回避型愛着障害の僕が人を本気で好きになって振られた話

皆さんは異性のどんな所が好きになりますか?

ある人は見た目かもしれない、またある人は性格、またはその人の資産という人もいますよね

僕は、今年の1月に出会って、6月末までお付き合いした女性がいて、その人の長所も欠点もすべて好きでした。 そんな、中高生みたいな恋をした、いい歳した僕の話をしたいと思います。

僕は90年生まれで、今年で32歳になります。結婚もしていなくて、彼女がいた時期も人生で圧縮しても2年もないと思います。 なんでこの歳まで結婚もせず、彼女もほとんどいなかったかというと、僕が回避型の愛着障害だからです。

これは去年、カウンセラーの先生に言われて知ることになりましたが、これは別に病気とかではなくて考え方の癖みたいなものです。人に依存せず一人でいる方が気楽、そんなイメージ考え方だと思ってください。

友達は割といるほうなので、一人ぼっちになることはあまりないですが、心の底から信用して一緒に居たいと思える人は親も含めて本当は誰もいないんです。

そんな僕が、生まれ初めて人を愛して一緒に居たいと心から思えたのが元彼女でした。彼女は、これまで話してきたどんな人よりも辛い経験をしているのに、自分よりも僕を大切にしてくれる。僕もそれに応えられる人になりたいと常に思い、誠実に付き合ってきました。彼女は双極性障害という病気を持っていて、生活保護を貰いながらp活をして生計を立てている、そんな人です。僕はそんな彼女を'普通の幸せな人生'にしてあげたいと想いながら一緒に過ごしていました。

普通はそんな人と一緒にいない方がいいと思うでしょう。僕自身も彼女に出会う前ならそう思っていたし、交際相手が友達だったら止めていたと思います。しかし、僕は彼女と酷い終わり方をしたけれども今でも愛してます。それは元彼女の心の辛さが痛いほど解り、支えて一緒に幸せになりたいと思えたからです。

彼女の両親は仲が悪く、彼女自身もそんな両親とは一緒に暮らせずに今は一人で生活保護で生きていました。そして幼い頃には母親から虐待をされ、大人になる頃には実家のコンビニで馬車馬の様に働かされている半生でした。

僕はこの彼女の半生を聞いて、今の状態になるのは仕方ないことだと思いました。だって、大人になるための大事な時期に、大人のように振る舞って、そして大切にされて来なかったのだから。だから僕は彼女の病気は、子供の頃得られなかった愛情を与えて、時間をかければきっと良くなると確信を持っていました。なぜなら僕自身も幼い頃に虐待され、苛められたけれども今は真っ当な人生を歩むことが出来たからです。

僕は15歳まで4人家族で父親、母親、妹と僕の四人で生活してました。当時、父親は事業に失敗し、それを僕と母親のせいにして、毎日毎日何年も何年も嘲笑、罵声や怒号と暴力浴びせ続けました。そして学校でも身体の弱かった僕は苛められ、馬鹿にされ、それを苛めと認めれば、もっとエスカレートすると解っていたので、苛めてきた相手の機嫌を伺って、身体も心も傷だらけになりながら過ごしました。でも、その当時、死にたいと思ったことはなかったんです。僕の人生にとってそれは普通のことだから。その後、高校に上がって父親と別れた時、この生活が普通では無かったと自覚をし真っ当な生活が出来るようになれたのは僕が27歳になるまで掛かりました。その間は、本当に沢山の人に助けられて、多くの人から愛情を貰って立ち直ることが出来ました。だからこそ、僕は同じように彼女に対して親以上に愛情を注いで、傷ついた時間と同じ位の時間を掛けて、一緒に良くなりたいと心から思いました。

僕の精神は父親と離れてから回復するまで10年以上もの間、生まれてきたことが本当に悲しくて、けど死ぬ勇気もなく、ただただ自分を嫌いながら生きているそれだけでした。そんな僕は恋愛なんて他人のことを考えることなどなく、ただ自分のために生きていることだけで必死でした。そして社会人になっても自分の為だけに働いてずっと一人で生きるとそんな意気込みで暮らしていました。

それが彼女と出会ったことで変わることが出来たんです。彼女の人を思い遣る気持ち、そして何より一緒にいてこんなにも幸福な気持ちでいられる、そんな人は今まで出会ったことはなかったので、僕自身が心の中の穴を満たしてくれたし、彼女に対しても同じか、それ以上の愛で傷を癒やして元気になって暮らしたい、そう思っていました。

これは決して、ナイチンゲール症候群ではないです。僕と彼女の傷のなめ合いでもないです。お互いに心と身体の健康を良くしながら、心の底から幸せになりたい、そんな思いで生きられる関係だと思っていました。付き合っていた当時、別の仕事をしていて、パワハラも酷くて、ボロボロだった僕の心身も彼女がいたから辛うじて乗り切ることができた、そんな状態でした。

僕は当時仕事がきつくて、彼女も心配していたので新しい仕事につくことができました。そして新しい仕事は7月から開始すると言う時に、彼女は僕の前から去っていきました。理由ははっきりと教えてくれないまま、6月頃から段々様子がおかしくなり、逃げるように消えてしまいました。僕も諦めきれずに連絡しましたが、最後はp活の如く、お金を請求されて終わってしまいました。

付き合っていた時、僕は彼女にたくさんの優しさや愛情を貰ってきました。だからそれに見合うように、本気で取り組んで、限界まで頑張りました。だからこそ別れた時は、本当に辛く、自殺や自傷行為を本気で考えました。僕にとっては幼い頃の虐待されて誰も味方がいなかった日よりも、たった一人の愛した人を失ったことのほうが辛かったのです。けれども僕は今も生きてます。何故なら一緒に居た時に彼女に”生きること”の大切さを説明していて自分もそれを反芻した為です。そして、もしいつか彼女が助けを求めたときに助けたい、そう思っているからです。

僕も薄々はわかっています。きっともう会えないし、心も僕にないことも…。でも、もし運命の人ならまた戻ってきて、また一緒に生きることができるかも知れないと信じて希望を持つことしか今の僕にはできないです。p活で愛情もない、すごく歳の離れた人と暮らすなら、僕が頑張って稼いで暮らせるように死ぬ気で頑張らせてほしい…そう思ってます。

そして、こんな思いを書いたことには理由があります。それは今苦しんでいて、辛い思いをたくさんしている人に少しでも生きる勇気を与えたいと思っているからです。 僕はどうしょうもない親から生まれ、どこに行っても苛められ、それでも今日まで生きてこられました。そして、もう一生無理だと思っていた他人を本気で好きになることが出来たんです。お別れしてから2ヶ月以上、毎日悲しく辛いですが、それでもあの子と一緒にいられた4ヶ月は、人生で最も幸せで初めて生きてきてよかったと思うことができました。32年間で4ヶ月なんてたった1%しかないです。でも僕は初めて報われたし、その経験だけで同じ世に苦しんでいる人を励ましたいと思えるようになりました。 

こんな長いだけの話を読んでくれてありがとうございます。皆様とそして、元彼女が幸せに過ごせることを心から祈っています。

もっと彼女の魅力を伝えることができない文章力に悲しみながら終わります。

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