見出し画像

ギター歴はギター所有歴

ギターとの出逢い

初めてギターと出逢ってから、随分と時は流れた

始めは中学生の時、当時、大いに盛り上がっていた60年代、70年代のフォークソングブームにハマり、マーチン風のウエスタンギター(当時は大きめのアコギはウェスタンギター、小さめのはフォークギターと呼ばれていたと思う)を手に入れたのが最初だ。

大好きだった吉田拓郎さんが使用していたマーチンギターに憧れていたのだ。拓郎さんが当時使用していたモデルは、マーチンのD-35だったと記憶している。

一般的にはD-28を使用しているミュージシャンが多かったような気がする。でも、ラジオ越しに聴く音色はD-35の方が好きだった。より繊細な音質に聴こえたから。

なので、二つのモデルの一体どこがどう違うのか、少なくとも外見上の相違点は把握していたと思う。

ちなみに、購入したギターのヘッドには「Pro Martin」というロゴがあった。せめて名前だけでも近しいものを求めた結果という訳だ。

ちなみにそのギターは、もう10年以上前のことになるが、当時ギターを欲しがっていた姪に譲った。姪はすぐに飽きたようだけれど、今でも誰かが弾いているのだろうか。今や母親となった姪には、その後のことは聞いていない。

そして、ともにフォークソングを愛していた友人は、今も国産メジャーブランドのひとつであるモーリスギターを購入した。そちらはドレッドノートサイズではなく、少し小ぶりの所謂フォークギターだった。さしずめマーチンのOモデルのコピーだったのか。

プラモデルの塗装とかが器用だったその友人は、ヘッドのモーリスロゴを消してしまい、手書きの金文字でマーチンのロゴを書き込んでいた。

個人で楽しんでいたのだから問題は無いだろう。と思う。

そして、敬愛する拓郎さんの楽曲は勿論のこと、井上陽水さんや泉谷しげるさんなど、当時のフォークソングシーンをリードしていたシンガーソングライターたちの楽曲を、見よう見まねで耳コピを楽しむ日々だった。

ギターに加え、ハーモニカホルダーにブルースハープを装着し、家の外に音が漏れるのも構わず、弾きまくり歌いまくっていた懐かしき日々だ。

コピーと言ったけれども、譜面を読むのは得意ではなかったし、だいたいからして譜面だって安いもんじゃないし、そもそもそんなにいろんな楽曲の譜面が販売されていた訳でもないし、基本的には耳コピだった。耳コピせざるを得なかった。

何と言っても「タダ」

音源は主にAMラジオに頼っていた。23時からの「フォークビレッジ」が一番の教材だったけれど、オールナイトニッポンなどの深夜放送で流れるライブ音源を出来る限りマメにエアチェックし、耳コピの教材にしていた。

また、UHFのTVKで放送されていた「ヤング・インパルス」は、VHFのキー局の音楽番組には出演しないミュージシャンが「普通に」登場するという魅惑の番組で、フォーク大好き少年にとっては宝箱のような存在だった。

音楽番組としての楽しさは勿論のこと、ラジオ音源の耳コピではどうしても解析できないギターの運指を、目視でじっくり確認出来る貴重な教材でもあったのだ。

クラシックとの出逢い

そして、高校入学。

我が校には軽音楽部がなかった。質実剛健を旗印にする校風に、そのような軟派な(?)部活は存在し得なかったのだ。

とは言え、楽器に触れたかった。それも弦楽器に。結果、迷わずクラシックギター部に入部した。

こじんまりとした部ではあったけれど、部員たちは皆真面目にクラシックに取り組んでいたし、合奏用の特別なギターも揃っていた。

高校生になっても、中学時代と同様、ギター弾き語りを楽しむ生活を続けていたけれど、スチール弦のウェスタンギターではクラシックギターの合奏には当然参加出来ない。

なので、早速クラシック用のガットギターを購入した。自己流、いや独学とは言え、そこそこギターを弾き込んで来ていたので、少しぐらいは楽器を見る目や音を聴く耳も育っていた。と思う。

だから、その時の小遣いで買える一番高いギターを選んだ。それでも初・中級者用の域を出ないモデルだったけれど。

松岡良治さんという作者の名前を冠したモデルだった。ハンドメイドのギターが欲しかったけれど、よく解からない「セミ」ハンドメイドのモデルだった。一体どこまでが工業製品で、どこからがハンドメイドなのか。

なにはともあれ、勿論今でも所有している。

妥協はしたけれど、音質は気に入っていた。爪の手入れを怠らず、ちゃんとした弦を装着してさえいれば、自分なりに納得出来る音が楽しめたからだ。

2年ぐらい前のことだけれど、ひさびさに人前で弾く機会があった。近隣市でクラシックギタリストの木村大さんのワークショップ?ミニレッスン?があり、恐る恐るそこに参加したのだ。

