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2025年の卒業・修了制作展めぐりに向けて

2025年も卒業・修了制作展のシーズンになった。
ギャラリーをはじめてから展覧会を一緒に作ってもらえるアーティストを探す旅が始まった。2023年から積極的に卒業・修了制作展を見て回っている。卒展巡りは、2022年12月の東京造形大学と東京藝術大学の博士展がスタートだった。
僕の大学院の研究では既に価値が定まりグローバルに知名度が高いアーティストを研究対象にしていたため、見にいく展覧会なども限られていた。美大・芸大の卒業・修了制作展に関心がなかったわけではない。佐賀大学の卒展は2020年から毎年出かけているし、大学院のゼミで話題になっていたAATMの話はよく聞いていたし、そこから出てきたアーティストのことも耳にしていた。丸の内の展示についてもゼミ生と意見交換をしていた。

2023年、2024年と卒業・修了制作展を見て回った。2024年は見に行かなくてもよいかと思っていたけれど、振り返ってみれば、秀逸な作品との出会いが多くあった。2024年から北さん、中澤さんとはじめたCANKSの試みも面白かった。これは若手のアーティストを軽やかにレビューするという試み、軽くしようと言っていたのに数千字を超えるレビューを書いてみたり。。。
書き始めると止まらないのでしょうね。アートライティングの面白さは書いてみて分かる。

2025年は初めて東北芸術工科大学の卒業・修了制作展に行こうと思っている。雪が深いのと、なかなか遠いし、東京選抜展もあるから足が遠のいていた。先日初訪問してみて、とても良い環境だと思った。佐賀大学、広島市立大学とも通じる地方で芸術を学ぶということ、その魅力と苦労があると感じている。

如何にアーティストとして世に出ていくのか。その難易度の高さ。
2023年、2024年と毎年20近くの卒業・修了制作展を見て、数千点を超える作品を見ている。卒展の作品が印象深くて、その後の活動を継続して見ているアーティストもあるが、うまくアップデートできていないように見える場合もある。とはいえ、同じことを反復する表現もあるから、短期的に見てどうなのかということで判断はできないと思う。

僕はギャラリーを運営しているから、ギャラリストとして卒業・修了制作展を見ている。うちで展示して欲しい人、作品は素晴らしいがうちでの展示向きではないと思う人、既に売れっ子だろうと想像する人、ギャラリーがついている人、そのどれでも無い人とある。卒業後は就職して制作から離れる人もあるだろうし、それぞれの熱量の差もあると思う。

2024年はソウルでも展覧会を経験した。提携しているソウルのギャラリーからアーティストをいろいろと紹介される。そうした中で日本と韓国との差異を考えた。日本で韓国のアーティストを紹介する場合の難しさがある。その難しさを説明したり、ソウルのギャラリストやアーティストと会話しているうちに現時点では次の3点がポイントだろうと考えた。

  1. 作品が良いこと

  2. アーティストのキャラクター(知っているアーティストなのか、関係性の構築)

  3. 買うコンテキスト(どこから買うのか)

1.は当たり前であるが、何が作品の良さなのかを考えると難しい。例えばソウルのアーティストのキャンバス作品は、キャンバスの貼り方や、側面の仕上げ、木枠など一分の隙もなく綺麗に仕上げられている。一方で日本のアーティストのキャンバス作品は側面の仕上げはアーティストの考え方次第だし、キャンバスが反り返っていることもある。ソウルの複数のギャラリーを見て回ったがキャンバス作品はピッチリと木枠に貼られ、畳み込まれていた。まるで工業品のようであるが、どちらが良いというわけではないと思う。

2.は日本では特に重視されているように思う。アーティストが在廊してコレクターとコミュニケーションを取ることで、親しみを持ち、アーティストを応援したいから作品を買うという人は少なくない。レンタルギャラリーの仕組みも関係しているかもしれない。2024年はバーゼルにアート・バーゼルを見に行った。フリーズ・ソウルや東京現代も見ている。既に知っているアーティストや過去の巨匠の作品が多かったように思うが、答え合わせ的な具合になるとつまらない。それってアートなのだろうか、なんて思う。アートフェアは売れる作品をプレゼンする。業界がコンサバになっていると聞いたが、そのような状況なのでしょうね。
作品を見て気に入る。入り口として、それはもちろんある。けれども見た目の趣味の勝負は中々厳しい戦いになることは間違いない。作品を気に入り、作品を買う予算を持ち合わせていて、作品を飾るもしくは保管するスペースを持っている人が、展覧会に来る。どれほどの確率だろうか。
知っているアーティストの展覧会があり、そこに出かける。きっかけは作品だが、長期的に見てもらうことが大事だと考える。

