友川カズキに学んだ奈落に落ちないで浮遊し続けるヒリヒリするような集中
幾時代かがありまして
父の声出しトレーニングで中原中也の詩『サーカス』を音読した。この出だしを読むと反射的に私は場末の埃っぽいライブハウスへといざなわれる。
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
詩の最後に出てくるオノマトペでは、不安定な浮遊を必死で楽しむ緊張感を思い出す。
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
誰にも見えないかもしれないブランコに乗って浮遊するのが人生か。時には大きく揺らし、スリリングに。奈落に落ちないようにバランスを保ちながら集中しているときの心地よさがたまらない。
この詩を読むとそんな風に感じるのは、友川カズキが歌う『サーカス』の影響だ。90年代、友川かずき(当時は平仮名だった)のライブへ通っていた。そこで『サーカス』をよく聞いた。
友川はステージに上がってからも水のように酒を飲んでいた。秋田訛りの自虐的なおしゃべりも、NHKの昔のドラマ「さすらい」でも俳優として披露されている甘いマスクも、まったりとした魅力があった。
それがいざ歌い出すと鬼気迫るピリリとした形相に一変する。気を抜いていると振り落とさんばかりの劇的時間世界を作り出す。私は必死にバランスを保つ緊張感を楽しんだ。今思えば、ジェットコースターでも乗りに行く感覚でライブへ通ったのかもしれないし、その後の険しい人生を歩んでいくための訓練だったのかもしれない。
昨日、父と『サーカス』を音読した後に、久しぶりに友川さんを検索してみた。なんと、翌日(今日)から朝日新聞で連載が始まることを知る。これまた我が家は朝日新聞をとっている。父の声出しトレーニングに『サーカス』を選んだのは虫の知らせだったのか。嘘みたいな偶然もあるものだ。
朝日新聞朝刊文化・文芸欄の「語るー人生の贈り物ー」という全12回の連載。
youtubeはたぶん私が通っていた昔のライブ映像。ドラムのトシ(石塚俊明)とアコーディオンの永畑雅人の伴奏にも涙が出そうになる。
コロナの時代になり、また再び友川さんの純度の高い集中、生き様に触れるいいタイミングだ。年月を経て果たして私はヒリヒリするような純度の高い集中を楽しめているだろうか? 新聞に連載される約2週間、改めて先生を前にしてみたいと思う。