ただ、腕前の衰え(そもそも衰えるほどのレヴェルではなかったけれど)は勿論のこと、ギターそのものも衰えていた。

保管状態には気を付けていたつもりだったけれど、楽器は常に弾いていないといけない。少し音が曇っているし、音の揺らぎを感じる状態になってしまった。

欲しいものはいつだって欲しい

時折、そんな刺激的な体験はあったけれど(人前での弾き語りも何回かした)、ギターに触る機会と時間は減る一方だった。

ただ、それでも好きなものは好き。欲しいとなれば夢に出て来るほど欲しくなった。

エレキギターが欲しいとの思いが高じ、とは言え経済的にも物理的にも周辺機器まで取り揃えることは到底叶わず、フェルナンデスのZO-3(ゾーサン)を買ってエレキギター入門を果たした。

ZO-3は、アンプもスピーカーもボディに詰め込んだ小型サイズのエレキギターだ。デザインはネックを鼻に見立て、全体が象の姿をデザインしたものとなっている。手軽にどこでも鳴らせるので、当時ちょっとしたブームになったと記憶している。

今でも売っているけれど、ベースモデルがあったりキャラクターモデルがあったり、レスポールモデルがあったり、随分とバリエーションが増えたと思う。

そして、ミニギターが注目された時には、ついに憧れのマーチンギターも手に入れた。ミニサイズではあるけれど、ヘッドにマーチンのロゴが入り、シリアルナンバーだって付番されている。

中学生の頃から欲しくてたまらなかったドレッドノートモデルに比べれば、似て非なるものどころか全くの別物であることは間違いはないものの、30年も40年も憧れていたブランドのギター。手にした時には嬉しくて堪らなかった。

それに、音質も音量も弾き易さも、素人的には十分なレベルだと信じて疑っていない。

また、偶然知った見田村千晴さんの歌に惹かれてライブに通うようになった時には、彼女が時折弾き語りに使用するギブソンのDOVEに堪らなく魅力を感じた。

中学生の頃、大好きだったフォークデュオ古井戸の加奈崎芳太郎さんが持っていたのを覚えている。けれども、マーチンファンでマーチンこそが理想のギターと思い込んでいた中学生にとっては、特に興味が湧かないモデルだった。

しかし、見田村さんのステージで再びそれを目にした時、今やトリ馬鹿を自負するようになった自分にとっては、ピックガードに輝く白いハト(DOVE)がおいでおいでと手招きしているかの如く感じてしまったのだ。

ただし、ダヴは中古でも高額だ。10万円以下のギターしか所有していない、所有出来ていない者にとっては、全く手が届かないお宝ギターだ。とは言え欲しくて堪らない身としては、偶然知った(それまではその存在をまるで知らなかった)エピフォンのDOVE Proを購入するに至った訳である。

思えば中学生の時のギターも「Pro」マーチンだった。偶然の一致だろうけれど、どうにも「Pro」の3文字が追い縋る。

普段は照れくさくて楽器屋さんで試奏することなどないけれど、ギブソンと比べてあまりに安価だったので、正直信用出来ずに人生初試奏してみるに至った。

そして、やっと納得した。音は価格相応の金属音を感じるガチャガチャしたものだけれど、実に弾き易かったのだ。そして、音量も十分だった。

強いて残念な点を述べるとすれば、見田村さんと違って表面のカラーリングがサンバーストだということ。メーカーによると「ヴァイオリンサンバースト」というカラーらしい。

それと、その後人気沸騰したお笑い芸人のみやぞんさんが、テレビの向こうで同モデルを弾きまくっていたことだろうか。お笑いは好きだけれど、このギターに関してはお笑いより音楽用という部分に比重を置いて欲しかったから。

ここまでが今のところ最新・最後のギター購入歴だ。その代わりと言う訳ではないけれど、それとは別に、ウクレレとウクレレベースを購入したけれど。



半世紀のお付き合い、今後のお付き合い

結果、50年近くに亘りギターとのお付き合いを重ねて来たことになる。

ただ、そうは言ってもここに書いてきた通り、その50年はイコール「ギター歴」ではなく「ギター所有歴」と言うべきものだ。

持ってはいるものの弾いていないのだ。弾けていないのだ。

ひどい時には1年間で1回しかケースから出さなかった年もあったと思う。もしかしたらゼロの年さえあったかもしれない。

これではいけない。何よりも、楽器たちが可哀そうだ。弾いていなくても、いや、弾いていないからこそ老朽化も進むというものだ。実際、ガットギターは音に影響が出てしまった。

だから

自らの身辺整理を進めようとしている今だからこそ、ギターたちと向かい合うべき時だろう。

それが出来ないのであれば、他の整理対象より優先して、この子たちをもっと適切に扱ってくれる人の下に送り出してあげるべきだ。

でも、それは嫌だ。お断りだ。この子たちとまんべんなく付き合って行きたいのだ。

そしていつかは路上ライブを! てなことはないにせよ、せめて人並みに弾けるようになって、この子たちを喜ばせてあげたい。

そうすれば、きっと「満足」となって自分に返ってくるはずだから。

そしてそれこそが、ギターに関しての終活。こればかりはやり残したくない。子どもたちに任せたくない。そして、思いを残したくない。

そう思っている今の自分がここに居るのだ。