1.と2.はアーティストについてだけど、3.はギャラリーについてのこと。2024年に3年目を迎えるにあたって、これを課題と捉えていた。ギャラリーのブランディングを様々に考えて展開していく。これは今後数年かけて取り組んでいく課題だと思っている。コレクターはアーティストから直接買いたい。僕もコレクターの時はそう思っていた。ギャラリーを通すことの意味合いは継続して考えていく。
コレクターにとっても、アーティストにとってもギャラリーとは何か?という点が、日々の実践からの学びになっている。
2.にも関連するが、アーティストとの関係性を如何に築いていくか。様々なギャラリーで展覧会を行うアーティストもあるが、それは2.の関係性の構築を自身で実施していくということと解釈している。特定のギャラリーで展覧会を続けるとギャラリーはアーティストのことをよく理解し、そのアーティストの売り込みも行う。逆に言えば、いろいろなギャラリーで展示しているアーティストへオファーすることは控えることもある。どちらのやり方がいいという訳ではないけれど、これから世に出ていくアーティストはどのようなギャラリーと付き合うのか、どのように自身を露出させていくのかを真剣に考えるといいと思う。
ソウルのアーティストを日本で紹介することを考えていた時、日本のアーティストを世界で紹介するにはどうしたらいいかという点に繋がった。思考実験というか、思考筋トレのような具合。

アーティストにとって作品をコレクションしてもらうことの意味合いはいくつかある。2024年の展覧会で、とある学芸員から聞いたのは作品をお買い上げ頂いたら作品が残るという。細かな意味あいまでは聞かなかったが、作家の死後に作品が家族によって処分されてしまうのだろうと解釈した。相続税を払えない場合や、保管場所の兼ね合いなど、理由は様々あるだろう。また、別の学芸員からはアーティストの条件について教えてもらった。放っておいても作品を作らないと居られない人というコメントが印象に残った。
コレクションされる作品と自身の発表の作品とを作る。広島市立大学で岩崎貴宏さんが新任教員展のトークで話をしていた。
アパレルでもランウェイ向けのショーピースと店頭に並ぶコマーシャルピースがある。アパレルの場合は強くコマーシャルに関連付いているし、成功の尺度のひとつとして経営的な視点も見られる。ただし、アパレルの特殊さは規模の拡大が必ずしも賞賛されるわけではなく、継続していくことがリスペクトの対象のように思える。もちろんアートはコマーシャルだけではない。

相馬千秋さんのポストを読んだときは、ギャラリーを始めたばかりだった。

作品を一旦自分から切り離す作業、これがとても大事であり、卒展を見ていて思うのはこれができていない作品が多いということ。

コマーシャルと創作との行き来あるいは揺らぎの検討は、今後もずっと継続していくと思う。1982年のNHKの番組「映像はぼくらのホビーだ」―ヤング・アニメ・フェスティバル―でゲストは手塚治虫先生と富野由悠季さんだった。趣味でアニメを制作している青年が二人の巨匠に質問をする。マイナーで趣味で作っていることに対してコメントを求めた。手塚先生は自分が楽しむことと、自分が楽しむならばどんな冒険でもできる。この二つを使えば、世界のアニメ祭りで通用する作品になると言う。お金儲けとは切り離している。そして富野さんは、コマーシャルの中で少しだけマイナーな部分を入れると言う。全てコマーシャルでやってしまったら、それは一過性になってしまう。そして「個人の意思の見えるものでなければ作品じゃありません」と締めくくる。

卒展は好き。荒々しさも見えるし、エネルギーも感じる。驚くべき視点を投げかけてくれたり、なんだこれは?という驚きも得られる。
2025年の卒展ツアーは来週から始まる。今年は、どのような作品に出会えるだろうか。恐らくCANKSも記事を重ねていくことだと思う。


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Tsutomu Saito
いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。