化期で物質化が完了し、今度はまた霊化に進むほうに向かい始めているわけです。流星を見ながら、そういったことに思いを馳せるのは、今の時代の人々にとって大切なことかもしれません。