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生きづらいのは知らないから?

先日、ビジュアルシンカーという言葉を知った。
物事を考える時、言葉ではなく絵で物事を考える人のことだそうだ。
日本語で言えば視覚思考者である。
他に、言語で思考する言語思考者がいるらしい。

私は絵というか、映像で思考する方だ。
本を読めば脳内に映画やアニメが上映され、曲を聞けばMVが出来上がる。

それはそれとして、この思考の違いの問題は『世の中の構造が言語思考者に優位にできている』という点。
なんだって。

言われてみれば、感情も考えも状況説明も、全て言葉にして伝えなければならない。コミュニケーションの大半は言葉で行われる。
それができなければあらゆる場面で、ダメだ、できない奴だと言われてしまう。
特に学生の時なんかは逃げ道がない。一番多感な時期なのに。

学生の頃よく思っていた。
みんなプリント読み終わるの早くない?
なんでスラスラと自分の意見や感想を書けるの?
音読の方が黙読より時間かかるとか言うのに、私ほぼ変わんないんだけど。どうなってんの?

伝えたいことの表面しか伝わんないのしんど。
脳みそパカーできたら良いのに。
もどかしい。

このモヤモヤは思考方法の違いのせいだったのでは?

言葉を取り込む時は、登場人物がキャラデザされ、音がつき、映像になって理解し、出力する時は自分の中の感覚を映像にして最適な言葉を探す。
どう考えたって時間がかかるだろう。
映像を言葉で伝えるのも難易度が高いはずだ。

ちくしょう。
長年のモヤモヤは思考方法のせいだったなんて。
読むのが遅いことへのコンプレックスが思考方法のせいだったなんて。
そのせいで本を読むのが苦手になって、劣等感で地味にいじけてたのは何だったんだ。

もっと早く知っていれば、みんなの黙読が終わるのに全然追いつけなくても『ま、全米も泣くほどの傑作映画作っちゃってるしな』といじけずに済んだかもしれない。

知ることは大事なことだと思い知った。生きづらいのなら尚更。
たとえほんの些細な生きづらさでも、その中に自分の個性が隠れているかもしれない。
それを知れたら個性を伸ばすことができる。
場合によってはより効率的に欠けた部分を埋める方法もわかる。
そして、人にも寛容になれる。
必ず生きやすい世界がある。

私は今、仕事でビジュアル面をよく使っている。
ありがたいことに評価してくれる人がいる。
嬉しくて気持ち悪い動きをしそうなくらいだが、正直、そんな褒めるほどのことじゃないよとも思ってしまう。
それは自分にとって当たり前に簡単にできる分野に身を置けたから。
努力が必要だとしても、その努力すら楽しく出来る分野に身を置けたから。
私は今かなり生きやすい。

まあそれでも、言語は多少なりとも必要だし、これを機に言語化の勉強でもしてみようと思う。も
今まで言語化に対していじけて練習もロクにしなかったが、納得した今、いじけるの阿呆らしい。

さて、勉強といえばやっぱり本?
……ビジュアルシンカーに優しくねえな。

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