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人間は、偏りがあるからこそ魅力的 #010

以前、神戸学校(※)にエッセイストの松浦弥太郎さんが登壇されたことがあった。

※ 神戸学校は「経験と言葉の贈り物」をコンセプトに、阪神淡路大震災をきっかけにスタートしました。毎月、各界で活躍されているオーソリティーをお招きしご講演いただきます。収益金は「あしなが育英会」を通じ東日本大震災遺児への支援に活用されています。

フェリシモ 神戸学校 公式アカウントより引用

当時「暮しの手帖」編集長で、中目黒や南青山で書店「COW BOOKS」を営む書店店主をされていた。松浦さんの著書もよく読んでいたので、講演を聞くのがとても楽しみだった。

あれから13年くらい経っているので、松浦さんが神戸学校でどんなお話をされたのか、具体的なところまで実はあまり覚えていない(すみません💦)。当時の講演会の記事を見つけて読んでみたものの、そう言えばこんなお話をしてくださったなーと思い出す感じ。

ただ、そんなおぼろげな記憶の中で、1つだけ今も明確に覚え続けている言葉がある。

それが、講演会の中で松浦さんが「人間は、偏りがあるからこそ魅力的」とおっしゃっていたこと。

実は、この言葉に、当時の私はめっちゃ“引っかかっていた”。いやいや、バランスのとれている人のほうが絶対いいでしょ、と

なぜなら、私自身が 正真正銘“偏り”のある人物で、当時は仕事に猪突猛進&全振りしまくっていた。ライフ&ワークバランスをうまくとれればいいのに、それが全然できない。24時間365日、頭の中は仕事のことばかり。また、物事も多面的にみるというよりは、これだ!と思うことにとことんまで打ち込む傾向があった。

新卒で働いていた出版社の社長に「バランス感覚をしっかり養うことが大切」的な訓示(?)を最初にいただいて、“バランス”という言葉が呪いのように重くのしかかっていた。にもかかわらず、バランスを得られぬままに、走ってきてしまった感。もはや、偏りがあることはコンプレックスと言っても過言ではなかった。

バランスを取れている人のほうが、絶対魅力的!と信じていたのに、松浦さんの言葉で、むむむ……となる。

講演後、気の置けない同僚兼親友と感想を言い合いながら「人間は、偏りがあるからこそ魅力的っておっしゃっていたけど、そうかなー? バランスの取れてる人のほうが絶対いいよね?」と、結構真剣(!?)に聞いてみる。

すると、同僚は「あはは!そりゃ、偏りがあるほうが魅力的だと思いますよ。まりっぺさんも、その偏りがあるからこそ、とても人間的に魅力的だと思います」と一笑してくれた。

このとき、同僚が軽やかに一笑&偏りを肯定してくれたことで、新卒のとき以来の縛りが解呪されたように思う。そうか、偏り=魅力的なのかと。

それから十数年、はたらき方のバランスはだいぶとれてきた一方で、“偏り”を肯定する気持ちはずっと深くなっている。「偏り≒その人の生きるこだわり」だと思って、誰かに会ったときも、その人らしさがあふれる“偏り”を見つけるようにしている。偏りを愛することは、その人らしさを愛することだと、今は思っている。


2024/1/10 日記
今朝は、息子が初めて「園にはいかん!」と言い出し、連れていこうとするも逃げて号泣。これは体調が悪くなる前触れか、園で何かあったのか、成長のしるしなのか……。夫と話し合って、とりあえず無理やり行かせず、今日は様子を見守ることにしてみる。家にいたら元気だったけれど、いつになくこだわりを主張していた。そういうステージなのかなー。

娘は学校から帰ってくると、ぴかぴかの笑顔で「学校楽しかった!その理由、ひとつ目は……」と5番目くらいまで理由を教えてくれた。教室に大きなストーブが来て席のレイアウトが変わっていた、担任の先生が髪を切っていた、絵日記の発表をした、とか。とりとめのない感じだけど、ぴかぴかの笑顔でホッとした。

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