成人式の思ひ出
何十年も経つので、最早忘却の彼方にぶっ飛んで行ってしまった記憶。
成人式ってどんなんだっただろう?
超断片的に記憶に残っていることは…
市内の中学校の体育館で開催されたということ(卒業した中学じゃない)
新調してもらった三つ揃えのスーツで出席したこと
女子の一人が、まるっきり普段着で出席していたこと
会場までは、クルマの免許を持っていた友人に乗せてもらったこと
帰りに革靴の先端をそのクルマのタイヤで踏まれたこと
不思議と会場の様子は、朧げにでさえも覚えていない。
人間、特に嫌なことと特に嬉しいことは覚えているものだと思う。(あくまでも個人的記憶による)
じゃあ、成人式はどっちだったのだろうか?
多分、総じて覚えていないのだから、どっちでもないのだろう。
単なる通過儀礼。そう言ってしまっては身も蓋もないのかも知れない。
けれども記憶に残っていないのだ。
そもそも、なんで中学校の体育館だったのか。
会場となった中学校が新設校だったことは覚えている。我が市は人口急増のベッドタウンだったから、当時、小中学校は増設続きだったと思う。
そして、その学校は当時の市内の中学校では最新だった筈。だから、全ての市の施設(新成人が全員入れる規模)の中で、一番綺麗だったことは間違いない。
小学校の体育館じゃ小さ過ぎるしね。
多分、そんなことなんだろう、理由としては。
新調したスーツは、その後、大学の入学式やら卒業式、就職関係の節目節目と、何度か着込んだ。
けれど、そのほぼ全てのシーンを記憶していない。
つまり、記憶が残ってないのは成人式に限ったことじゃないってこと。
これって異常なのか?記憶障害なのか?その心配も忘れよう。(おいっ)
当時も晴れ着の女子は多かったことだろう。さぞかし華やかな景色だったに違いない。
けれど、何も覚えていない。
それなのに、特に親しかった訳でも、憧れていた訳でもない女子なのに、独り佇む同級生(当たり前)の普段着姿を覚えている。
ただし、記憶の中の彼女は、何も語らないし視線を交わすこともない。ただ単に出で立ちだけの記憶なのだ。
いや、表情もそれ程朗らかには見えないけれど。
印象に残るとか残らないとかは、極めて個人的な感性によるものなのだろう。
参加者の誰もが、皆同じ程度の記憶しか残っていないのだったら、主催者を始めとする祝う方の人たちが気の毒過ぎる。
一緒に参加した友人は3人。中学から同じ高校に進学した者同士だ。それは間違いない。(思えばこの文章の中で「間違いない」を多用しているかも知れない)
けれど、彼らも記憶の中では何も語らない。と言うか、具体的な記憶がない。楽しかったとも、嬉しかったとも。
履き慣れない革靴の先端を踏まれたのは、まだドアも閉めないうちに友人が発車したからだ。それは間違いない。(また使った)
特に痛くなかったし怪我もしなかった。靴も傷まなかった。だた、その靴は新品だった筈だ。スーツと一緒に新調した筈だ。きっと、だから覚えているのだろう。
作りたてのものや入手したてのものに執着する性分は、今も昔も変わらない。てか、大抵の人はそうじゃないだろうかと思っている。
今年は長引く感染症の流行で、成人式が中止になったり、オンラインになったり、延期になったり、一人の人間にとって一生に一度のイベントと考えれば、たまたま今年成人した若者たちは気の毒に思える。
更には、新成人ばかりではなく、親御さんは勿論のこと、着物のレンタルやら、着付けやら、ヘアメイクやら、記念写真やら、関係する人々への影響も相当に大きなことだろう。
会食、飲み会自粛の流れの中、二次会的なお楽しみもおあずけだ。
すっかり1月の風物詩の如くなってしまった、飲酒酩酊して暴れる新成人のニュースも、今年はまるで見ることがなかった。
それはある意味社会的には良いことなのかも知れないし、先輩からの引継ぎでそれ程積極的・自発的でもないのに、暴れなければならなかった後輩たちには、個人的にも朗報だったことだろう。
年末年始、様々な慣習や行事や祭り、果ては宴会や旅行までもが軒並み自粛の対象になった。
実際、かなり静かな年末年始だった。テレビ画面の中だけが、大騒ぎしていたように思える。
だから、リアルタイムのテレビ番組は殆ど見なかった。ニュース以外は、ディスクに溜まっていた昨年までの録画を見ていた時間が長かった。
かつてない例外的な年末年始の在り方。所謂、新しい生活様式。
ただ、これで世の中のいろんなことが一体どこまで回復するのだろうか?今のところ、殆どブレーキになっていないように思えてしょうがないのだけれど。
友人から聞いた話。
新成人は、飲酒や会食の自粛要請に従い、成人式で解散して帰宅し、家族とともにお祝いするケースが多かったと聞いている。
「そんなの知らないよ!」みたいな新成人は少なかったように思える。きちんと考えて行動しているからこそと思えば、この国の将来への明るい兆しのひとつとも受け取れる。
ただその反面、あくまでも近所の話ではあるけれど、子どものイベントに合わせて自分たちもイベントしたがる一部の親御さんの中に、子どもたちの二次会狙いで集まっていた人々がいたと聞いた。
仮に感染症の話がなかったとしても、成人した子どもを待ち受け、それをダシにして飲むか?
何たる破廉恥。そんな親世代がいることに、この国の将来の陰の部分が見え隠れするとさえ思えてしまう。
そんな旧成人を反面教師としたかどうかは分からないけれど、誰に強制される訳でもなく、常識的に行動してくれた新成人にエールを送りたい。
おめでとうございます!