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赤ちゃんのせかい

過去にかれこれ8年も住んだオランダに戻ってきたのは約一年前のこと。まさかの電撃婚をしてあれまあれまという間に時は過ぎ、オランダ生活の慣れを戻し始めた頃、新たな命が私に宿った。嬉しさと不思議さが混同した気持ちでいっぱい、周りもさぞかし喜んでくれていた。世間のニュースや周りの友達たちを見ていても、宿ったら無事に産まれてくれるのがほぼ当たり前に見える中、私の赤ちゃんは安定期に入った頃、突然亡くなってしまった。なんの前触れもなく、なんの痛みもなく、普通の検診の時に分かった。心臓の動いていない、身体を小さく縮こませている姿がエコーで映し出された。信じられなくて変な夢でも見ているのかと思って目を覚ましたかったけれどやはり現実で、検診から帰る道のりは道路が波の様にうねうね動いている様に見えた。マーテンが身体を支えてくれていなかったら、たぶん帰れていない。悲しみに溢れている中でももう次の日には病院でお腹の子を産む準備が始まった。陣痛促進剤を入れてから破水し、普通の出産と同じく沢山いきんでようやく産まれた。オランダの医療は日本よりも進んでいるな、(環境の配慮、心理的な配慮)と後から関心する事が多かったが、その時は自分の事でいっぱいでひとまず緊急の手術もなく無事に赤ちゃんが産まれてくれた事に、これでよかったのだ、と自分に言い聞かせる事で精一杯だった。本当に小さいのに爪まで完璧にできている我が息子を見たらここまで頑張って育ったのに、やはり私のせいでこの子は死んでしまった気がしてならず何が悪かったのか、きっと私が動きすぎたせいだ、とかどうやって謝ったらよいのか、この子がどうかせめて天国へいけますようにとか、ぼこぼこ溢れ出す感情と共にとにかくマーテンと一緒に泣く事しかできなかった。

私はこの事が起きた時、何故かあまり隠そうとせずできるだけ沢山の人に話しを聞いてもらい、あまり自分だけの殻に閉じこもろうとしなかった。病院側はできる限り色々と調べてくれたが、私の身体にも赤ちゃんの異常も見つからず、流産の起こるといわれている15~20%に値してしまったという事だった。色々な人に話す事によって、思っていたよりも多くの人が流産を経験している事が分かった。実は私も昔、、という感じで週数はみなそれぞれだけれど自分の周りだけでもこんなにもの人が経験していたとは思ってもいなかった。そんな話しを聞くと私も勇気をもらえたりして、辛かったけれどきっと人生の何か役に立つ経験だったのだと思った。そして1ヶ月程前のこと、大好きな日本人のお友達と話していた時。彼女のお友達のお子さんは、どうやってお母さんのお腹へやってきたのか結構鮮明に覚えており、その時の事を話してくれた。赤ちゃんがお母さんを選んで来るというお話はよく聞くけれど、その子によると沢山の赤ちゃんがうじゃうじゃいる場所に滑り台があり、神様?の様な人が”次は君だ!行け!”と司令を出されて、はい!とその滑り台を滑り、その先でお母さんを選んだりするそう。そしてその沢山の赤ちゃんがうじゃうじゃいる場所には、”ただいま〜だめだった〜”と帰ってくる赤ちゃんがいるそうなのである。私はその話しを聞いて、私の赤ちゃんもまた新たなチャンスを待つ赤ちゃんに帰ったのだと思ったら、心の奥がすうーっと楽になった。会った事もない友達の友達の息子ちゃん、貴重なお話をありがとう。届けてくれたMちゃんありがとう。
*写真は全然関係ない、働いていたお店でつくっていたケーキたち。