見出し画像

トツキトオカ中の記録

※今年の2月の下書きを再編集

子どもを授かった。
これっきりかもしれないしまた訪れるかもしれないけれど、貴重な十月十日の今の自分を記録しておく。

まず感じたのは、
結婚したり、子どもを授かることは
急な変化ではなくて、私は私であって、
いままでの生活の延長線にあるということ。

味覚や嗅覚の変化はあれど、急にパートナーや周りの友人との接し方が変わったり、
自分の価値観が突然シフトしたりする訳ではないんだと感じた。

〇〇の嫁、〇〇のママである前に、
私は私、という思いが一層強まった。

また、私の周りの友人は「結婚したい人」「結婚はしたくないけど子どもは欲しい人」「子供は欲しくないけど老後だれかパートナーとは一緒にいたい人」等、多様な価値観で溢れている。

たまたま私は、今一緒に歩んでいるパートナーと結婚したくて、子どもが欲しいという価値観だった。

それぞれ自分で選んでいる選択肢だけれど
一部の友人からは「結婚してステージが上がったね〜」という話され方をすることがある。

私は、趣味を謳歌して自分の時間を大切にする生きかたも、自由に恋愛を謳歌する生き方も、
その人が選んだ生き方だったら同様に素晴らしいと思うのに

そこに優劣がつくような、壁が隔たるような形になるのがどこかモヤモヤした。

自分のリソースをどう割くか、
何を大切に過ごすかという優先順位の話なのでは、と思っている。

壁が隔たるといえば、最近結婚した友人が「最近周りと話が合わなくなってきた」と話していた。

よくよく聞くと、その子は夫や家での過ごし方、料理の話が好きで、
周りの友人たちは仕事や恋愛の話等をしていて、話が合わなくなってきたという。

それを聞いてどことなくさみしく感じた。

相手に興味や関心を持てれば、自分と違う環境に身をおいている人と話していても、
新しい自分の価値観に昇華できることもある。

私は仕事を頑張る人も、いまひと休みして自分の時間を大切にしている人も、独身生活を謳歌して旅行に行ったりアプリで色んな出会いをしている人も、色んな人の話を聞いて見たいと日々思っている。

これも私個人のいち価値観ではあるけれど、

それぞれの生活環境が変わっても、
頻繁に会えなくなっても、

友人といつまでも変わらずに仲良く過ごせることを願う今日この頃だった。