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まずは実家から

「空き家」ではないということ

今は別宅的に使用している古家がある。いわゆる実家である。小学校の時に一度引っ越しをしているから、実家であって生家ではない。

そして、今は自分の持ち家になっている。

自宅の至近にあるので、普段あまり使わない物を置いておいたり、自宅の駐車場から追い出されたマイカーを停めたりしているので、日に幾度となく行き来しているけれど、寝起きはしていないので、世に言うところの「空き家」であることは否定できない。

「空き家」は昨今社会的問題になっている。誰が所有しているのかさえ分からず、殆ど人の出入りもなく朽ち果てるに任されていたりするので、景観的な問題は勿論のこと、何より防犯・防災上の理由で、特に隣近所の住人たちから目の敵にされている。野良猫でも住み付こうものなら、衛生上の問題だって生じてくる。あろうことか、割高な固定資産税を課せられてしまう心配さえある。

当然のことながら、自分の実家に限っては「空き家」と呼びたくないし呼ばれたくないのだ。

なので、足繁く通っては陽を入れ風を通し、物置的にも活用している。敷地前の道路の掃除は欠かしていないし、定期的に業者に依頼し、庭木の剪定や除草をして「空き家感」の払拭に努めている。ご近所への声掛けだって以前と変わらない。まあ、ご近所さんも家主が同じ町内に住んでいることは知っている訳なので、不審者に思われることもない。

だから、「空き家」ではないのだ。

しかしながら、時は容赦なく過ぎていく。家を継いでから後に外壁塗装をしているのだが、かれこれ10年近く経ってしまった。西日が当たる部分は劣化が著しい。ベニヤの雨戸は、雨漏りこそしていないものの一か所朽ちてしまった。水回りに近い床は、うっかりすると踏み抜いてしまいかねないほど弱っている。

着実に「期限」は迫っている。

そんな状況であるから、身辺整理(いわゆる終活)に取り掛かるにあたっては、まずは実家を片付けなければならないのだ。

切っ掛けとなった家電リサイクル

そして、この話にはもう一つの側面がある。

過日、まったく別の或る切っ掛けでテレビを3台処分した。家電リサイクルのルールの通り(当然のことだけれど)、市内の取り扱い業者に持ち込み、費用を払って引き取ってもらった。

そのうちの1台は、かつては自分で使用していたが今は実家で埃を被っていたアナログ時代のテレビだった。結婚を機に両親から買ってもらった物だけに、地デジの時代になった今も捨てるに忍びないものだった。

何だかスッキリした。断捨離気分に浸った。

ところが、業者からの帰り道、なんとなく気持ちが落ち着かず、まだテレビがあるんじゃないかという朧げな記憶が、少しずつ頭を持ち上げて来た。

そして、改めて実家を確認してみたら、やはりそこにあった。もう1台のテレビが。

訳あって、今や物置部屋と化している2階の一室に持ち込んでいたものを、すっかり忘れてしまっていたのだ。

それでは、早速もう一度業者に持ち込もうか、という気持ちになりかけたけれど、待て待て、家電リサイクル対象製品は他にもある。冷蔵庫、洗濯機、乾燥機、エアコン。これは同時に処分するのが合理的。

ただし、今それをやってしまったら、この家はいよいよ本格的な「空き家」になってしまう。電気と水道は繋がっていて、冷蔵庫も電子レンジもエアコンもある。テレビはないけれど、ラジオも携帯もある。

この家で生活が出来るのだ。ここは「空き家」ではないのだ。

だから、冷蔵庫やらエアコンを処分するその前に、差し当っては室内にある生活必需品以外の物を処分しなければならない。「空き家」にする前に、「空き家」になるための準備を進めるのが先決なのだ。

父が亡くなり、母が亡くなり、その都度必要な手続きは全てこの手で済ませて来た。ただ、実家そのもの、そこにある家財などなどは、両親の生前と殆ど変わらないままにし続けて来た。

言い換えれば、思い出を整理することを先延ばししていたのだ。

今、自らもそれなりの年齢となり、子どもたちもほぼ独立している状況に至った。かたや、新型コロナ感染症によって、発症後僅かの期間で亡くなってしまう同年代の人々のニュースを耳にすることで、自らに残された時間が決して無限ではないことにも気付かされた。

かくして、身辺整理(終活)の第一歩は、実家の整理。つまりは、今は亡き両親の終活から着手せねばならないとの結論に、漸く辿り着いたのであった。