月だって光る
これまでの自分の人生を振り返ったとき、いつも誰か太陽のような人がいてくれた。エネルギーに溢れていて会うと力を伝染させてくれる人。
高校の親友も、大学でも、社会人でも、そんな人が近くにいてくれるとき、自分の心にも光を灯してもらって、自分を前に進めてもらった。
それはもう卒業して、月だって光りたい。
太陽に任せていたら、どんどん自分の光を弱めて甘えてしまうと思った、自分だって光ろう。
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娘を産んで、孤独に思えたけど東京の今の地点でできること全部やろうって、二本足で頑張っていたつもりだったけど(家族や友人に助けられているのは言うまでもなくマインドセット的な話です)、また何だか「役に立ちたい」とか、「これをしたら喜んでもらえるか」とか、大切なゆえに顔色を伺うようになってしまった。特に、もう依存するような事は大分なくなっていたと思うんだけど、娘にだけは、どうも分離できない自分がいる。ちゃんとしなきゃ・幸せになってほしいと言う願望とエゴと、責任のバランスがよく分からなくて、どうしたって振り回されてしまう。
「幸せになってほしい」「喜んでほしい」とかそれ自体は健全ならいいけど、自分の心を温めることをいつの間にか忘れていていると、すごく苦しい。なんだかずっと「ちゃんとしなきゃ」って思っていて、不器用な自分の割には高くを求めてしまって、少しでも至らない自分が見えるたび、少し心が冷たくなった。
長い目には完璧を目指してできることを増やしたいけど、まだ無理だ。
頑張ってる自分を認めて、焦らない・期待しない・全部やらない・甘える。
もっとワクワクしないとダメだし、ワクワクしない物なんてどんどん手放していこう。
手放したいこと・課題
■Be present
娘が寝てからやる仕事ばかりを増やして、心を重たくしてた。時間には限りがあるし、私の時間なのにToDoで埋めない。家で娘といる時にスマホを出すのを辞めたので、それで連絡を溜めてしまい厄介なんだけれど、それは必要なことで設けたルールなので、そもそも会った時・話せた時に短くても目をキラキラさせて向き合う。できることは少ないがごめん!と潔く言える自分でいる。それで失った仕事・関係は仕方がない。今の私にできる全力の優先度だから。それで娘との時間をおろそかにした方が後悔する。
■手をかけない
忙しいほど実感するけど私は手を動かして何か作ったり、時間と手間をかけることが好きだし、それが愛情表現・感謝を表す常套手段だった気がする。
自分の強みと思っていた物が、仕事のスピード感とか仕事量とかの効率性とは正反対のところにあったなあというのを嫌ほど実感している。正直ダラダラしても何となく手間をかけて形にすることを価値にしていたことが多かった分、時間をかけないと価値を出せていない・でも1つのことに時間をかけると他のものを犠牲にした気になる、みたいなスパイラルになっている。
だけど、今の自分でそれを尽くしたい人・ことには24時間では足りない。足りるかもしれないけど、それを目指すのではなくて、やっぱりここでも自分の今ココの表情・言葉で感謝を表さないといけない。
■謝り過ぎない
仕事を再開して、謝ることがすごく増えた。
自覚はしていたんだけど、やっぱり丁寧にしたいし、少しでも至らない気持ちがある時はたくさん謝罪の言葉を伝えるようにしよう、と思っていた。
だけど、やっぱり言霊で、たくさん謝っていると自分の心が萎縮してしまってた。
子供の体調不良・できなくて迷惑をかけたことはもちろん謝る。だけど自分の心を守るためにも、リフレクションはするけど謝りすぎないこと。これもできることを精一杯やることで、行動で示す。
■できないところばかり見ない
私が望むようなコミットではもう、できない。その事を認める。
会える友人・距離にも限りがあるし(工夫ややる気あればできるとかは置いて置いて)、前と同じ立場で同じようにがむしゃらに走ったり、自分の時間の限りを仕事に使ったり寝ないでやりきる、みたいなのを目指してはいけない。特に7月までは隙間時間にパートも入れてたので、本当に仕事と家事と育児、いつも今かけていない時間のことばかりが欠けて気になって、とても苦しくなっていた。何のためにやってるのか見失わない。笑顔になれないなら、周りにも迷惑で辞めた方がまし。
■工数管理
本当に仕事として初歩的なことに、1回1回のレッスンのサイクルや型はできてきたけれども、それに+aしようとしたり、体験レッスン入ったり、それ以外に正解のない範囲の仕事が本当にごちゃごちゃさせがち。
やっぱりあれもこれも、「できたらいいな」から考えずに、時間の枠を決めてできることを考える。仕組み作りをもっとがんばる。
■認められたい気持ちを持ち込まない
娘を育てて、お仕事をして、本当に中心になるのは自分の人間力なのだなと日々実感する。娘と向き合う毎日はとても幸せだけどやはり大変だし、後になって振り返ったらすごく貴重だってわかる今も、自分が未熟であると本当にいっぱいいっぱいになるし、自分の自信のなさに漬け込むみたいに本当に気をつけていないとネガティブが繁殖しそうになる。
そんな日々だと、小さな不満や不安が承認欲求になって、「どう思われるか」を気にしてしまう自分がいる。それは持ち込むべき感情ではなくて、組織・相手に何を貢献できるかをしっかり考える。お金をいただいて働いている以上はただその中身に集中する。
■自分の心の花を育てる
子育てもお仕事も全てコミュニケーションや関係性で、自分の心の状態が浮き彫りになるなあと思う。不安ややることがキャパオーバーになると、paralyzedすることがあって、そういう時はいったん進む方向と自分の心を一致させないと動けない。今がその作業笑。
そんな自分だからこそ旦那さんや娘の人間力に救われていると思うし、自分も未熟さを認めて自分を大切にしなくてはいけない。
特に、仕事力にも自信がないと、どんどん閉じていくし、自分でなんとかしようと思っては、仕事・家事のToDo以外には本当に後回しになってた。保育園に預けられる時間があるのが感謝だけど、生真面目に仕事しよう〜ってテンパってあっという間に過ぎるし、休日も足を運んで友達と会ったり、自分のものを買ったり自由にする時間も、完全に後回し。長い目で結局迷惑させるので、もっとワガママになる。自分の心を満たすことが一番の仕事。
■そして、どこに進むか
色々と悩んだ根本には、毎朝娘が保育園で泣かせるたびにこれでいいのか?とか、実際に自分のキャパオーバーだったりしたから。
じゃあ仕事を辞めればいいのか?と思ったら、それで今目の前の目標から逃げたら結局自分の自信を失うだけで、家族を責めるかもしれない、何の解決にもならないとわかってる。それよりは、ずっと何か不安とか怯えていた感じがして、もっと肩の荷を下ろして目の前の人との時間を大切にする。
でもその上で、物理的にきついとか、時間的に厳しいとかは、自分の肌感覚でしっかり察知して、より良い道を探す。ワーママなんて皆していて、兄弟いたり仕事の責務も重かったり、皆もっと頑張っているのだと思うけど、それは知らない、私は私で辛いものは辛い。
東京よりやっぱり海のある場所が好きだし、今すぐは得策じゃなくても自分を整える環境を探す努力をする。コントロールできることに目を向けて淡々と進む。
20240819