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足裏に野性を取り戻したいと思っていたら、明治時代の発明に同じような感覚を見つけた

足裏って大事みたいですね。ヨガの先生から教えてもらったのは何もできない時は足裏だけでもマッサージしておくと体全体の調整になるということでした。

全身には筋肉を包んでいる筋膜という膜があり、足裏の筋膜は体全体の筋肉を包んでいる筋膜の出発地点であり最終地点で全身に繋がっているのだそうです。イメージとしては筋膜は電車の路線みたいに繋がっていて、どこか大きな駅でトラブルが発生すると他の駅にも支障をきたすという。体全体も筋膜のポイントになる箇所をメンテナンスしておくと全身の流れがスムーズになるということです。

ゴルフボールやテニスボール、ダンベルの持ち手などで指の付け根でつかむように動かしてから、足裏の左淵、右淵、土踏まず、最後に踵の外淵をコロコロします。左右の淵は多くの人が痛いらしいです。足裏を触ってみると私の場合は指の付け根が冷たいのが気になります。頭や首の凝りや冷えにも関係があるようなので意識して足の付け根をほぐすようにしています。

人が裸足で生活していた時代には足裏がセンサーになっていたそうです。外界と自分の情報を敏感に察知して全身に情報を受け渡していたのでしょう。今では靴を履いてさほど神経を払わなくても怪我せず歩いてますが、その分、察知能力は衰えてしまった。これは一気に目覚めさたいと思い足裏のコロコロに励んでいるというわけです。靴を履いて歩く時には地面を掴むような感触を味わっています。リモート勤務で革靴を履く機会が減ったのが良いきっかけになりました。

ところで、冒頭の写真は明治時代に生まれた靴の発明をもとに刺繍しました。つま先の親指と人差し指あたりに紐のようなものがあるのが不可解ですよね? 実はこれが発明のポイントです。

特許明細書を見てみると「伸縮自在の裏皮と適当に緩緊することができる鼻緒紐を附設した靴」という記述があります。鼻緒紐のある靴です。鼻緒紐は親指と人差し指の間に靴底と靴の甲でつながっていて、足のサイズに合わせて鼻緒紐を靴の履き口の編み込み紐と結んで使うしくみとなっています。その目的は、靴の中で足指が窮屈にならず五本の指を自由に動かせるようにすること。足の大小に関わらずサイズフリーであること。

足裏が本来持っていた感覚を取り戻そうとしている私にとっては、この発明の考え方に大きく頷いてしまいました。わらじや草履、下駄が主流だった時代から靴への転換期である明治時代には靴は足指が不自由だなぁという感覚が今よりも強かったことでしょう。また、鼻緒と革靴を合体させるという発想には今ここにあるものを生かしていく軽やかさを感じていいなと思います。今にして思えば、発明の進化を続けなかったのが残念なところです。

その代わり、足袋のような形をした革靴はマルタン・マルジェラというベルギー出身の世界的デザイナーにより発表されました。数十年前のことになります。今でも定番的に作られているので一過性の価値ではなく多くの人がカッコ良さと履きやすさを実感している結果でしょう。初めて目にした時には、下着がいきなり外着になってしまったような気恥ずかしに敬遠しました。革新ってそういうものかもしれませんね。受容の必要も感じず、考え方の本質まで見ようとしていなかった気がします。

足袋靴を履けば良かったということでも、靴に見かけの良さを求めなくなったということでもなく、ようやく足裏の感覚を働かせる良さに気づくタイミングがやってきたという次第です。良さをわかっていくタイミングってありますね。

発明の良さがわかるタイミングもそれぞれで、足裏の野性を取り戻したいなと思うようになったら、明治時代のこの発明の考え方がよくわかるようになりました。明治時代の発明の面白さは人が持っている野性味を感じることができることかもしれませんね。変化していく過渡期にはそれぞれの感覚を信じるしか拠り所がなく、そこに人本来が持っている野性が宿るのかもしれません。

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【使用した文献】
文献番号:特許第900号
名称:靴
出願日:明治23年4月4日
登録日:明治23年6月30日
特許権者:豊福勝次
住所:福岡県御井郡国分村、東京都神田錦町寄留

【データベース】
特許情報プラットフォーム

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