
民がいなければ王様はいない
いつだったか、少し前のこと。
電車に乗って流れる景色を眺めていたとき、ふと、「ああ、豊かだな」と思ったことがある。
都会らしく所狭しと並ぶビルの数々、看板、橋、線路、駅、整備された草花。
そんなものを眺めながら、そんなことを思った。
正直、思った瞬間になんで?ってなったけれど、よくよく考えてみれば当たり前のことだった。
ビルも看板も橋も線路も駅も草花も、想像もつかないほどの人が関わってできている。
建てた人はもちろんのこと、企画をした人、設計やデザインをした人、塗装、もっと言えば建てるために使う道具をつくる人も。
情熱的な人々が
「ここに来る人々を喜ばせよう、そのためにはどんなデザインがいいんだろう?材質がいいんだろう?」なんて、頭を抱えながらも楽しそうにとんでもない熱意で造ったのだと思えば、なんだかより感謝が湧いてくる。
ダルそうに働いてるかもって?
いやいや、そこは自分の都合のいいように考えようじゃあないか。
世の中、それひとつで成り立つものはひとつとしてない。
私達が今手に持っているものも、身につけているものも、私達自身でさえも、誰かの力を借りて存在する。
何も無いところからは神様くらいしか生まれない。
誰かがいなくても仕事も世の中も回るかもしれないが、私達が関わったそれは、必ず誰かの力になっている。
私達が何かを買ったなら、それを造った人たちのお金になり、その人達の生活を支えていく。
どれだけ駄目でも、ちゃらんぽらんでも、何をしていても、生きている限り誰かの役に立っている。
そんな風に誰かが関わったものには大きなお金が動き回っている。
手元にあろうがなかろうが、物で溢れた日本には大きなお金が毎日忙しなく動き回っている。
そう考えると、日本のなんと豊かなことだろう。
さ、もっと手元にも来ていいんだぞ。