ウポポイとアイヌ語
北海道の移動中、途中で白老町を通過することになった。それでは、新しくできたアイヌ民族文化の民族共生象徴空間ウポポイに足を運ばないわけにはいかないだろう。
ウポポイは2020年7月にオープンした大型の文化施設だ。今年のもともとは白老にポロトコタンという、村のような博物館があったはずだ。なのでそこを拡張し、大型の文化施設にしたと考えられる。
2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が施行され、ウポポイの登場はその先駆けとして象徴的な登場をすることになった。また、日本のエスノツーリズムの関連から考えても、ウポポイは興味深い施設になると思っている。アンケートを取り、何がウポポイに旅行者を惹きつける要因となっているのか見える化できたら、アイヌ文化や白老町の観光を考える上でいい資料になるかもしれない。
ウポポイのアイヌ語
ウポポイにおいて個人的に注目すべきなのはアイヌ語の言語景観だと思う。言語景観は文字の通り、目に見える言語の環境、つまり、案内表記や看板などにどの程度、どのような言語(1)が見えるようになっているのか、という様子のことである。
その割合を数量化すると分析資料のベースメントができる。例えば山手線の車内の電子案内板には日本語のほかに英語や朝鮮語、中国語が登場する。ではそれに対して「どうしてその四つの言語が選ばれたのだろうか?」と考えることができる(2)。
その原因を調べるメソドは言語学に限らない。そのため、言語景観は都市設計や歴史や社会学、心理学など多角的に研究する機会を提供する、学際的な分野に発展している。
ウポポイ各所にある案内板は最低でも二言語体制だ。日本語とアイヌ語である。そもそも日本にはアイヌに関連する施設ですら公共の場でアイヌ語が表記に使われること自体少なかった。
例えば以前は札幌のピリカコタンのトイレの表記がアイヌ語で書いてあった程度で、北海道だけ見てもアイヌ関連施設においてすら、日本語が圧倒的に言語景観を占める言語であった(3)。
しかしウポポイにおいてはアイヌ語が全施設の言語景観に含まれる。恐らく書かれた言語としてアイヌ語は同施設内で二位に入るのではないだろうか。
アイヌ語の現代化
次にウポポイはアイヌ語の現代化に寄与していると思う。それはアイヌ語に現代的な語彙を提供する実験場となった、という意味でだ(4)。
例えば、上記の写真に取ったシアターは“Inoka nukar tunpu“とされているが、元々アイヌ語に「シアター」に相当する単語があったわけではない。このために「(何らかの)写像を見るための部屋」と原義的をアイヌ語に翻訳して作られた言葉だと推測できる。このような言葉をここでは仮に「現代アイヌ語」と呼ぶことにする(6)。
現代でアイヌ語を使う、あるいはしゃべる際に「この単語はアイヌ語でなんと言うのか分からない」ということによくぶつかる。この「シアター」もそうだし、「ホームページ」や「動画投稿サイト」、「スマートフォン」などもアイヌ語で文明的な生活を過ごすためには、現代アイヌ語の語彙(7)を「開発」しなければならないのだ。
アイヌ語の課題(8)
第一にアイヌ語の現代化は次のような問題を抱えていると思う:
①アイヌ語(9)にそのような単語がふさわしいか判断できる人間、あるいは機関が存在していない。
②日常生活で現代語彙を使う話し手がいない
例えば“Inoka nukar tunpu“は文法的に正しく作られている。ただ、アイヌ語をしゃべる人に「シアターはアイヌ語で何というか」と訊ねたら、答える人によって答えが変わるに違いない。日本語から借用してそのまま「シアター」と言われても不思議ではないのだ。
また現代のアイヌの人たちの第一言語はアイヌ語ではなく日本語だ。そのため、言語そのものに発展する土壌がなくなってしまっている。現代生活をアイヌ語環境で送る必要がないのである。例えばIT用語などをわざわざアイヌ語で言う必要もないし、あえて考えだす必要もないのだ。
そのため、ウポポイはアイヌ語の現代的な語彙の創出と使用を公共空間で実践した稀有な例と言える。
話者であったアイヌ人たちのほとんどはアイヌ語の喪失により現代を迎えた。そのため、民族的なアイデンティティーを支えるはずだったアイヌ語というのはまだ「近代」で留まったまま、書籍や録音の中で眠ったままになってしまった。
凍ったアイヌ語の時間を解凍する時代が到来しようとしているのかもしれない。ウポポイでの「現代アイヌ語」の登場はアイヌ語の現代復興にも大きく影響を与えていくのではないだろうか(10)。
ウポポイの役割とはなんだろう?
(11)ただし、ウポポイはあくまで「民族共生象徴空間」という文化施設だ。アイヌ人の声の代弁者でもなければ、アイヌ民族の行政を司る機関でもないし、ましてやアイヌ語の言語統制・標準語化を担う機関でもない。そのため、一般のアイヌの人々が行っている文化・啓蒙活動とウポポイの動向は切り離して考えるべきだろう。
また、入場するのはほとんどが和人/シサムだろう。次にもしアイヌの人がウポポイに入ろうとしても関係者でない限り、普通に入場料を取られることになるだろう。和人/シサムと一般のアイヌ人が入場客として同等に扱われるとなると、ウポポイはアイヌの人にとってどんな役割を果たすことができるのだろうか。
例えば口頭伝承を披露したい、踊りを披露したい、という要望が一般のアイヌ人からあればウポポイはそれに答えてくれるのだろうか?少なくとも、私が足が運んだ限り、「今まであったコタンが大きくなったに過ぎず、私たち日本人が物珍しさにコタンに訪れるという構図は変わっていない」のである。これについては今後を見ていくしかあるまい。
一方で、私たち日本人やアイヌ人にも目に見える形で、ウポポイが現代的なアイヌ語の語彙を使い始めた試みは非常に重要だと思う。”Hunta hok suop(おふだを買う箱")を「券売機」に、"Kotan sermak(村の後ろ側にあるもの)"を「管理運営施設」に訳して使っているように、私たちの今の生活にある単語をアイヌ語だけで表現しようとした努力は低評価されるべきではないと思う。
現代アイヌ語を使い始めたウポポイの試みは非常に面白いものであるし、これを見た若いアイヌ人たち、ぺゥレウタㇽはアイヌ語のクリエイティブな側面に新鮮さを感じるのではないか?
修正部分
2020/10/12 20:14
(1)ある言語→どのような言語
(2)行を分割
(3)行を分割
(4)加筆
(5)行を分割
(6)文言追加:このような言葉をここでは仮に「現代アイヌ語」と呼ぶことにする。
(7)必要な語彙を→現代アイヌ語の語彙を
(8)修正「上記の写真に取ったシアターは“Inoka nukar tunpu“と訳されているようだ。つまり、「(何らかの)写像を見るための部屋」と原義的に翻訳されている」→例えば、上記の写真に取ったシアターは“Inoka nukar tunpu“とされているが、元々アイヌ語に「シアター」に相当する単語があったわけではない。このために「(何らかの)写像を見るための部屋」と原義的をアイヌ語に翻訳して作られた言葉だと推測できる。
(8)「アイヌ語の課題」章を追加
(9)誤字修正:①アイヌに→アイヌ語に
(10)修正:ウポポイの登場→ウポポイでの「現代アイヌ語」の登場、「与えている」→「与えていく」に修正
(11)加筆