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豆まきの夜

2月3日、節分。

子どもの頃からこの日には豆まきをして来た。

大人になって実家から独立してからも。

正しい仕方を知っている訳でもなければ、特別にオリジナルの流儀がある訳でもないけれど、毎年欠かさず撒いて来た。

今は実家で撒き、自宅で撒いている。

立春の前の日に来たるべき春に幸せでいられるよう豆を撒く。この風習の意味するところは、それで良かったと思う。

鬼はー外!福はー内!

何時の頃からは詳しく知らないけれど、鬼は災いの象徴としてやっつけられる対象になっている。

とばっちりのような気もする。

鬼が出没するのは夜だから、豆まきも夜に行うようになったらしい。

寺社で行われる豆まきは、概ね昼間のような気もするけれど。

そのあたりの理由は知らないが、多分、不特定多数を対象としたイベントにおける大人の事情なのだろう。

また、子どもたちが小さかった頃も、自分が幼かった頃も、ありがちな紙のお面を被って豆から逃げ回る役は、我が家ではいなかったと記憶している。

あまり燥ぎたがりではないのだ。

だから、外に撒く豆は特に標的に向けるでもなく、ただ思いっきり投げる。

近所の家の屋根とかフェンスとかクルマに当たってしまうこともあるけれど、煎り大豆で壊れたり傷付いたりもしないだろうと構わず投げる。

逆に、振り向いて室内に撒く時には、散らばって後で拾うのが大変だという思いが巡り、そっと撒く。

「撒く」というより「置く」と言った方が正しいかもしれない。

そして、各方位に向けて漏れなく撒いてから豆を食べる。

一般的には、豆は歳の数だけ食べると言うけれど、それじゃ食べ過ぎだ。

そんなに食べたら喉に引っかかるし気道に入ってしまいかねない。

そう言えば今年は、消費者庁が「5歳以下の子どもには豆を食べさせないで」といった内容の注意喚起をしていた。

毎年ではないけれど、時折流れる注意喚起だ。

それもその筈、消費者庁によれば一昨年までの10年間で、5歳以下の子どもが喉に食べ物を詰まらせた事故は141件もあるといい、そのうちの約二割が豆・ナッツ類を原因としているとのことだ。

別の資料を見てみると、少なからず犠牲者も出ているという深刻な案件なのだ。

そして、子どもが二割ということは大人は八割。子どもだけ注意すれば良いというものでもないだろう。

還暦過ぎた前期高齢者予備軍のオヤジが、歳の数だけ豆を食べるなどというのは暴挙だ。

じゃあ一桁減らして食べるか、とも思うのだが、それじゃ四捨五入したら6粒。

食べた気がしない。縁起物なのに。

だから、いつの頃からか食べる数は極めてアバウトになってしまった。

食べたいだけ食べる。そんな感じだ。

そして、今年は撒き手(と言うのだろうか?)は一人だった。

つまり、自分ひとりで2軒撒いた訳だ。

それは即ち結構淋しいものだ。自ずから声も小さくなる。

囁くようにそっと「鬼は外、福は内」だ。

鬼にも誰にも届きはしないメッセージだ。

ただし、今年も外に向かっては思いっきり投げた。出来るだけ近所の家やクルマには当てないように。

そして、振り向いて豆を置いた。

ちなみに、恵方巻を食べるという習慣は我が家にはまるでない。

子どもの頃はその存在さえ知らなかった。今みたいに普通に売ってたりCMが流れてたりしなかったし。

いつの頃だろう、関東にその風習が訪れたのは。

調べてみると昭和の時代から少しずつは知られていたようだ。

ただし、異なる名称だったようで、「恵方巻」という名称による普及は、昭和の終わり、平成の始めに展開されたコンビニのキャンペーンが契機だったという。

それじゃ、幼少期に知っていた訳もない。

そして、そのあたりの情報の流布については何となく肌で感じていたことでもあり、商業ベースのブームに乗って堪るかとのへそ曲がり気質も手伝って、尚更に今の今まで食べたことはないのだ。

まして、恵方ロールなどという和洋折衷ものには、スイーツとしての魅力を感じないでもないのだが、全く乗っかる気がしない。

バレンタインデーやホワイトデーには何の疑問もなく乗っかるのにね。

かくして今年も、豆まきの夜は幾度か近所の庭で豆の衝突音が聞こえたという程度の静寂の元、何事もなく過ぎ去った。

翌日の朝、道路に散らばった豆は歩行者やクルマに潰されて粉々になり、ハトやスズメにとっては思いがけない嬉しい食卓が用意されることだろう。