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20数年ぶりの伊丹空港
今年最初の大阪出張。
これまで東京⇔大阪を数えきれないほど行き来しているけれど、今回初めて新幹線ではなく飛行機を使った。
飛行機派の人が存在するのは知っているけれど、僕は断然新幹線派。
理由を挙げたらキリがない。
・新幹線の方が乗り換えの手間が少ない
・空港までの移動や待ち時間を含めると、所要時間はあんまり変わらない
・マイルを貯めていない
・新幹線なら2時間半の間集中して仕事ができる
などなど、自分には飛行機を使う意味が分からなかった。
そんな僕がなぜ今回飛行機を選んだのか。答えは節約のため。大阪もホテルの料金が高騰している。頑張れば日帰りできないこともないけれど、どうせなら1泊して大阪の美味いものを食べたいし、普段会えない人にも会いたかった。
新幹線はあまり割引をしてくれないけれど、飛行機なら上手く行けばとても安くなる。
新幹線で往復するのとそう変わらない料金で交通費+宿泊費がまかなえるのであれば、使わない手はない。
そんなこんなで伊丹空港。
ここに来たのは16歳の終わりに一度だけ。実に四半世紀にわたってご縁がなかった。大変ご無沙汰しております。
前回の伊丹空港は、高校の研修でとある地域へ向かう途中の乗り換えで訪れた。修学旅行ではなく、僕のクラスだけの研修旅行。今思うと、なぜ大阪を経由しなければならなかったのか不思議でならない。地方の公立高校に通う生徒の家庭の経済状況を考慮して、格安のルートを選んでくれた結果なのかもしれない。
あの日、地元の最寄りの空港から伊丹に降り立ち、次の飛行機の搭乗時刻まで2~3時間あったと記憶している。いったん到着出口を通過したところで解散。空港の中で各自自由行動ということになった。
けれど、なぜそうなったのかは覚えていないけれど、クラスメイトと4人で空港を抜け出してモノレールに乗ったのだ。
どの駅で降りたのかは分からない。僕らは小さな駄菓子屋のようなお店でお好み焼きを食べた。
せっかく大阪に寄ったんだから、たこ焼きかお好み焼きでも食おうぜということだったのだろう。
けれど、スマホで地図も見られなければ、ネットで最寄りのお店を検索することもできない時代。どうやってその店にたどり着いたのか、まるで夢物語のように感じられる。
有名な店ではなかったと思う。地元にも同じような家族経営のお好み焼き屋はあった。
食事時ではない時間帯だったので、客は僕ら以外にはいない。お母さんが僕らのテーブルの鉄板に火をつけ焼いてくれる。言葉の訛りで大阪の高校生でないことは丸わかり。「どっから来たん?」「どこ行くん?」と話かけてくれた。
小学3~4年生くらいのお店の子どもも会話に参加。彼がお手伝いで店に出ている感じではなかった。自宅とお店がシームレスなスタイル。
1990年代、大阪だけでなくどこもそんなお店は多かったのではないか。
子供の頃通っていた近所の床屋の息子も、店で少年サンデーを読んでいた。
とっくに平成だったけれど、まだまだみんなで昭和を生きていたのだろう。
正直、お好み焼きの味は覚えていない。けれど、見知らぬ土地でこの親子と出会ったことはなぜか強烈に覚えていてる。
そして今週2度目の伊丹。空港を出て、20数年ぶりにモノレールに乗る途中でようやく知った。伊丹空港って正式名称は大阪国際空港なのね。国内線しかないのに。
まあ、なぜそうなのかは、関西の空港事情の歴史からだいたい想像つくけれど。
※偶然にも、今週伊丹空港がニュースになってた。