今日洗濯をしないと詰む
人生はそんなに簡単に詰まない。
何か失敗をしでかしてしまっても、リカバリールートが無数にあるのがこの世の中だ。
しかし私は、今日洗濯をしないと詰む。
私は今、スーツで出社する必要がある環境にいる。
スーツは堅苦しく苦手だという人も多いが、私はそこまで苦手ではない。
むしろ、服装自由になると毎日何を着るかに思案を巡らせなければならず面倒臭い。
スーツは毎日ワイシャツと肌着を着回し、たまにズボンを変えるだけでよいので楽チンなのだ。
ただし。
ワイシャツと肌着は毎日違うものを着なければならない。
至極当然のことのようだが、これは重大な問題点なのである。
いや、厳密には毎日同じものを着ていても怒られはしないが、そんなことをしていたら単純にキモい。
もう大体察しは付いているだろうが、今日洗濯しないと私は明日キモくなってしまう。
今日着た肌着とワイシャツを明日も着ることになるのである。これは、キモい。
だが、今まで一度もキモくなったことがないかといえばそんなことはない。
私は何度もキモくなっている。
ワイシャツのストックがなくなっていることに当日の朝気付き、昨日のシャツにファブリーズをしこたま噴射して仕方なく着る。
過去に何度も経験済みである。キモい。
私は体臭の強い方ではないが、とはいえ生を授かった人間であるため多少は「昨日着たニオイ」がする。
それを隠そうとファブリーズ等吹き付けてみるものの、どうしても芳香の陰から「昨日着たニオイ」は顔を出すものなのだ。
先述の通り私の体臭は大して強くないので、二日くらいなら同じワイシャツでも他人には気付かれないだろうと思っている。
だが、自分では確実に「昨日着たニオイ」を感じ、もしかすると他人にもそれが伝わってしまっているかもしれないというちょっとした肩身の狭さがストレスとなるのだ。
ただ洗濯をすればいいだけの話なのに何をゴチャゴチャ言っているんだ、とお思いの読者もいるだろう。
そういう問題ではないのだ。
洗濯という行為は私の目の前に、万物に勝る面倒臭さと共に聳え立っているのである。
洗濯機を回すまでは、服を放り込んでボタンを押すだけなので比較的容易な部類といえよう。
問題はその後だ。
干さねばならぬ。
これがもう面倒臭くて仕方ないのだ。
何が面倒なのかと聞かれても困るくらい、洗濯物を干すというのは面倒臭いとしか言いようがない。
なぜ機械を使って服を濡らし、手作業で干さなければならないのか理解に苦しむ。
それならドラム式洗濯機を買えばいいじゃないか、とお思いの読者もいるだろう。
私だってそうしたい。
だが我が家の間取り上、ドラム式洗濯機を置くことは不可能なのだ。
面倒臭さランキング第一位が洗濯なのであれば、第二位は必然的に食器洗いになる。
だが食器はさすがに洗わないと想像を絶する汚さになり、しかも飯を食うのに困る。
とはいえあまりに面倒臭いため、私は食器洗い乾燥機を設置した。
一人暮らしの部屋のキッチンには悠長にそんなものを置いているスペースがないため、脱衣所にメタルラックを置き、その上で食器を洗ってもらっている。
そのメタルラックは洗濯機置き場に隣接しており、ドラム式洗濯機を置いた場合ちょうど扉が開かなくなる向きになるのだ。
食器洗いか洗濯干しのどちらかの手間しか省けない。そんな究極の二択に迫られること必至の間取りなのである。
更に厄介なことに、最近私の食洗機はなんと、壊れた。
タンクに満タンの水が入っているのに水がないと言い張り、ピィンピィンと弱々しい電子音を発する以外のことは何もしてくれなくなった。
そんな何もしてくれない物がメタルラックと共に鎮座しているせいで、我が家にはドラム式洗濯機が置けない。
実に腹立たしい。
そんなにドラム式が置きたいなら置ける部屋に引っ越せばいいじゃないか、とお思いの読者もいるだろう。
さすがにそんなこと、する訳がない。
面倒臭いのだから。
こうなった以上、私は自力で洗濯物を干すしかない。
そうしなければキモくなってしまう。
このような面倒臭がりでも、できる限りキモくはなりたくない。
キモくならないためには、今日洗濯をしないと詰む。
この記事を書き終わったらとりあえず、仕事で疲れたので一旦横になることにする。