古特許を紐解くことで文系の私は技術や技術者との関わり方を教えてもらっている
人力車といえば、Go To トラベルキャンペーンに東京発着も含むかどうかのニュースで浅草や京都を走る人力車や車夫のインタビューを見ました。特に意識したことはありませんでしたが、あらためて、今や観光の代名詞的な存在ですね。
偶然ですが、古特許刺繍の日課で人力車を刺繍していたところでした。明治時代の人力車の発明を基にしています(※特許図面、特許番号などは下記)。乗り物の発明を調べてみると、自動車の発明が登場するまでの明治時代の束の間、人力車の発明がたくさん生まれています。
江戸時代までの駕籠にかわって明治時代になり車輪のついた人力車が登場することで、飛脚から車夫へ職業がえする人、移動に利用する人、人力車を製造する人、会社をおこす人、車輪に適した道路を整備する人などがあらわれて、活気溢れる変化が見られたのではないかと想像します。
人力車には一度も乗ったことがなく、興味を持ったこともありませんでしたが、風を感じながら流れる街の風景を眺めるのは気持ちいいのだろうなぁと思うようになりました。小回りがきいてフットワーク軽快な動きが、コロナで閉塞した気分を解放してくれそうな気がするからでしょう。それに車夫の身体性にコロナで失われているものを感じるからかもしれません。
ところで、刺繍をしていて人力車の大きな車輪に魅かれました。そしてふと、以前に所属していた技術系の会社で技術と生活文化の両輪についてよく議論していたことを思い出しました。技術と文化は密接な関係にあり一方が欠けたら成り立たないというような内容です。
文系出身のわたしはひょんなことからバリバリ技術系の会社に入り込んでしまっていました。ちょうど東日本大地震による原発事故を目の当たりにして、技術を専門家任せにしてきたことに気づき、反省していた頃のことです。会社の仕事でも技術の専門用語や専門知識に飲み込まれ、技術のことはわからないからと技術者任せにしたくなる習性との格闘でした。
理系とか文系とかに分けて考えること自体ナンセンスと言いつつも、実際には高い壁が立ちはだかっていました。技術系の会社で文系の人間の役割や価値はなんなのか? 技術って何? 技術者ってどんな人? 技術はより良く生きて行くために使われるものだけど、技術と生活の関係はどうなってる? 昔はどうだったのだろう? そんな根本的な疑問のなかで、明治時代から戦前あたりの技術と生活文化との関わりを調べてみようということになりました。
調べるための情報源として特許情報(発明)を使うことになりました。その会社は特許情報を使って新たな発明のための技術調査をしていたので、身近な情報源だったわけです。特許情報には新たな技術(発明)の考え方が文章と図面で記載されています。文系でも読むことができる技術です。近代の特許情報は旧字で書かれていてまるで古文書のようだったので、古美術を愛でるような感覚で“古特許”と名付けました。
古特許を紐解いてみると、生活をより良くしていこうという思いを感じることができてこちらの心も熱くなるような体験をしました。何のための技術なのか? という点は、時代や分野の垣根を超えて接点であることに気づいたわけです。また、様々な分野において明治時代の当初には多様な発明があらわれていましたが、昭和へ向かって徐々に一様になっていく変遷を見て違和感を感じたことも重要な気づきでした。
古特許を紐解くことで、文系の私は技術や技術者に好奇心を抱き、どう関わっていけばいいのかを教えてもらった気がしています。いまだ、古特許刺繍を試みながら、その試みは続いている、、という感じです。
【使用した文献】
文献番号:特許第1625号
名称:人力車
出願日:明治25年1月31日
特許日:明治25年6月14日
発明者:山田與七
住所:京都市下京区三條通堀川
【データベース】
特許情報プラットフォーム
https://www.j-platpat.inpit.go.jp
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