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【わたしがニューヨーカーになるまでEP2】〜プロローグ〜ジャズとの接触

大学生活の理想と現実の乖離が日を追うごとに広がりを見せる中、それでもわたしは人生初めての一人暮らしや学生生活に少しずつ慣れ、大学生らしさを纏いはじめていた。

父がジャズ好きだったため、幼少の頃からジャズに慣れ親しみまた中学生の頃から友人たちとバンドを組んでいたわたしは大学に入学したらジャズ研に入りたいと思っていた。

しかしながらジャズ研への勧誘をしていた先輩があの体たらくだったため、「隣で勧誘をしていた垢抜けた軽音サークルに入った方がまだマシな学生生活を送れるかもしれない。」と大学入学後、早い段階で半ば本気で考え始めていた。

が、結果なし崩し的に気付いたらわたしは第3校舎の地下一階にあるジャズ研の練習室にいたのである。


このジャズ研の謎の風習の1つに新歓コンパで新入生に先輩たちが勝手に変なサークルネームをつけるというものがあった。

いわゆる、たけし軍団方式である。

「ドピルパン」

これがわたしについたサークルネームだ。

わたしはジャズベーシストへの憧れがあり、ジャズベース担当の新入生としてジャズ研に入会することとなった。

このサークルの歴代ベーシストのサークルネームには「しじみ」、「あさり」など貝の名前がつけられるという規則性があった。

わたしの一期上の先輩は「しじみさん」という優しい女性の方で、ジャズのジの字もわからないわたしに手取り足取りジャズベースのベースラインの作り方を教えてくれた。

この「しじみさん」の一個上の先輩は「あさりさん」という男性の方で大塚アナウンサーを若くしたような穏やかな人だったと記憶している。

その大塚アナの一期上には確か「はまぐりさん」だったか「二枚貝さん」だったか、そういったサークルネームのOBがおり、わたしはその人にあったことはない。

そんな規則性があるにもかかわらずなぜわたしのサークルネームが「ドピルパン」になったのか。

これは高校3年生の時に大学の進路が決まった段階でこのジャズ研のネット掲示板に「ドピルパン」というハンドルネームでジャズ研に関しての質問をわたしが投稿していたことに由来する。

先輩たちは新歓コンパの自己紹介タイムでわたしがその「ドピルパン」であることを知ると酒の力も相待って大いに盛り上がり、満場一致でわたしのサークルネームは「ドピルパン」になった。

という、そう言った話である。






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