(基本解説010)憲法九条の平和主義って素晴らしいけど本当はどうなんだろう
(政治や法律の基本解説)
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憲法九条があるから戦争はないんだ
という人もいるけれど ...
日本国憲法の平和主義は日米安保条約に
よって守られてきたに過ぎない
と考えるほうが自然
憲法九条を改めて見てみよう
日本国憲法の三大原則のひとつである「平和主義」についての論議は、けっこう複雑です。そこで改めて憲法九条を見てみましょう。
日本国憲法 第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
九条があるから戦争はないのか
この憲法九条の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」という考え方は、平和主義という観点から見ると素晴らしいものという人もいます。たとえば、この九条があるから戦争がないし、日本は平和を維持できていると。とはいえ、この日本が軍隊や武器を無くせば、周囲の国々が日本へは攻めてはこないといえるのでしょうか。ここでは日本国憲法の平和主義は日米安保条約の抑止によって守られてきたと考えるほうが自然ともいえます。日米安保条約があり、在日米軍のいるかぎり、日本に戦争をしかける国はないということです。そもそも、この憲法は二度とアメリカに歯向かわないよう、日本の手足をもぐことを目的としてつくられたものでもあります。
近隣諸国からの脅威に国民を守れるか
ところで、中国による南シナ海、尖閣諸島、台湾への脅威、北朝鮮の極超音速(マッハ5以上)滑空ミサイル、オホーツク海の聖域化などどれも目の前に存在する現実の脅威です。日本には、こうした脅威を想定した備えがないし、具体的な議論もなされていません。このような状況で果たして政府は国民の安全を守れるのでしょうか。いくら日米安保条約があるとはいえ、アメリカ人兵士が敵国の盾になってくれるだろうか、若い兵士が日本のために命をかけて戦ってくれるだろうか。兵士の親はどう思うだろうか。本来は自分の国は自分で守るものです。
交戦権の国際法上の解釈
日本国憲法第九条には、「国の交戦権は、これを認めない。」とあります。これは結局、自衛のための戦いもできなくなってしまう、ということなのだろうかという疑問が出てきます。「国家として戦争を行う権利」という見方をすると、このように解釈することもできます。
しかし、この交戦権は「国際法上、交戦状態に入った国に認められる権利」という意味もあります。具体的には「相手の国の兵力を破壊・殺害する権利」や「相手国を占領したり、港などを封鎖したりする権利」などが挙げられます。
日本政府の自衛隊の解釈
日本国政府は「交戦権」について上記の解釈をとっています。「わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです」との見解を示してきました。つまり「自衛のためにあるのだから自衛隊は戦力ではない」という解釈です。このような実態に合わせ、憲法の条文を変え、自衛隊を憲法のなかに位置づけしようという、憲法改正の意見が出ています。
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